月別アーカイブ: 11月 2016

冬支度4

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なかなか段取りがあわなくて、帰省が遅れているうちに、とうとう雪が降ってしまった。11月24日(木)は、東京で54年ぶりとなる積雪に振り回されたが、その翌日の金曜夕刻に秋田入りし、ようやく土曜日に冬支度の作業ができた。

ここまで帰省が遅れるのは珍しい。庭がうっすら雪に覆われ、軒下にも屋根から滑り落ちた雪がかなり積もってしまっている。ただ、天気が晴れたので、作業そのものに支障はない。

秋の作業はいつも垣根の手入れを主にしている。屋敷の北側の道路に面したユキヤナギの垣根がすっかり落葉して、まるで柴垣のような具合になっている。そのかわり、冬枯れた景色のなかで、ガマズミとムラサキシキブの実が、一入鮮やかに、光沢のある輝きをみせている。

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今回は、入院明けの作業を心配して、千葉から妹が参加してくれた。彼女も日ごろから、自分で庭木の手入れをしているので、さすがに手際が良い。二人で手分けをすると、いつもの倍以上のスピードで仕事が進む。

ニュースでみていると、秋田の天候は、前日の金曜まで雨や雪ばかり、日曜からはまた雨や雪の予報がでている。「作業をするならこの土曜日しかない」という貴重な一日にたまたまぶつかったことになる。

もうひとつ驚いたのは、日曜の朝の便から夕方の便まで、東京方面行の秋田新幹線がすべて満席だったことだ。緑の窓口の人によると、この混雑は、吉永小百合さんが宣伝している「大人の休日倶楽部」の影響らしい。私は、絶妙なタイミングで指定席券の「最後の一枚」を入手し、なんとか無事に帰京することができた。

そんなこんなで、今回は二重にラッキーな帰省になった。

大塚先生の記念シンポ

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先週、青山学院大学で「大塚久雄 没後20年記念シンポジウム―資本主義と共同体」があった。80人を超す参加者で大盛況、久しぶりにICUの大塚ゼミの面々とも顔をあわせた。シニアはもちろん、若い研究者の姿もかなりみられる。

没後20年たってこうした大規模なシンポジウムが開かれること自体そんなにあることではない。

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経済史研究の分野から報告者が3人、コメンテーターが2人登壇したから、論点が「コモンウィール」「アソシエーション」「欧州の経済統合」「ネーション」「宗教的コミュニティ」とすこぶる多岐にわたり、発表もそれぞれ力のこもったもので面白かった。

主催者側の配慮だろう。東大、慶応、立教、早稲田でそれぞれ大塚史学にふれた人たちが登壇者になっている。大塚さんからみると孫弟子の世代の研究者も多いことから、研究の広がりが実感できて、それも面白かった。

懇親会の司会を仰せつかったのだが、その場でも大いに刺激を受けた。スピーチのなかに大塚さんの学問の総合性と課題意識のアクチュアリティにもっと注目すべきだという提起があって、確かにこれからは、大塚さんの学問研究の含意を、経済史研究の枠を超えて検討していくことも必要ではないか、と感じたことだった。

法然院の庭

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たたずまいの良いお寺ときいてすぐに思い浮かぶのは、京都の法然院である。内藤湖南や河上肇のお墓がある寺だ。

長く続く参道をのぼっていくと、ちょっと高い土台のうえに鎮座する小ぶりな山門が、まず姿をあらわす。まるで柔らかい結界のような、風雅な印象を与える山門である。その山門がつくりだす額縁のような四角い空間の向こうに、季節ごとに表情をかえる庭の緑がみえている。

今回はじめて建物の内部を拝観したが、想像した通りのお寺だった。天井高が低めで、庭の植栽が建物のすぐ間際まできている。いきおい内部空間と外の景色が混然一体に感じられるから、物々しい感じがなく、居心地がすこぶるよろしい。学生ガイドの説明を聞いたり、庭の湧水で淹れたというお茶を頂戴したりして、ゆっくり半日過ごした。

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お寺のたたずまいも良かったが、貫主の梶田真章師の講話がまた良かった。いただいた資料に、年間100回以上も説法すると記されているが、お話の内容が現実社会の動向としっかりかみあっていてリアリティがある。

そもそも講話をはじめるまえに質疑応答の時間をとります、というお説教は初めてである。小乗と大乗の違いから始まって、日本の教派仏教のそれぞれの特徴や法然の「他力本願」の本来の意味など、こんなに分かりやすいお話は聴いたことがない。

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お寺でこうした感覚を味わうのはひさしぶりである。もう20年ほど前のことになるが、浄瑠璃寺で佐伯快勝師のお話に引き込まれて以来だろう。もともと浄瑠璃寺は好きなお寺だったが、佐伯師のお話を聴いてから浄瑠璃寺がいっそう好きになり、京都で研修会があった折に「ほとけの世界観とこころの国際化」という講演をお願いしたのだった。

