庭園散歩」カテゴリーアーカイブ

ロンドンの2つの日本庭園

仕事の合間をぬってキューガーデンの日本庭園とホランドパークの京都庭園を訪ねた。

閑散とした時期しか知らないので、こんなに人気スポットだったのかと驚いた。

松、モミジ、石組、石灯篭、蹲、刈込のアプローチ、延べ段などが揃っていて、どちらも本格的な日本庭園である。

キューガーデンはちょうど夏のイベントの最中で、ガラス工芸のインスタレーションが、あちこちを飾っている。

Temperate Houseの花の作品群もよかったが、日本庭園のNiijima Floatと題した球形の作品群がまた新鮮だった。

枯山水の水墨風の色合いの中に、極彩色の作品が置かれているから、その配置の具合、色合いと質感のコントラストがなんともいえず楽しい。

ホランドパークの京都公園にいたっては、滝組からとうとうと水が流れていて、その先に立派な州浜までついた池があるから、実に立派なものである。

こちらは夏休みの最後の週とあって、子どもたちが次々とやってきては、池の水に手を突っ込んでかき回している。どうも池でおよぐ鯉の方に関心があるようだ。日本庭園の気取りとは無縁の雰囲気である。

イギリスでは、飛沫をあげて水が流れおちる小川に触れる機会などないだろうから、われわれが想像する以上に、子どもたちが興奮するのかも知れない。

どちらの庭も大きな公園の一角にあり、外の景観とつながっている。いやでも見慣れたものとは異なる種類の樹木が目に入ってくるが、その景色も地域性のひとつだとみると、そんなに違和感がない。

日本庭園も存外普遍性があるのではないか、そんな気がしてきた。

邸宅(庭園)にかける情熱

一週間ぶりにロンドンに戻った。今回のテーマの一つは英国庭園である。トーベイでは、なんといってもクリスティーのグリーンウェイが有名だが、こことナショナルトラストが管理するもう一つの庭園であるコールトン・フィッシュエーカー(Coleton Fishacre)の2か所を見学した。

コールトン・フィッシュエーカーは、はじめて訪問した場所だったこともあって、ことさら印象に残った。1920年代から30年代に、10数年かけて大きな谷を丸ごと開発した別荘である。

つくったのは、サボイホテルの経営者でオペラ劇団(例のミカドを上演した劇団)のマネージャーだったRupert D’Oyly Carte の家族だ。

石造りの建物は、全館みごとにアール・デコ様式で統一されている。


1920年代、造営当初の記録写真をみると、20エーカーもあるただの大きな牧草地である。


ここに仮設のレールを引き、谷底から石を運びあげて、石段と建物を作った。谷底に水流をうがち、いくつかの池もつくっている。なんだか凄いエネルギーのかけかただ。

われわれにいわゆる庭とみえるのは、広い芝生にウォールガーデンがついたWellington’s Wall and Bowling Green Lawn と小さな水流の源付近にあるThe Rill Gardenくらいなものである。

あとは谷の両側の傾斜を利用した雄大な散策路(=庭)といった方が適当だろう。

散策路がまっすぐに海に駆け下る谷の両側にあるため、歩き回るのに相応の脚力がいる。


その代わり、巨大なチューリップ・ツリーがそびえたつ広場や海上に浮かぶ小島を見下ろす四阿など、変化に富む景観が楽しめる。


水際にモミジが連なっているかと思えば大きな杉の木が林立していたり、はては金魚が遊ぶ睡蓮の池やササヤブまであるから、なんだか親しみさえも感じる。


自然の力がもちろん大きいが、たった100年の間に、これだけ味わい深い空間ができていくのだから、歴代の住み手たちが、この邸宅にどれほどの情熱を注いできたことだろう。

こうしてみると、景観というものが、時間をかけて育てていくものだということがよく分かる。

 

