仏像行脚がものの見方のトレーニングになったというのは、ずいぶん大雑把ないい方だが、それはこんな事情である。
ひとりで奈良通いをはじめたのは、20代前半のこと。当時、和辻哲郎『大和古寺巡礼』、亀井勝一郎『大和古寺風物詩』、会津八一『自註鹿鳴集』、掘辰雄『大和路・信濃路』がわたしの旅のガイドで、京大式カードに抜書きした作品批評をいつもカバンにいれていた。
名文に導かれて一級品の良さを味わう旅である。学生時代にこれといった訓練を受けていないから、自分の直観をたよりに無手勝流の鑑賞をしていたわけだが、歩いているうちに、自分の好みだけはわかってきた。
こうした「感覚のトレーニング」の良さはもちろんある。ただ、気をつけないと、見るという行為が、作家の目をかりた疑似体験でおわる危険もある。美術展などで「あ、これテレビで紹介されてた」「こっちもそう」と確認しながら作品のまえを素通りする、あの姿と変わらないことになるのだ。
20代半ばで加わった「美術の会」のメンバーには、歴史学や美術史のトレーニングを受けた人たちが多い。その影響で、図像学はもちろんのこと法隆寺の再建・非再建論争、白鳳期をめぐる時代区分論争など、美術史の専門研究にふれるようになり、関心領域も建築、庭園、絵画などに広がっていった。
そうこうしているうちに、1980年から地方仏めぐりがはじまる。ICU高校に移った28歳のときだ。久野健『東北古代彫刻史の研究』『仏像風土記』『秘められた百寺百仏の旅』、丸山尚一『生きている仏像たち』『秘仏の旅(上)(下)』に作例がたくさん紹介されているから、地方仏を全国規模で俯瞰するのにも、訪問プランを組むのにも役立った。
面白さの一つは、様式的特徴の混在である。地中海世界に発したルネサンスが、長い時間をかけ、さまざまな文化的バリエーションをうみながら、北方に広がっていったが、日本の仏像様式の伝播にも同じような傾向がある。地方仏の場合、新しい様式がただちに古い様式にとってかわるのではなく、前の様式も取り込んで、いわば積み重なるように定着していく。このことが、過渡期的作例とみえるものが多く残された理由ではないか、と考えた。
現地に足をはこぶごとに、疑問もふくらんできた。仏像の造像精神がその土地の風土性とどこまで結びついているものなのか、これまで見てきた一級品に対する印象批評のようなものがどこの仏像でも成立しうるものなのか、またそもそも便宜的につかっている地方仏という概念そのものが成立しうるものなのかどうか、というような疑問である。
これらの疑問は、いま目のまえにある仏像の「なにに着目して、どうみるのか」ということに直結している。そこで、1983年に、自分がこれまで仏像とどうむきあってきたのか、その態度を整理してみることにした。浮かび上がってきたのは6つの態度だが、それをごく簡単に書いてみよう。
(1)礼拝する。救いをもたらすものへの信仰の表現としてだけでなく、一千年も連綿と守り続けてきた人々への敬意をこめて礼拝する。
(2)鑑賞する。破損も後補もふくめて、すべては歴史的時間の堆積である。だから、いままさに崩れ落ちんとする状態をも風情としてうけとめ、あるがままに鑑賞する。
(3)対話する。仏の力の偉大さを可視化するのが仏像であり、造像表現としての特徴は人間の姿を超出するデフォルメの仕方にある。それに成功した仏像は、ある種の聖性を感じさせるから、それにむきあう行為が内省をよびおこし、自己内対話がうまれる。
(4)復原する。いまある仏像が完成した当時のあり様を、想像力を駆使してこころのなかに描いてみる。コンピュータ・グラフィックスのおかげで、いまでは、入門書でもそうした写真が使われるようになっている。
(5)分析する。図像学の力をかりて、様式的な特徴や技法を分析したり、類例と比較したりして特徴をあきらかにする。エックス線による構造調査や年代測定法による素材分析の結果なども活用する。
(6)史料にする。造像の由来や寺院の来歴など、残された歴史資料を参照し、施主、造像の精神、信仰形態、安置された建物、周囲の環境などを、目の前の仏像を手がかりにしてできるだけ正確に再現する。
ひとつひとつの態度は、何も特別なものではない。ただ、この作業をしてみて、気づいたことがある。それは、いくつかの要素を意識的に組み合わせることで、わたしが仏像の見方を方法化しようとしてきた、ということだ。一つの視点から対象を深く掘り下げてみることと、ものごとを総合的にとらえることを同時におこなう、というスタイルである。
10年間の経緯でみると、(1)-(3)が中心となる時期から、(4)-(6)の比重が大きくなる時期へのゆるやかな移行がみられる。目に見えるものだけでなく、目に見えないものをみる、という態度がより強くなってきたのだ。その意味で、仏像をみることが、わたしの「分析力のトレーニング」だけでなく「想像力のトレーニング」にもなっている。
良かったのは、メンバー同士で、それぞれの見方をひんぱんに交流できたことである。実物を前にしながら、宿に引き上げてから、東京に戻ってスライドをみながら、という具合に繰り返し語り合ったことが「言語化のトレーニング」にもなっている。
それでなくても、美術史が素人のわたしは、どんどん想像力を働かせ、勝手な方向に想念を飛躍させる癖がある。歴史的事実にそくして考える訓練をうけた人たちと一緒の旅が、発想のバランスを保つ、という意味でも大事なことだった。
1980年を境として、仏像の見方がおおきくかわっていく。見るということに、より自覚的になったのだ。その結果、仏像の見方というだけでなく、わたしの「ものの見方」そのものが、急速に変容していくことになった。