昨日は第97回の定例会だった。新企画として、会員がもっている手持ちのアクティビティをみんなで体験する時間をもつことにした。まずは、最近『クラスがみるみるまとまる「毎日レク」』(明治図書)を出版したばかりの栗原茂先生(帝京小学校)がファシリテーターをしてくれた。
以下の文章は、獲得研のアクティビティ研究のスタンスにふれたもので、日本大学教育学会の「会報」(No.65 9月30日付)の巻頭言を再録したものである。
このところ「アクティブ・ラーニング」という言葉が、あちこちで取沙汰されている。学習指導要領の改訂に向けた動きの一環である。教育課程企画特別部会のだした「論点整理」を読むと、学習者の主体的・協働的な学びを実現するには、たんに特定の型を導入するという発想ではなく、「学び全体」を改善するという見方が必要だという。
たしかに、これまでともすれば特定の表現技法だけに社会的注目が集まる傾向にあった。1990年代のディベート・ブームがその典型だし、2000年代のプレゼン・ブームにも似たような面がある。それに対して、今回の「アクティブ・ラーニング」の特徴は、学習システムの改革に焦点があたっていることだと言えるだろう。
90年代から、「日本の授業のバランスを、知識注入型から参加・獲得型の方向にむけて徐々にシフトする必要がある」と提唱してきたものとしては、「四半世紀かかってようやくここまできたか」と、いささかの感慨もある。参加・獲得型の学習体験こそ、参加民主主義の基盤をつくるものであり、ひいては新しい市民社会の形成にもつながっていると考えるからだ。目指しているのは、「自立的学習者=自律的市民」を育む教育である。
ただし、ことはそう簡単ではない。実際のところ、なんらかの「アクティビティ」を介在させることなしに、アクティブ・ラーニングも獲得型授業も成り立たないのだが、現状ではそれさえ共有されていないからである。ここでいうアクティビティとは「学習者が主体となって取り組む、さまざまなゲーム、ロールプレイ、シミュレーション、プレゼンテーション、ディスカッション/ディベートなど諸活動の総称」である。このアクティビティこそ学びの場における「共通言語」であり、スポーツでいえばルールにあたるものだ。
アクティビティが共有されてこなかった理由は色々ある。その一つに、日本の場合、教育内容の国家的統制が際立って強いことが挙げられる。その分、教育内容ほどには教育方法に関心が向かわず、さらには教育方法研究の土壌が深く耕されてこなかったからである。
それで2006年に、「参加型アクティビティの体系化と教師研修システムの開発」を課題とする獲得型教育研究会(略称:獲得研 会員:45名)を創設し、「獲得研シリーズ 全5巻」(旬報社)の刊行に取り組むことにした。獲得研では、新しい社会の共通教養の中核に、参加型アクティビティの習得を据えたいと考えている。
これまでに16の「ドラマ技法」、70の「ウォーミングアップ技法」を解説する本を刊行し、近くシリーズ第3巻にあたる『教育プレゼンテーション』(30技法を収載)をだす。いつもの通り、技法の「解説編」と「実践編」をセットで紹介する本で、小学校から大学までの様々な授業実践を並べている。
足かけ10年の間に、96回の定例研究会と5000通を超えるメールのやりとりを重ねてきたわけだが、私たちがコツコツやってきた「アクティビティの体系化」という仕事は、いわば民主的な市民社会を形成するための基礎作業であり、まあ、辞書をつくるのとそう変わらないとても地味な仕事である。ただ、それこそが私たちのミッションだと思い定めている。
「未開拓の領域だから、とにかく行けるところまでいってみようよ」、メンバーとそんなことを語り合いながら、これからも共同研究を続けていくことになる。