書、画、陶器など、作品が40点ばかりでていて、どれも良い。今年は井上有一(1916―1985)の書に呼ばれているようだ。
最初は、獲得研の新春合宿のこと。「東京大空襲・戦災資料センター」にいったら、2階の会議室に「噫横川国民学校」(1978)の大きなコピーがつりさげられていた。横川国民学校は、大空襲の当日、若き井上有一が宿直勤務をしていた学校である。1000人もの人々が避難のために殺到してきて、あらかたの人が命を落とした。阿鼻叫喚というべき内容と文字の勢いがあいまって、私はその場でくぎ付けになった。展覧会の略年譜によると、井上は「昭和20年3月10日米機大空襲により仮死。約7時間後に蘇生」とある。
獲得研の合宿から10日ばかりあと、こんどは京都御池通のギャラリーで、「花」「風」などの文字が、抽象絵画のように躍動している作品をみた。
そして今回の展覧会である。「莫妄想」(1969)、「必死三昧」(1969)、「宮沢賢治・よだかの星」(1984 コンテ、和紙)など仏教的なモチーフの作品が目立つ。太い筆先がうねるように紙面のうえで踊る「死」(1963 凍墨、和紙)をみているうちに、建長寺の古木・ビャクシンの木肌を思い出したことで、一層その印象が強まった。
会場のVTRで、井上の制作風景をみた。殺風景な板張りの部屋で、ウンウン唸りながら、全身で文字を書いている。彼にとって書は、楽しい仕事ではないらしい。心を決めてアトリエに入り、流派や様式にとらわれない独自の世界を、気力を振り絞って切り拓いている。アトリエの床一面に飛び散った墨が固まって、もういたるところ真黒である。
私は井上有一の覚悟ということについて考えざるをえない。それにしても、求道者然とした不敵な面構えの書家・井上有一と小学校の校長さんを定年まで勤め上げた井上有一先生の像が、いったいどこでどうつながっているものなのか、不思議もまた尽きない。(7月26日まで、菊地寛実記念 智美術館)