4月14日まで、ロンドンの王立美術院でマネの肖像画展がひらかれている。噂通りの盛況である。11時半に当日券売り場にいくと、いつも閑散としている建物の前に50~60mの行列ができていた。時間差をおいて、20人分ずつ発券しているらしい。
ルノワールやモネなどは日本でも見る機会があるが、マネの油絵50点となれば話はべつだ。イギリス人でなくたって並んででも見よう、という気になる。
最後尾に立っていたら、白髪の老婦人が近づいてきて、手に持っているこの入場券を12ポンドで買わないか、という。「まさか、ダフ屋まででるのか?」と驚いていると、当日券は15ポンド(2250円)だからお得なはずだ、と意外なことをいう。それに、水色のレインコート姿が、どうみても律儀な英国婦人そのものである。
きけば、午後2時15分入場指定の予約券で、時間の都合がつかなくなったから手放したいのだという。理由はわかったが、丁重にお断りし、50分ほど並んで入場した。
内部もかなり混雑している。週日の昼間とあって大方が年配者である。イヤホンガイドを聴く人が多いところまで日本の展覧会と似ている。違っているのは、ベビーカーを押すご婦人や車椅子を利用する人の姿がめだつことと、人を押しのけてでも見ようという人が誰もいないことだ。
輪郭線のない絵だから、最初はちょっと頼りない印象だが、すぐに色彩や光の心地よい諧調につつまれる。1室、2室とすすむうち、黒い洋服の人物像が多いことに気がついた。例の「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」(1872年)の衣装などは、つやつやと濡れたように輝いているし、花鳥図屏風と相撲取りの浮世絵を背景にした「エミール・ゾラ」(1868年)では、黒い上着が彼の白い横顔の英哲さをいっそう際立たせている。
そう思ってみると、「ランチョン」(1868年)、「アントニン・プルーストの肖像」(1880年)、「アマゾン」(1882年)など、黒い衣装の人物像が20点以上もある。驚いたのは濃淡も、光彩も、透明感も、質感もそれぞれ違っていることで、マネが黒の表現にどれだけ工夫を凝らしていたかが一目瞭然である。
あまりに楽しかったから、第1室までもどって、黒をテーマに会場をもう一巡してみた。ロンドンでこんなにフランス絵画を堪能したのは、5年前に、コートールド・ギャラリーでセザンヌ展の収蔵品のレベルの高さに仰天して以来である。