それでふと思ったは、訪問者として当方が感じるお寺のたたずまいについての印象と、住持の方の姿勢というのは、相当深い関連があるのではないか、ということである。

岡山版プレゼンフェスタ

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10月21日に、岡山版のプレゼンフェスタがあった。県下の商業高校9校から、津山商業高校にあつまった生徒40名が、即席で混成チームをつくり、ほんの数時間の準備時間の後で、半即興の演劇的プレゼンテーションに挑戦するプログラム。正式名称は「マーケティング分野生徒対象研修会」である。(下の写真は、徳守神社)

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東京でやっている高校生プレゼンフェスタとの違いは、①分散して津山市内にでかけ、町のなかで実際にリサーチワークを行うこと、②津山市内の「ツアー・プラン」をアピールする発表だが、形式をポスター発表と限定し、それにスキットなど様々な演劇的技法を組み合わせる方法をとること、③1泊2日の宿泊研修の形になっていること、の3点である。2日目には、各校対抗のプレゼン・コンテストがある。1日半にしては、相当に盛りだくさんのプログラムといえる。

本番の様子について、委員長の槇野滋子先生(津山商業高校校長)が以下のようにコメントしている。「開会直後に起こった地震…鳥取を震源地にした地震で、津山も震度4。会場にいた全員が机の下に潜って、激しい揺れがおさまるのを待ちました。一時は、研修会の中止も考えました。」

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だが、「地震という不測の事態さえも、2日間のドラマのエピソードに感じられるような、見知らぬ他人同士の生徒達が瞬く間にすばらしいプロジェクトチームとなっていく様、前日の学びを糧に時間と闘いながらブラッシュアップした各校のツアープランの「魂」のこもった出来…今思い起こしても胸が熱くなりそうな出来事の連続でした。」

槇野先生が“奇跡”と呼ぶ展開はどうして起こったのか。理由は色々に考えられるが、なんといっても、1年もの周到な準備を重ねて、初めての企画に意欲的に取り組んだ、運営委員の先生たちの努力に負うところが大きいだろう。

もう一つは、会場となった津山市の地の利にあるように思う。松平10万石の城下町・津山は、文化的・歴史的な資源が豊かだというだけでなく、町の大きさも高校生のフィールドワークに向いている。(下は2日目、帰っていく参加生徒のバスを見送る委員の先生たち)

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津山は、もともと蘭学の盛んな土地柄で、内科学を中心に明治期日本の医学界をリードする人材をたくさん輩出しているということも、今回初めて知った。(「珈琲」の漢字の発祥は津山、一つ上の写真は蘭学者・宇田川榕庵の「珈琲罐」を復元したもの)

来年も更にブラッシュアップした研修会を企画していると聞いた。さてどんな展開になるのか、いまから大いに楽しみである。

修論、卒論の執筆が佳境に

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修士論文と卒業論文の執筆が、いよいよ佳境に入ってきた。先週は、修士論文の中間報告会があり、張さんが「「素質教育」の推進における演劇教育の役割に関する研究―石家荘の談南路小学校を例として」、小宅くんが「ドラマケーションが生徒に与える影響について―足立区に着目して」と題して発表した。

どちらも学校のフィールドワークを基礎にした報告で、教育現場の実態に即して論理を組み立てているところが共通している。材料が出そろってこれからようやくゴールが見えはじめるところ、このあとの詰めの作業が、仕上がりを左右することになる。

この日は、木村くんも応援に駆けつけ、にぎやかな夕食会になった。

梅小路の鉄道博物館

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先日、岡山県立津山商業高校の校長・槇野滋子先生に、いまは観光施設になっている津山駅の転車台を案内していただいた。(上の写真)

JRのOBの方々なのだろうか、資料館で説明してくれる年配の人たちが、実に生き生きしている。余り熱心に解説してくれるものだから、こちらまでつられて楽しい気分になった。

蒸気機関車もきれいに整備されて扇型の車庫に並んでいる。高校2年生までSL列車で秋田市に通学していたから、なんだか懐かしい。

わたしもデボン州のペイントンで乗ったことがあるが、産業遺産の保護に熱心な英国では、いまもあちこちで蒸気機関車が走っている。きっと日本もそんな時代になってきたのだろう。

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それで京都にいったついでに、梅小路の京都鉄道博物館にいってみることにした。ずっと気になってはいたが、ついぞ訪ねる機会のなかったところだ。鉄道ファンが多いと聞いていたが想像以上で、外国のお客さんもたくさんつめかけている。

%e4%ba%ac%e9%83%bd%e3%83%bb%e6%b4%a5%e5%b1%b1-087夕方に到着したせいで、ちょうどこの日最後の蒸気機関車の走行にいき合わせた。もうもうと上がる黒煙と車体から噴き出す白い水蒸気をごくまじかで見ているうちに、わたしはモネの「サンラザール駅」を思い出した。

転車台を何回転もしてみせてくれたり、ショベルカーで石炭を入れる作業を披露したりと大サービス、盛大にポーを鳴らすは、運転手さんがカメラマンにむかって何度も手を振るはと、実にショーアップしている。見物客はもちろんのこと、何より働いている人たちが楽しそうなのが良い。

それで、もう一度ゆっくり来てみようか、という気分になった。