高校3年生のときの悩みは、大学の専攻を文学と政治学のどちらにするか、ということだった。まだ何ものでもない自分が何かになるために、まずは社会の構造そのものを知る必要があるというはなはだ抽象的な結論をえて、私は政治学を選ぶことにした。
1学期のある日、「蛍雪時代」をかこんで雑談した。教室にいた5,6人は私も含めてみな国立大学志望だったが、ページをパラパラめくるうち、なぜか国際基督教大学(ICU)という名に目がとまった。教養学部だけの単科大学、試験科目名が通常の「数学」や「歴史」でなく、自然科学、社会科学など大きなくくりになっている。私立大学には珍しく2次試験まであって、面接もやるらしい。留学生の比率が高い国際的な大学というのも気になった。
そんなことを話していると、たまたま顔をだした担任の山岡雄平先生(国語)が、ドアのあたりから「ICUはいい大学だよ」と一言いった。前年度、いっしょに合唱をしていた菊池壮蔵さん(福島大学教授)など、少なくとも3人が秋田高校からICUに進学しているから、なにか情報があったのかもしれない。
この年の夏、久里浜にいた優子叔母のところを拠点にして都内の大学を見て歩いた。都心の大学は、新聞社の写真部員だった弘学叔父もつきあってくれたが、三鷹にあるICUへは1人でいった。
正門から教会堂まで、八百メートルほどの桜並木(マクリーン通り)がまっすぐ続く。教会前のロータリーのほどよく手入れされた花壇を右折して本館にいくと、建物の前に広々とした芝生が広がっている。一斉休暇中のせいか、芝生で語らう外国人学生のほかに人影がみあたらない。
静かなキャンパスを時計と反対廻りに一周してみた。木々のあいだにゴルフコース、洋風の一戸建て住宅、学生寮、和風庭園などが点在するばかりで、大きな建物がほとんどない。
東京にある大学のイメージとはかけ離れた、まるで別世界のようなキャンパスだった。境界は判然としないものの、四方を雑木林に囲まれた広大な校地であることは分かる。林間の道をぬけグランド沿いの道にでると、そこだけぽっかり日盛りの大きな青空が広がっていた。
大学紛争の真っ最中だとはつゆ知らなかったが、キャンパスを出るときには「ここを受験しよう」と心に決めていた。
近所で「かぶらの跡取りが牧師の学校に入ったそうだ」と噂されるほど、地方でICUの存在が知られていない時代のことである。
その後の33年間、このキャンパスが私の学びと生活の場になった。