日別アーカイブ: 2012/09/17

パンテオンのJ.J.ルソー展

ことしがルソーの生誕300年にあたると「天声人語」(9月4日付)が書き、「理性、判断力はゆっくり歩いてくるが、偏見は群をなして走ってくる」という『エミール』の一文を引用している。

ドームの天井からフーコーの振り子がさがる

この夏から、パリのパンテオンで「ジャン・ジャック・ルソーと芸術」という大きな展覧会がひらかれている。パンテオンは共和国の英雄をまつる壮大な建物。その中央ドームをはさんで、2つの展示室がつくられた。建物の入り口はそれなりの混雑だが、展示室のなかにはいると閑散とした雰囲気である。

片方の部屋は、ルソーの著作に焦点をあてる。著書の実物、口絵、草稿はもちろん、ルソーが開発した新記譜法のメモ、手描きの楽譜、「村の占い者」の原本、彼のつくった植物標本まであって壮観だ。もう一方の部屋は、彼の肖像にスポットをあてる。肖像画16点、肖像彫刻3体、ルソーの作品や思想にかかわるモニュメント16点など、こちらもヨーロッパ中から資料を集めている。

いうまでもなく、ルソーの著述は、文明論、政治制度論、教育論、音楽、文学、植物学、自伝など多岐にわたり、残した書簡も膨大である。「仕事の対象をかえること、それが真の骨休めになる」(「告白」)というが、学問の専門化がすすんだ現代では、ひとりの人間が「自己教育」を土台にして、これほどひろがりのある著作を残すことはおそらく不可能だろう。

この壁面が展示室の入り口になっている

ルソーは、著作でえられた名声とひきかえに、フランス高等法院はおろか祖国ジュネーブからも迫害され、諸国を転々としたあげく被害妄想におちいり、さいごは書きかけの「孤独な散歩者の夢想」を残して、エルムノンヴィルの村で亡くなった。

今回の展覧会でその草稿にであった。「孤独な散歩者の夢想」は、能率手帳をひとまわりだけ大きくしたサイズのノートに書かれている。驚いたのは文字の細密さだ。数えてみると、1ページあたりゆうに40行をこえる。しかも、美しく丁寧な文字の並びである。いくら写譜で生計をたてていたとはいえ、この密度の高さは尋常ではない。

筆跡をなぞりながら、大河のような著作群をおもいおこしていると、ルソーはきっと、美意識の徹底した人間、手作業によろこびをみいだす人間、大きな構想力と細部へのこだわりがこころのなかで同居するタイプの人間なのだろう、とあらためて思えてくる。

パンテオンの地下納骨堂におりるとすぐ、ヴォルテールの棺と一対の場所に、ルソーの棺がある。ここにきたのは35年前のこと。エルムノンヴィルにある彼のもともとの墓所「ポプラの小島」をたずねる前のことだ。鉄格子をとおして闇の向こうに目をこらすと、黒っぽい棺の正面に彫刻がほどこされ、たいまつ(理性の光を象徴する)をにぎった手がにゅっと突きだしているのがみえた。いまは明るく開放的な空間にかわり、棺のぐるりまで見られるようになっている。遺骨もふたたびエルムノンヴィルに改葬された、ときいている。

生誕300年の年にパリを訪れ、「孤独な散歩者の夢想」の草稿にであえたことに、なにか不思議な因縁を感じている。