月別アーカイブ: 8月 2015

読谷ツアー

読谷村を最初に訪ねたのは1985年の盛夏、ちょうど30年前である。それから何度も読谷にいってはいるが、この時期の訪問ということになると、あまり記憶がない。ひょっとして85年以来なのかもしれない。

あかり座沖縄公演 039

あかり座沖縄公演 042

今回も、はじめての時と同じ夏空が広がっていたが、30年の間に、村の様子はずいぶん変わった。やちむんの里には窯場がふえ、道路もきれいに舗装された。(上の写真:やちむんの里、共同窯は屋根の嵩上げ工事中だった。)

読谷で殊に好きなのは、座喜味城跡からの広大な眺望である。ただ、これもずいぶん変化があった。海を背にそびえていた“象のオリ”の姿が消え、読谷飛行場の跡には立派な村役場も建っている。(下の写真2枚:座喜味城跡で。)

あかり座沖縄公演 043

 

あかり座沖縄公演 044

(下の写真:残波岬から西側の海をみる。)

あかり座沖縄公演 049

いま読谷の人口は3万8千人、日本最大の村だという。(下の写真:残波岬の灯台。空気が澄んでいて、灯台の線がクッキリみえる。)

あかり座沖縄公演 050

今回の見学は、宮崎充治先生(桐朋小学校)のアレンジである。大型の個人タクシー1台だから、好きな場所で思うさま時間を使い、ゆったり見学できるのが良い。お蔭でチビチリガマだけでなく、シムクガマも訪ねることができた。波平の住民千人が避難した洞窟で、奥行きが2570m、死者がでなかったガマとして知られている。(下の写真:シムクガマから外を見る。ガマはとてもきれに保たれている。)

あかり座沖縄公演 052

あかり座沖縄公演を成功裡に終えた安堵感もあっただろうか。大いに会話の弾む見学会だったが、例会とは一味違う話題で盛り上がるところが面白かった。

あかり座沖縄公演

20150820all1

今回のあかり座公演は、3者―獲得研、沖縄歴史教育研究会、不屈館―の共催である。テーマは「教育プレゼンテーションで学ぶ沖縄現代史」。会場を提供していただいた「不屈館 瀬長亀次郎と民衆資料」は、民設民営の組織だ。(写真:久しぶりに座旗も登場)

あかり座沖縄公演 012

第1次公演(2005年)から数えて10年目。会員の(自己)研修という性格は変わっていないが、今回の第2次沖縄公演には、新しい要素がいくつもあった。最大の変化は、公演の性格そのものにある。前回の公演は、「中高生のためのアメリカ理解入門」(明石書店)を使った公開授業を嘉手納高校と沖縄大学で行うもので、どちらかと言えば、開発したコンテンツの普及に比重があったといえる。(写真はガイダンス風景)

あかり座沖縄公演 015

それに対して今回の公演は、不屈館の資料を素材として「ニュース・ショー」形式のグループ・プレゼンテーションを創るもので、沖縄の先生たちに平和学習の新しい方法を提案することに目的がある。「第五福竜丸記念館」、「東京大空襲・戦災資料センター」の資料で試行した“教師たちのプレゼンフェスタ”のノウハウを、沖縄でも活かしてもらおうというのだ。(写真は、内村館長に取材中)

近くの若狭公民館でプレゼンの作成を進める

近くの若狭公民館でプレゼンの作成を進める

ただ、こと沖縄現代史の理解ということになると、当然のこと現地の先生たちに依存する度合いが高くなる。室中直美さん(国際文化フォーラム)のように、50回も沖縄に通っている猛者もいるにはいるが、獲得研のメンバーが沖縄史の専門家という訳ではないからだ。

若狭公民館からみる夏空

若狭公民館からみる夏空

今回は、そのあたりのコラボレーションが絶妙だった。ことに大城航先生(泊高校)の基調提案「沖縄における現代史学習の課題」で、沖縄の基地化が沖縄戦の前からの周到な計画によるものだったこと、住民を収容所に入れている間に米軍による土地収用が行われたこと、従って沖縄戦こそが沖縄現代史の起点となっている、という認識が示されたことが大きい。これまでのような「沖縄戦の終結で終わる平和学習」を変えていく必要があるというのだ。

8月20日は、3つのチームに分かれてプレゼン作成に挑戦した。午前9時半に受付開始、11時過ぎにメンバーが発表されて、3時には発表本番となる。何しろはじめて出会う者同士である。4時間の間に、自己紹介から、リサーチワーク、テーマの絞り込み、シーンづくり、リハーサルまでいく。昼食時間の確保も必要だから、時間のマネージメントということが大きなカギになる。

