神戸での再会

眼下に神戸港を見下ろす神戸大学附属中等教育学校には、学会の研究会や教員研修会で何度かお邪魔している。

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今回は、研究会が終わった午後5時に、旧知の斎藤容子さん(ICU高校8期生 旧姓:福田さん)が迎えにきてくれた。容子さんのお嬢さん二人がこの学校の在校生で、しかもちょうどこの日に、長女・寛子さんの大学推薦が決まったというから、これは奇縁というほかない。(左が斎藤さん、中央が吉村さん)

斎藤さんは、私の人生の転機になった『海外帰国生―日本の教育への提案』(太郎次郎社 1990)に、ブローニュ市郊外での教育体験を「フランス語の教育が学校教育の基礎」というタイトルで寄稿してくれた人である。

学校から歩いて急坂をくだり、御影駅からほど近いモダンなお宅で昔話に花を咲かせているところに、関西学院大学での授業を終えた吉村祥子さん(ICU高校7期生)が合流、さらに話題が沸騰した。吉村さんが高校時代にプレゼントしてくれた小石原焼の湯飲みは、いまもわが家の食卓で活躍している。

(下の写真は、学校から斎藤邸に向かう途中の夜景)

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なかでも印象的だったのは、容子さんが、一緒にいった奈良・京都の旅をじつに詳細に記憶してくれていたことだ。ICU高校を卒業する容子さんと冨田麻理さん(西南学院大学)の二人を、私たち夫婦で、ガイドして回った旅のことである。

もう30年も前のことだから、それだけでも驚きなのに、いまは容子さん自身が、フランス人家族旅行者のために、奈良・京都の観光ガイドをしているという。あのときの旅が、こうした形でつながっている、そのことにも感銘を受けた。

近くのレストランで美味しい夕食を頂戴して戻ると、ご亭主の斎藤正寿さん(兵庫大学)も帰宅しておられて、さらに話題が、教育やら建築やらに展開していくからとどまることを知らない。ご夫婦の温かいもてなしのなせる業だろう。気がつけば時刻も12時になっている。

容子さんに会ってから、かれこれ7時間もおしゃべりを続けたことになる。慌ててつぎの再会を約し、吉村さんは西宮方面、私は三ノ宮方面への阪急電車に乗ったのだった。

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