旧角川邸、旧大田黒邸の庭

ほとんど外出しないまま大型連休を終えたのだが、思い立って、連休の終盤に荻窪駅の南口にある角川庭園・幻戯山房と大田黒公園を訪ねた。どちらも杉並区が管理している。

旧角川邸は、細部まで神経の行き届いた近代数寄屋建築(加倉井昭夫設計)と庭園が融合して、庭屋一体、きわめて居心地の良い空間になっている。

かつては眼下に畑が広がる風景だったというが、南にゆるやかに傾斜した段丘を活かした明るい雰囲気の庭である。

庭の広さとそれに見合った小ぶりな植栽のバランスがみごとで、なんとも言い難い洗練さがある。わたしは住み手である角川源義という人の美意識にちょっとふれられた気がした。

同じ個人住宅だが、旧大田黒元雄邸は角川邸とは対照的なたたずまいで、広い邸内に林立する松、モミジの巨木が圧巻である。箱根あたりの庭にありそうな、豪壮な石組みと立派な池泉もそなえている。

ただ、若き日をヨーロッパで過ごした人の好みだろう。建物の前に広がる景色が広い芝生になっているせいで英国の風景式庭園を思わせから、どちらかといえば折衷様式のテイストがある。

この大田黒邸のアカマツ群は、見上げると首がいたくなるほどの高さで林立している。余りの迫力に最初こそ驚くが、そのうち、なるほど林立する幹そのものが見どころになる庭もあるのだと、納得させられた。

角川邸で時ならぬ雷雨にあい、長い雨宿りになってしまったが、それもまた風情があって楽しかった。

初めての仙洞御所

今回一番の収穫は仙洞御所である。何度となく周辺を歩いているが、初めて庭の見学ができた。

塀の内側は、想像していたよりもずっと広々していて、手入れも行き届いている。

現役で使われている宿泊所とあって、年2回あて松の木に鋏をいれているらしい。あとは推して知るべし。

当初つくられた遠州流の庭が、後水尾上皇の好みに合わなかったらしく、結果、大改修されたというエピソードも面白く聞いた。

苔を巧みに使ってゆるやかにカーブする園路とその周囲の広い空間にモミジの高木がゆったり枝を伸ばしている様子などをみていると、なるほど、どこからどこまで品の良い庭だなあ、と感じたことだった。

 

修学院離宮の植栽

久しぶりの修学院離宮だが、今回も空間の扱い方にいたく感心した。

(下の写真:上離宮の隣雲亭から浴龍池をみる)

これほどたくさんの植栽があるのに、少しも重苦しい感じがない。

(下の写真:土橋付近から池越しに大刈込方向をみる)

下離宮、中離宮、上離宮の庭を、どの角度からみても清々する雰囲気なのだ。

庭の印象が重くならないのは、広さのせいばかりではなく、手入れの仕方によるところが大きい。

根〆のようなサツキからモミジの高木のようなものまで、枝の透かし方が絶妙なのだ。

たまたま”透かす”を意識して庭木の手入れをしている最中なので、学ぶことがことさら多かった。

(下の写真:西浜からみあげる隣雲亭。台風の影響で用水路が破損、池の水がひどく減ってしまっている。山中には風で倒れた巨木がいまも横たわっている。)


3キロメートルにおよぶ見学路は、延々と続く斜面と階段である。夏には脱水症で倒れる人もいるらしい。こんなにハードな見学路だったかなあ、と若いころには気づかないような感懐もあった。

新宿御苑の空

新宿経由で通勤しているので、いこうと思えば簡単にいけるのだが、あまり訪ねる機会がないのが新宿御苑だ。

先日、思い立って新宿御苑に足を踏み入れてみた。大木戸門から入場して、風景式庭園、整形式庭園、日本庭園を順番に回り、新宿門からでるコースである。

久しぶりの訪問でまず驚いたのは、以前とくらべて、外国人観光客の姿が圧倒的に多いことだ。平日の午後ということもあるだろうが、ひょっとしたら来場者の数は日本人を上回っているかもしれない。

