好きな現代陶芸作家をきかれたら、昨年2月に89歳で没した藤平伸をまっさきにあげる。京都五条の製陶業の家の次男に生まれ、河井寛次郎が名づけ親だが、どちらかといえば遅咲きの才能である。4年ほど結核療養をしていたせいで、本格的に陶芸をはじめたのが30歳をすぎてからなのだ。
藤平伸の作品には、繊細さと勁さが同居している。薄い器体に透明感のある呉須がいちめんにかかった角皿がある。それに細い銀の把手がついている。フォルムもマチエールも精妙だが、口縁部がつくりだすしなやかな線が作品のつよさを象徴している。
いつかまとめて作品をみたいと願っていたら、やっと2004年にその時がきた。智美術館の「藤平伸の芸術 追憶の詩」という展覧会である。オブジェを中心に82点の作品が並んでいる。
わけても「梟の家」(33×61×8 1998年)の構成力にひかれた。四角い陶板の一角を、斜めに張りだした幅4センチの屋根と屋根を支える2本の柱で区切り、そこを梟の家に見立てている。柱の幅は、わずか2、5センチ。柱と柱の間を、ゆるやかに波打つ細いワイヤーでつないでいる。そのワイヤーの右端あたりに、ぽっちゃり四角い像高5センチの梟が止まっている。
陶板も家も、織部釉一色の暗い色調である。これと対照的に、ワイヤーに明るく透明感のある呉須がかかっているせいで、中空に一本の線が浮き上がってみえる。
デフォルメされた主人公は、左目を大きく見開き、右目をつむってワイヤーをにぎっている。梟の全身にワイヤーよりもさらに明るい呉須がかけてあり、よく見ると、微細な平行線が幾本もひかれた羽根と足の部分に、わずかな鉄釉がみえる。
この作品の他にも、「家族」「船長と航海士」など、デフォルメされた国籍不明の人物がでてくるオブジェがいくつもある。どれも見る側の記憶を刺激し、心の中に大きな物語を生みだしていく。
藤平作品にただよう詩情のことがよく言われるが、土と釉薬と焼成を自在に繰ることなしに詩情はうまれない。細部へ目配り、微妙な色調の変化、細くてつよい線など藤平作品の特徴は、長年の修練の結果であって、窯の偶然が生みだす効果はその先にあるものだろう。詩情は、高い技量と精神性が一体となったところにだけ生まれる。
京焼の伝統から離れているように見える藤平のオブジェにも、線をだいじにする日本美術の特質がいきているし、京都が培ってきたセンスが凝縮されている。
もう20年くらい前だろうか。截金の西出大三さん(人間国宝)の銀座和光の展覧会にいったら、なんとも愛らしい筍がある。西出さんが、隣の家の孟宗竹が境界をこえて芽をだしたのをモチーフにしたのだと説明してから、すこし間をおいて、「あとで食べちゃいましたけど」といたずらっぽく笑った。その間合いに温かい人柄がにじんでいて、作品だけでなく作者までいっぺんに好きになった。
藤平さん本人に会ったことはない。ただ、西出さんと共通の温かさを、実家のひとたちに感じる。一昨年の夏、京都大学の集中講義を終えてひさしぶりに藤平ギャラリーを訪ねたときのことだ。ギャラリーはバス停五条坂のすぐそばにある。焼物市の準備でごったがえす店頭で、女主人の口から「こんど伸がここにもどってくるんですよ」と聞いた。その口調に、まるで都会に働きにでていた家族がようやく仕事をたたんで帰ってくる、といっているような自然な響きがあった。
いま藤平伸さんの花瓶を居間に飾っている。瓢形の呉須六角花瓶で高さ12センチ、おそらく80年代頃の作品だろう。わたしはこの小品をながめて、飽きることがない。