今回のロンドンは晴れの日が続いている。キリリとした寒さで、ものを考えながら歩くのにちょうど良い。
アクティビティの教育的意義から目を離せなくなったのは、1995年からである。きっかけが二つある。
ひとつは、イギリス人とオーストラリア人の若い同僚がやってくれたICU高校でのドラマ・ワークショップだ。それぞれの国でドラマ教育を学んだ二人だが、使う技法はほとんど共通だったことから、のちに「学びの共通言語としてのアクティビティ」という発想が生まれることになる。
もう一つが、当時カナダにいたD.セルビー教授(ケント大学→トロント大学→プリマス大学)のグローバル・エデュケーション・ワークショップだ。こちらは筑波大学附属駒場高校のホールが会場で、参加者は教科研で活躍する生きのいいメンバーたちだった。
4時間のワークショップでつかわれるのは、ゴーイング・ドッティー、ウーリー・シンキングなどわずか4つアクティビティである。その分たっぷり話し合いに時間をとる。彼のもの静かな語り口とあいまって、感情的熱狂からはるかに遠い知的なファシリテーションである。
1980年代からアクティビティ・ブックがいくつか翻訳されていたが、グローバル・イシューの存在を可視化したり、参加者の学びを深めたりするツールとして、アクティビティが実際に機能する場面にふれたのが新鮮だった。
ワークショップの翌日、セルビー夫妻とわれわれ夫婦で高尾山にのぼった。自然が好きだという二人は、瞑想を好み、東洋的なものに関心が高く、そのうえ質問魔である。ついでのことに、神聖な場所にどうしてこんなにゴミが多いのか、と穏やかに問いただされた。
彼らのエピソードもたくさん聞いた。そのなかに、同僚のG.パイクと組んで1000種類近いアクティビティのストックをそろえたことや、夫人と出会ったその日から二人で丸2日間語り続け、とうとう結婚にまでいたった経緯が含まれている。
とにかくポテンシャルが高い。その本たるや『グローバル・ティーチャー グローバル・ラーナー』のようにスケールの大きいタイトルがついているというだけでなく、そもそも物理的ボリューム自体が大きいのである。それをたくさんかばんにつめて飛びまわっている。
その後も、セルビー招聘の立役者である河内徳子先生(大東文化大学教授 故人)を中心に共同研究をつづけ、1997年に『学習の転換』(共編著 1997年 国土社)を出版した。気鋭の研究者、実践家、NPO関係者17人が執筆する本だ。
その第1章「授業をどう変えるのか―学びの手ごたえ 学びの味わい」が、わたしが正面からアクティビティにとりくんだ最初の原稿である。ここでは、アクティビティを日本の教育界で使われてきた「活動」という言葉ではなく、あえてカタカナのまま表記し、より広い概念として定義することにした。それが今日までつながっている。
末尾で「やがては、日本で開発された優れたアクティビティが海を越えて、世界に紹介される時代がくるのではなかろうか」と予言したが、この間の蓄積の大きさを考えるにつけ、これもそんなに遠い将来のことではないだろう、と感じている。