最近はどこの庭を訪ねても、植栽の手入れのことが気になる。

大木戸門の近くにある下の写真の伽羅木は、一見すると複数の株からできているようにみえる。

しかし、裏側に回ってみると一つの株から分かれてできた姿だとわかる。

ちょうど秋田の庭の古いキャラボクの仕立て方に迷っていたこともあって、ああこういうやり方もあるのか、と参考になった。

一方、整形式庭園の方にいってみると、ちょうど大刈込の整枝作業の最中だった。


作業の進み具合を見ていると、時間がたってもちっとも飽きるということがない。この大量の枝をどこでどう処理するのだろう、ということまで考えてしまうからだ。

(下の写真は、旧御涼亭からの眺め)


今回は、上の池から東の方向をみた景色がとりわけ印象に残った。(下の写真)

背景に建物の姿がなく、何しろ空が大きいのだ。もし都心に新宿御苑がなかったらと考えると、この空間の貴重さがいまさらながらに感じられる。


新潟の町屋の庭―旧小澤家住宅

これも少し前のことになるが、新潟市内の庭園をみてまわった。

北前船の関係では、明治の初めから回船経営にのりだしたという旧小澤家住宅が印象に残った。

旧小澤家住宅は、新潟市内を代表する町屋建築である。主屋は1880年(明治13)の大火の直後の建設、この写真の新座敷と庭は1909年(明治42)ころのものだという。

500坪弱の敷地に延べ床面積260坪ほどの建物(母屋や土蔵など)がたっている。

とりわけ印象に残ったのは、サイズ感のほどの良さである。庭と建物のバランスも私の感覚にはピッタリきた。

いま手もとに資料がないので、定かではないが、クロマツの植栽を主にした平庭で、ざっと20本ばかりの松が植わっていたように思う。

庭の面積に比して松の本数が多い印象だが、小ぶりの良く手入れされた松が多いので、邪魔にはならない。

紀州石、御影石、佐渡赤玉石など、北前船で運ばれてきたという庭石があちこちに置かれているが、こちらの方もウルサイほどの数ではない。全体にほどが良いのである。

京都の町屋でいえば石泉院町(平安神宮の南)にある並河靖之七宝記念館の庭など、きわめて洗練されたサイズ感をもつ庭が思い浮かぶ。

ただ、この旧小澤家住宅の庭についていえば、洗練さのなかに新潟の地域性というものも感じられて、別種の趣のあるものだった。

金沢庭園散歩

久しぶりに金沢を訪ねた。今回の目的は庭園の見学である。

(下は、片町武家屋敷群の一角にそびえる庭木)

爽やかな風に誘われて、強い日差しのなかを3日間歩き回った。

(下は、犀川の流れとツガの高木。井上靖の小説に登場するW坂を上り切ったところにある展望台から)

散策してまず気づいたのは、あたりを睥睨するように、ツガの高木が町のあちこちに立っていることだ。

(下は、7代目植治の設計になる辻家庭園のツガ)

もう一つ気づいたのは、成巽閣をはじめとして、キャラボクを効果的に使っている庭が多いことだ。

(下は、寺町にある辻家庭園の滝組、高さ5メートルの雄大なもの。富士山の溶岩を運んできて、コンクリートで固めたのだという)

その高木のことだが、歴史のある金沢城、兼六園の植栽に古木が多いのは当然だとしても、見学してまわったどこの庭にも、驚くほど太い樹木が1本か2本は必ず植わっている。

(下は、兼六園の根上松)

それで、どうも金沢辺りの施主は、古木・高木を好むようだという印象をもった。

(下は、金沢城に再現された櫓)

植栽のラインアップという面からみると、さすがに寒い地方の庭園とあって、キャラボク、ツガ、オンコ、ヒバなど秋田の庭と共通したアイテムが多い。

(下は、重文・三十間長屋の壁面。石組みの色彩の美しさが際立つ)

金沢の庭になんとなく親しみを感じるのはそのせいだろう。

最後に、兼六園の真弓坂の出口付近で、下の写真のキササゲを発見して、一層その感を深くした。

(これもかなりの老木で、中心部がほとんど枯れてしまっている)

箱根美術館の庭

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美術の会の遠足以来、30年ぶりに強羅の箱根美術館を訪問した。六古窯のコレクションで知られる美術館だが、今回の目的は庭園である。

