日本に帰ったとたん、忙しさと花粉症がいっしょに戻ってきた。
旅先での失敗がたくさんある。今回は、ミュージカルの開演に遅刻した。「オペラ座の怪人」のはじまりは7時半(日本時間・午前4時半)である。
取材で街中をかけまわり、4時にホテルにもどってちょっと休んだのがいけなかった。「ハッ」として目が醒めたらちょうど開演時間だった。劇場までドア・ツー・ドアで25分はかかる。
そもそも「オペラ座の怪人」というのが鬼門である。以前、夏のブロードウェイであかり座メンバーと観たときは、会場の冷房が強すぎてとても芝居に入り込める状態ではなかった。みな平然としている様子をみると、ニューヨークの人たちの寒さへの耐性は尋常でない。そちらの発見の方が大きかった。
ハー・マジェスティーズ劇場のがらんとした玄関ホールにかけこむと、大柄でふくよかな案内人の男性が、演台のような細長いテーブルをかかえてぽつねんと立っている。
それ自体が絵のような景色だ。チケットをだして中入りの時間をたずねたら、まだ35分あるから、いまから会場まで案内するという。
燕尾服の背中を追っていくと、いったんもとの道路にでて、劇場の建物を右手に回りこむではないか。最初のドアのまえで立ち止まり、ポケットからすばやく鍵をだしてドアを開け、私をなかに招じ入れた。ほとんど敏捷といっていいくらいなめらかに動く。
建物のなかは真っ暗だが、どうも狭い廊下かなにかのようだ。もうひとつドアをくぐったら、もうそこが一階観客席のうしろ側の通路だった。
とりあえずこのあたりの空いている席で芝居を観ていろという。もともと私が予約した席は、7列目のまん真ん中である。10数人の観客に立ってもらわないと、座席にたどりつけないのだ。
休憩時間になって、本来の席についたら、珍しく若い日本人女性のとなりである。小柄で可愛らしい声の持ち主だ。きけば、語学研修でロンドンにきた早稲田大学の2年生で、はじめてのミュージカル鑑賞なのだという。理科教師をめざしている人らしい。
「オペラ座の怪人」はひときわサービス精神旺盛な舞台である。怪人が宙乗りで歌うは、床から何本も火柱が噴き出すはと道具立てが派手なうえに、マジックで主人公が姿を消す趣向もあって、最後まで観客を楽しませる。クリスティーヌ役者の方は、伸びのある歌い方はいいのだが、ややかすれた声質である。
ピカデリーサーカスの駅に向かう途中、くだんの学生さんが、教師という職業への憧れと抱いている不安について語ってくれた。そんなこんながあったせいで、芝居の中身もさることながらむしろ彼女の初々しい向学心のほうが印象に残る一夜だった。