3月1日に、パウル・クレー(1879~1940年)の展覧会をみた。テート・モダンをでたら冷たい雨がふっている。日本でも洪水のニュースが流れたほどだから、テムズ川がいつになく増水している。右手に濁った水面を眺めながらナショナル・シアターまで歩くうち、クレーのことをあれこれ考えた。
肌合いというのだろうか、クレー作品に漂う工芸的なるものが私には心地いい。ワイマールのバウハウスで、製本、メタル、ステンドグラスのワークショップをやったと書かれていて、なるほどと思った。
とりわけクレーの線にいつも魅かれる。「They’re Biting」(1920)など、初期の作品に典型的な、水彩の地にオイルで描かれた細い線、そのかすれたような線が諧謔味と批評性をはなっている。空間構成にもひかれる。カタログの表紙を飾る「赤緑と紫黄のリズム」(1920)など、コンポジションの諧調のみごとさは、おそらくクレーが名うてのバイオリストだったことと関係するのだろうし、それが色調の深い美しさをともなうので目が離せない。
展覧会のタイトルは、“Making Visible”。「芸術は目に見えるものを再現するのではなく、見えるようにするものである」という彼の有名な言葉からとられていて、初期から晩年までの132点(17室)が展示されている。様式の目まぐるしい変化を一望し、同時にカンディンスキーなど他の作家との交流も分かる構成である。それで戦間期の芸術家としてのクレーの作品が、否応なく時代の変化を刻印されていることがはっきりする。
私には、ナチスの台頭と1933年のバウハウス閉鎖、翌年のベルン郊外への移住、そして亡くなるまでの作品群がとくに印象深かった。14室から17室までの展示だが、この時期の作品には、寒色が基調となるものがぐんと目立つ。
「Pass to the Blue」(1935)では、荒々しい群青色が画面全体をおおっている。少し離れると真っ暗にしか見えない。画面の左上に、太陽だろうか、月だろうか、青い楕円が深い色をたたえて、空間に溶けこむように浮かんでいる。画面の下半分は、右下からはじまる茶色いジグザグ道が、次第に細くなって群青色のなかに消えている。なぜだか、深い悲しみを単純化した画面と穏やかな色調に昇華させた熊谷守一さんの「ヤキバノカエリ」を思い出した。
第1室に、手書きの作品カタログが展示されている。このノートを見ていると、クレーが自分の芸術的歩みにいかに自覚的だったかがよく分かる。9400点以上ともいわれる彼の作品群は、徹底した方法研究に支えられていた。方法への熱意と生み出される作品の完成度とはしばしば一致しないものだが、クレーにあっては、知的な探究と作品の感興の深さのバランスが奇跡のように絶妙である。
うす暗い会場に飾られた小品群。初見の作品が多いから、一巡するのに2時間かかり、解説を見直しながらもういちど会場をまわったら3時間半たっていた。さすがに目がかすんで諦めた。
月末にでる獲得研の新刊『教育におけるドラマ技法の探究』のカバーに、明石書店の大江さんがクレーの絵「子供たちと犬」を使ってくれるという。それで今回の展覧会が、さらに印象深いものになった。