昨日、一昨日と、パラリンピックの水泳会場で、現役の卒論指導生である木村敬一くんの応援をした。100m自由形、50m自由形ともに決勝に進出し大健闘したが、惜しくもメダルには届かなかった。個人メドレーなど、彼が出場する他の種目の競技はまだ続いている。全盲の木村くんは、筑波大付属の特別支援学校から、公民科の教師をめざして教育学科にはいった学生である。
今回は、水泳部顧問の野口智博先生(体育学科教授)の引率で、私の卒論ゼミの幹事である津田くん、石塚さんなど8人の仲間も応援にきた。このことだけでも、木村くんが仲間にどんなに愛されているかわかる。
木村くんは、1年生の教育学基礎論からはじまって現在まで、ずっと私の授業・ゼミをとっている。3年生のゼミのドラマ活動ともなると、じつに思い切りのよい演技をする。彼がクラスにいることで、授業の進め方が試されるから、私自身が学ばされることも多い。今回もそうだ。なにしろパラリンピックのどの種目も、競技そのものに圧倒的な感動がある。それと同時に、政策とスポーツの関係、スポーツ文化などいろんなことについて考えさせられる。
引率の野口さんは、シドニー、アテネ、北京の三つのオリンピックで、NHKテレビの実況放送を担当したひとで、綿密な資料に裏づけられた明快な語り口に定評がある。その人に隣の席でこんな説明をうけながら声援するのだから、なんとも贅沢な経験である。「オリンピックでも短距離の決勝にはいろんな国の選手がでてきますよね。でも、長距離になると決勝に残る国は限られます。経済力もふくめて、練習環境が整わないとできない種目なんです」。
障害者スポーツのイメージもひっくり返された。会場のアクアティック・センターは、どの回もつねに1万数千の老若男女で満席。強烈なリズムの音楽が大音量でながれ、DJが観客に「さあ、声をだそう」と呼びかけるや「ウワ―ッ」という耳をつんざくノイズが会場をゆるがす。ビール瓶をかかえた中年男性が、ふうふういいながら急こう配の階段を登ってくる。メジャーリーグ野球の試合を数倍にぎやかにしたものと思えばいい。女子400mで、パラリンピックのスターといわれる英国のエリー・シモンズが金メダルをとったレースでは、観客が総立ちで足をふみならし、絶叫し、60数段ある会場の床がゆれた。
この解放的ともいえる雰囲気をどう受け止めたらいいのかということも含めて、木村くんがつくってくれた今回の経験を反芻していこうと思っている。