法然院の庭

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たたずまいの良いお寺ときいてすぐに思い浮かぶのは、京都の法然院である。内藤湖南や河上肇のお墓がある寺だ。

長く続く参道をのぼっていくと、ちょっと高い土台のうえに鎮座する小ぶりな山門が、まず姿をあらわす。まるで柔らかい結界のような、風雅な印象を与える山門である。その山門がつくりだす額縁のような四角い空間の向こうに、季節ごとに表情をかえる庭の緑がみえている。

今回はじめて建物の内部を拝観したが、想像した通りのお寺だった。天井高が低めで、庭の植栽が建物のすぐ間際まできている。いきおい内部空間と外の景色が混然一体に感じられるから、物々しい感じがなく、居心地がすこぶるよろしい。学生ガイドの説明を聞いたり、庭の湧水で淹れたというお茶を頂戴したりして、ゆっくり半日過ごした。

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お寺のたたずまいも良かったが、貫主の梶田真章師の講話がまた良かった。いただいた資料に、年間100回以上も説法すると記されているが、お話の内容が現実社会の動向としっかりかみあっていてリアリティがある。

そもそも講話をはじめるまえに質疑応答の時間をとります、というお説教は初めてである。小乗と大乗の違いから始まって、日本の教派仏教のそれぞれの特徴や法然の「他力本願」の本来の意味など、こんなに分かりやすいお話は聴いたことがない。

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お寺でこうした感覚を味わうのはひさしぶりである。もう20年ほど前のことになるが、浄瑠璃寺で佐伯快勝師のお話に引き込まれて以来だろう。もともと浄瑠璃寺は好きなお寺だったが、佐伯師のお話を聴いてから浄瑠璃寺がいっそう好きになり、京都で研修会があった折に「ほとけの世界観とこころの国際化」という講演をお願いしたのだった。

それでふと思ったは、訪問者として当方が感じるお寺のたたずまいについての印象と、住持の方の姿勢というのは、相当深い関連があるのではないか、ということである。

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