黒石寺の薬師如来・みちのくの仏像展

黒石寺(岩手県奥州市)の薬師如来像にほとんど35年ぶりに対面した。「東北三大薬師」というそうだ.東京国立博物館の「みちのくの仏像展」に、黒石寺、勝常寺(福島)、双林寺(宮城)の薬師如来が勢ぞろいしている。

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会場では、入り口正面のガラスケースで、まず天台寺(岩手・浄法寺町)の“鉈彫り”聖観音が迎えてくれる。顔や腕の平滑さと体部(胸部と衣服)の鑿あとの荒々しさが鮮やかなコントラストをみせる像で、手指の表現などは極めて繊細である。

展示スペースは「本館特別5室」という1部屋のみ。エントランスの階段裏にあたる大きなスペースではあるが、それでも1部屋は1部屋である。特別展という宣伝のわりには小規模だなあ、というのが第一印象だった。

1980年代のはじめころ、なんどか東北の地方仏行脚にでかけた。そのとき別々に出会った仏たちが、こうして一堂に集まっているのを見ると、不思議な感じがする。

最初の旅は、1981年の晩夏である。20代最後の夏。「美術の会」の3泊4日の研修旅行だった。まず天台寺に直行して鉈彫りの諸仏を拝し、そこから盛岡を経由して成島毘沙門堂、藤里毘沙門堂、黒石寺、中尊寺などを訪ねるプランをみんなでつくった。北上川流域の寺である。準備は万端、往復はがきで拝観の許可もとった。

東京散歩 008

ところが、ちょうど出発日当日に大きな台風がきた。上野駅まではいけたが、東北本線の急行「盛岡1号」が運休になった。強い雨がホームの屋根を叩いて水しぶきをあげている。さてどうしたものか。ところが、メンバーはみな若く血気盛んである。集まった8人の誰ひとり中止を言い出さない。「常磐線がかろうじて動いている。とにかく、いけるところまで行こう」ということになった。

こうして海岸線を走る列車に飛び乗ったが、動いては停まり、動いては停まりを繰り返すから、仙台につくころには夜になった。駅前のビジネスホテルに投宿。翌日はうそのような快晴である。それからレンタカーで一帯を駆け回り、花巻では宮沢賢治の羅須地人協会やイギリス海岸もいった。

この旅で圧倒的存在感を放っていたのが、今回展覧会のポスターになっている黒石寺の薬師如来像である。貞観4年(862)の墨書名があるから、貞観地震の7年前の制作ということになる。頭部を拝すると、一粒ひとつぶくっきりと大きい螺髪、厳しい目と引き締まった表情で貞観仏に特有の神秘的な顔貌をあらわしている。とりわけ反り返ったように盛り上がる上唇が強い印象をのこす堂々たる像である。

黒石寺は、境内の佇まいがまたいい。鬱蒼とした木立を背に、低い石段が横に長く築かれていて、その壇のうえに本堂と庫裡が並んで建っている。ご住職の案内で、庫裡から斜面をよこぎるようにしてお堂についた。目の前に瑠璃壺川というゆかしい名前の渓流がある。

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お堂のなかに三脚を立てて、スライドの撮影をさせてもらった。それで、この薬師如来像がきわめて正面性の強い像だということが分かった。横から拝すると、像の奥行きが乏しくて平板な印象なのである。頭部などはいわゆる“絶壁”になっている。今回のようなあけっぴろげな展覧会場であらためて見ると、下半身の彫りも簡素である。

同時代ということでいえば、神護寺や元興寺の薬師如来像が放つ豊かな量感とはかなり印象の違う像ということになる。逆に、正面性の強さに、この地の地方性がタップリ現れているともいえるだろうか。

あれこれ思い出しながら会場をめぐっているうちに、20代のころの感覚がしだいに甦ってきて、ちょっと落ち着かない気分になった。外にでると、本館前のユリノキが、夕景のなかできれいなシルエットをみせている。近づいて膨らみかけた蕾をぼんやり眺めているうち、そうか、どこか落ち着かない感じがしたのは、展示空間に若いころの心象風景が刻印されているからだ、と気づいた。

なるほど、青春時代というのは、人生の彷徨をうちにはらんでいる分、ただ懐かしいだけの時代ではないようである。(4月5日まで)

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