「基地全面返還10年」「理不尽からの距離」「民衆と瀬長亀次郎」と題された3本の発表は、どれもよく練られた内容で、その分、振り返りのセッションも活発なものだった。すでにMLで公演の感想が飛び交い始めたが、成果と課題は、9月の例会で整理されることになっている。

ともあれ、大きな手応えを得た沖縄公演だったことは確かである。

KLで“にほんご人フォーラム”

日本人が寄贈した建物という

日本人が寄贈した建物という

今年の“にほんご人フォーラム(JSフォーラム)”は、マレーシアのクアラルンプールで開催された。ツインタワーに象徴されるクアラルンプールは、思っていたよりもずっと活気のある都市だった。

国際ユース・センターに、6ヶ国(タイ、マレーシア、インドネシア、ベトナム、フィリピンそして日本)の高校生・24名が集まった。まず、彼らが4つの混成チームに分かれ、お互いに知り合うことからはじめる。それから1週間かけてプロジェクト学習を展開し、最後にその成果をグループ・プレゼンテーションとして発表する。取り組むテーマが「思い込み」とあって、例年のテーマよりぐんと抽象度が高い。

ミニ・マレーシアにある伝統住宅の内部

ミニ・マレーシアにある伝統住宅の内部

さてどんな発表になるのかと心配半分で見守ったが、それぞれの国から持ち寄った衣食住や風俗にかかわる具体的な情報をつきあわせたり、プログラムの途中でやった施設「ダイアローグ・イン・ダーク」でのブラインド体験をふり返ったりして、思い込みがどんなふうに生まれるのか、彼らなりに解明しようとしている。

ミニ・マレーシアでは伝統舞踊も見学

ミニ・マレーシアでは伝統舞踊も見学

終わってみれば、クイズあり、スキットありの賑やかな発表で、4チーム(各10分)の発表が、どれも生き生きと躍動していた。クアラルンプール周辺の高校から招待された300名近い日本語履修生も大満足の報告会になった。

準備過程をみていると、いまどきの高校生たちは、スマートフォンでどんどん追加情報をえている。たくみにPPTもつくる。都会の学校から選ばれた生徒が多いせいもあるだろうが、いまは、国を問わず、若者を取り巻くメディア環境が早い勢いで変わっていることが実感される。

マラッカのオランダ広場

マラッカのオランダ広場

今年で4回目を迎えたフォーラムだが、初めての海外開催というだけでなく、今回はいろんな新機軸があった。その一つは、現地の先生たちがタッグを組み、国際交流基金の先生と一緒になって、混成チームの指導に当たったことだ。マレーシアの3人の先生たちは、プログラムの間中、ずっと日本語だけで生徒の指導を続けた。なんともみごとなものである。

左から、ウェイ、中野、アン、スガンの各先生

左から、ウェイ、中野、アン、スガンの各先生

それで私は、改めて1999年の夏に代々木のオリンピックセンターでやった「日韓米グローバルクラス」を思い出した。48名の生徒が、「大都市東京と自然」という大テーマのもとで、演劇的プレゼンテーションの創造に挑戦するプログラムだ。あのときも、韓国の権泰奎先生、権俊先生のお2人が、日本語だけ使って3ヶ国の生徒を指導してくれたものだった。

16年という歳月を隔ててはいるが、グローバルクラスと同じコンセプトをもつ活動が、こうしてクアラルンプールの地で実現する様子を目の当たりにすると、やはり感慨深いものがある。

 

夏休み

3年ゼミ 003

7月一杯授業があって、最近の大学はとても忙しい。加えて6、7月に、講演会、学会研究大会のコーディネーターなどの仕事が8週間にわたって続き、ほとんど休みなしの状態、青息吐息で8月を迎えた。

8月からは、仕事のフェーズがぐんと変わる。休み中に2冊の本の編集、大きな論文の執筆、マレーシアで行われる「にほんご人フォーラム」への参加、あかり座沖縄公演などがまっているからだ。

ところがこの暑さである。いまのところ健康を保てているのは有難いことだが、自分の体力・気力とどう折り合いをつけて仕事をするのか、手さぐりの毎日である。

写真は、7月最終週にあった3年ゼミの懇親会、例年に負けず劣らず活気があるゼミだ。4年生の卒論ゼミの方は、前の週に暑気払いをやったが、8月中にもう一度やる予定になっている。9月には恒例になった院ゼミの研修旅行がまっていて、院生たちの準備も、徐々に活気を帯びてきたようだ。