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箱根美術館の庭は、広い敷地のすみずみまで神経が行き届いている。60年もの間、毎日手入れを続けているということだが、時間と労力をかけたらここまで洗練させることができる、というお手本のようなものだ。

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大涌谷の噴煙を見上げる借景、立体感に富む大小の石組み、200本のモミジが林立する苔庭、どれをとってもみごとなものである。

近年公開されるようになったコーナー(石楽園)で、二つ発見があった。

一つは、樹種を絞って庭に統一感をだす技法だ。石楽園の植栽をみると、「馬酔木」と「ヒノキ」がたくさん使われている。松などとは違って、馬酔木やヒノキは、通常庭の主役になる木ではない。あえてそれを多用した斬新なコンセプトの庭になっている。

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あまつさえ、岩にじかに根をおろし、あたかも岩の上に立ち上がったかのような風情の馬酔木があちこちにあり、それが滝組の水流とあいまって、散策する者が深山に迷い込んだかのような印象を与えている。

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もう一つは、ヒノキの若木の使い方である。まず敷地の外周にヒノキの垣根が使われていることに親近感をおぼえたが、それにとどまらず、茶室の通路、庭の真ん中を下る園路、巨岩の足元など、いたるところにヒノキの若木が配されている。

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スーッと伸びたヒノキの枝が、庭に若々しい表情を与えている。なるほどこういう使い方もあるのかと、長年ヒノキ科に属するヒバの高木と格闘してきた私にとっては、まさに目から鱗のデザイン・センスだった。

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晴れた一日とはいっても、さすがに箱根の高地、冬空をみながら散策しているうちに体が芯から冷えてきた。ただ、空気の清涼感に格別の味わいがあって、ああ冬の庭園も悪くないなあ、と思ったことだった。

庭の好み―旧三井家下鴨別邸

若いころからいわゆる名園とよばれる庭をずいぶん見てきたが、この頃になって、庭の味わい方に変化がでてきたようだ。

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一つは、自分の庭の好みがだんだんはっきりしてきたことで、例えばそれは、閉じた空間の庭よりも借景に開かれた庭、名石が見どころの庭よりも刈込がメインの庭により心地良さを感じるといったようなことだ。

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その伝でいうと、桂離宮よりも修学院離宮、醍醐寺三宝院よりも頼久寺の庭園ということになる。石川丈山の詩仙堂が好きなのもそうした理由とつながっているだろう。

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イギリスの風景式庭園のなかにもいくつか好きな庭があるが、だからといって決して自然そのままの景観がいいということでもない。イギリスの風景式庭園の景観は、大土木工事でつくられていることが多いからだ。

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こうした好みのことを、どう言葉で表現したものか考えているのだが、まだ適当な表現が思いつかない。広いか狭いかというよりも、それが清々するような空間かどうかということだろう。

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もう一つは、庭のディテールが面白くなってきたことだ。こちらの方は理由がはっきりしている。自分が庭の管理をするようになったからである。庭つくりの文法にかかわる、石組み、植栽、剪定の仕方といったものはもちろん気になるが、それが手入れがしやすい庭なのか手のかかる庭なのかといったような、マネージメントする側の視点でもみるようになった。

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そのせいで若いころよりも、かえって味わいが深まったように思う。天下の名園ならずとも、どんな地方のどんな庭にも、それなりに参考になるところが必ずあるからだ。

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今回の京都訪問でいうと、下鴨神社の南に位置する「旧三井家下鴨別邸」の庭が面白かった。観光客がひきもきらないあの鴨川デルタのすぐそばに、広大な敷地が広がっていて、糺の森を思わせる高木に囲まれた空間がつくりだす雰囲気には独特のものがある。

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おかげで無鄰菴をはじめて訪問したときに感じたのと同じあの新鮮な驚きの感覚を、ほとんど40年ぶりに味わうことができた。

(上の写真は、隣接する葵公園の尾上松之助”目玉の松ちゃん”像。銘文を蜷川虎三知事が書き、福祉事業への松ちゃんの貢献を讃えている。)