いまロンドンでこの文章を書いている。はじめて出版した教育実践集が、NHKブックスの『帰国生のいる教室-授業が変わる・学校が変わる』(1991年 和田雅史さんと共編)である。これはICU高校の同僚たちと3年がかりでつくった本で、いわば自主的な職場研修の成果物といってよい。
企画書を自分で書いてNHK出版に提出するなど、はじめて尽くしの本だった。まだ、執筆者のだれも単著をもっていないころだし、ラフ原稿さえなかったのだから、架空のプランでよく企画を通してくれたと思う。
さいわい「天声人語」でとりあげられるなど、好評をもって迎えられた。帰国生問題への社会的関心が高まっていたという客観情勢のほかにも、いくつか幸運が重なっている。
一つは、学校の草創期からの経験を共有する多彩なメンバーが集まったことだ。その後、グループ9人のうち4人まで大学に転職しているところをみると、もともと研究志向の強い人たちである。それでも読み物を書くのはむずかしい。章立ては、政経、キリスト教概論、カウンセリング、英語、日本語、保健体育、物理の順である。
もう一つは、獲得型授業論を提起した『海外帰国生』(1990年)の翌年の出版だったことだ。おかげで実践と獲得型授業の理論を融合させて問題提起する本ができた。わたしは1章「生徒と教師の「政経レポート」作成奮戦記」と終章「国際化時代の帰国生教育」を書いている。自分自身の実践と共同研究のフレームの両方を寄稿するスタイルは、この本が最初である。
終章では、日本の授業のバランスを徐々に獲得型の方向に移しかえていくべきだということ、教育条件を欧米先進諸国のレベルにまで引き上げるべきであること、そして授業のなかだけでなく、学校の構造全体に生徒の自主性が生かされる環境を意識的に用意する必要があること(学校文化の見直し)、の三つを提案している。
執筆メンバーの顔合わせを、所沢に引っ越して間もないころのわが家でやった。真夏のこととて、大人数でも涼しく話せるからということだったのだが、よりにもよって当日にエアコンが故障し、汗みどろの会合になってしまった。
どんな本でも原稿作成に苦労はつきものだが、終盤にさしかかり、タイトル決めの段階までくると、それまでの苦労がすべて報われた気がする。ああでもない、こうでもないと色んなキーワードを組み合わせて楽しむのが至福の時間である。
『帰国生のいる教室』では、いまのサブ・タイトル「授業が変わる・学校が変わる」もメイン・タイトル候補のひとつだったが、「帰国生」というキーワードに「教室」ということばをつなげて、やっとおさまりのいいメイン・タイトルができた。アイディアをだしたのは、妻である。わたしの動きをそばで見ているうちに、より客観的に企画の趣旨をとらえるようになっていた、ということだろうか。