岩波新書が刊行に

今月の21日に刊行される岩波新書『アクティブ・ラーニングとは何か』の見本本が届いた。軽快で明るい印象の帯がついている。

岩波ジュニア新書『国際感覚ってなんだろう』(1995年)のときと同様、編集担当の清宮美稚子さんの適切なサポートがあったおかげで、完成にいたるまで、二人三脚の充実したプロセスを味わうことができた。

今回の場合、本のいわば骨格ともいうべきアイデアは、1997年からの20年の間に、雑誌『世界』に断続的に寄稿した4本の論考の中で発表してきたものである。それが本書の特徴となっている。

『国際感覚ってなんだろう』は、幸いなことに版を重ね、発刊から四半世紀たったいまでも、大きな本屋さんの棚に並んでいる。

では今回の新書は、一体どんな読者の手に届くことになるのだろうか。発売の日を楽しみに待ちたいと思っている。

獲得研の第14回新春合宿

今回の合宿も、きわめて活気のある2日間だった。

恒例の「オトナのプレゼンフェスタ」のテーマは、“江戸の出版と情報”。会場は江戸東京博物館(両国)である。展示資料(6F)とライブラリー(7F)をフル活用してリサーチする。

合宿会場に移動してプレゼン作り。3つのチームの発表に共通していたのは、瓦版の機能に注目したこと。

ネットでつくられる現代の風評との相似性、明治に活躍することになる企業人の成長譚、異邦人から見た幕末の日本人像など、多彩な内容が的確に描きだされた。

実践報告は、「群馬あかり座公演その後」(小菅さん)と「ヨーロッパにおける日本語教育の新展開」(藤光さん、植原さん)の2本。

2本の報告を聴くと、獲得型教育普及の条件が、国内外で急速に整いつつあることが分かる。

2020年度はあかり座秋田公演、21年度はあかり座欧州公演が予定されている。

獲得研の研究活動が、いよいよ新しいフェーズに入りつつあることを実感できる合宿だった。

『<トム・ソーヤ>を遊ぶ』

年末に嬉しいことがあった。獲得研のメンバーである武田富美子さんと吉田真理子さんの『<トム・ソーヤ>を遊ぶ』(晩成書房)が刊行されたのだ。www.bansei.co.jp/

本書の発刊は、ドラマワークを通じて、マーク・トウェインの文学世界に通じる新しい道が切り拓かれたことの証である。

二人は、ドラマ教育の分野でもっともアクティブな実践的研究者のグループに属する。背景も個性も違う二人が、ときに激しく衝突しながら、お互いへの尊敬の念を失うことなく、7年がかりでドラマワークの共同開発に取り組んだ。なかなかできることではない。

本書の特徴の一つは、マーク・トウェイン文学に明るくない読者でも、多彩な楽しみ方ができることだろう。というのも、作品の解説、様々なアクティビティを駆使して展開されるワークショップとそのふり返り、ミシシッピ川周辺の現地取材報告など、懇切でライブ感あふれる構成になっているからだ。

刊行に漕ぎつけるまでに、どんな紆余曲折があったのか、その舞台裏まで含めて書いているので面白くないはずがない。

わたしも「本書によせて」で、お二人にかかわるちょっとしたエピソードを寄稿している。自立した研究者の共同研究の一つのモデルとしても、お目通しいただきたい。

晩秋の庭

秋田で講演があったついでに、庭の秋色をいっとき楽しんだ。

土蔵の横にある豆柿は、毎年、初雪が降ると甘くなる。不思議なことに、甘くなった瞬間にムクドリの群れがくる。そしてほとんど一日で食べ尽くす。

モミジはあらかた落葉していたが、まだ何本か散り残っていて、透明感のある黄色を楽しむことができる。

南庭には、イチョウのはっぱが一面に散り敷いている。

松葉の上に散り敷いた黄葉をみると、いつも干菓子の吹き寄せを思い出す。

西庭に一本だけ紅葉したカエデが残っていて、それが庭の主役になっている。

もう少し時間があれば清々した気分をゆっくり味わえるのになあ、といつも思うのだが、こればかりは仕方がない。

ゼミの動向―学生たちの活動が離陸

今年度中に2冊の本の出版を予定している。やっと1冊分を書き終えたところで、学生たちの今学期の活動も佳境に入ってきた。

大学院のゼミは、修士論文の中間報告会が済んで、5人の執筆が本格化している。4年生の卒論ゼミも同様で、10人いるゼミ生たちがいまそれぞれに奮闘中だ。

学部の3年生のゼミ(教育学演習4)は、5週にわたる「ファシリテーション・トレーニング」のプログラムに入った。

各グループが、「小学校の総合の時間」「高校のHR活動」など、それぞれに設定した条件にしたがってワークショップを運営する実践的トレーニングである。(下の写真は、先日あった3年ゼミの懇親会)

これから年末に向けて、時間との競争が続くことになる。

見解の相違

だんだんリタイアの年齢が近づいてくる。そろそろ人生のスタンスを定める時期にきているのではないか、という考えが突然ひらめいた。

これまで十分に仕事もしてきたし、我慢だってしてきたつもりである。そこである日、妻に向かって断固とした態度でこう宣言した。

「これからは、やりたくないことはしない。やりたいことだけやって生きていく」。

さらにダメ押しとして「尊敬するI先生だって、晩年そう言っていた」と付け加えるのを忘れなかった。

いや私とて、妻の顔に多少の共感の表情が浮かぶだろうことを期待していなかったと言えば嘘になる。それどころか、チョッと頭でも下げて「本当にご苦労様でした」の一言ぐらいあっても良いはずだとさえ考えている。

ところがである。妻の表情はいたって冷静、あまつさえ私の目をまっすぐ見て、こう言い放ったのである。

「じゃあ、いままでと同じね」。

しばらく沈黙があって、私は言葉をつぐのを諦め、だまって席を立った。

スイスでのワークショップ

スイスの首都ベルンから、昨夜ロンドンに戻った。2泊3日の短くそして波乱万丈の出張だった。

スイス日本語教師の会が主催する「第24回秋のセミナー」(会場:在スイス日本国大使館本館多目的ホール)で講演+ワークショップをすることになり、藤光先生と一緒にでかけたのだ。

参加者は60名で、会場がぎりぎり満杯の状態だという。中にはパリから夜行バスで参加される方もいるらしい。なにしろワークショップ向きの人数ではないし、広さも十分とは言えない。天気が雨だと、外の空間も使えない。しかも、私のようなタイプの講演会は、今回が初めてだというではないか。ここまで不確実な要素の多い講演というのは、さすがにやったことがない。

しかし、会長であるカイザー青木睦子先生の念力が通じたのだろうか。どしゃぶりの一日だったにもかかわらず、晴れ間をぬって前庭も活用できた。ベテランから初参加の方までとても和やかな雰囲気の会だったこと、そして役員の方々の奮闘、日本広報文化センターの下飼手所長をはじめとする大使館の全面協力、藤光先生の絶妙なアシストがあって、難条件の数々をなんとかクリアできた。

ベルンの訪問は、42年ぶりになる。若いころに、ルソーの旧蹟をたどって、ジュネーブ、ヌーシャテル、ビエンヌ湖そしてベルンまできたことがあったのだ。その頃の記憶はすっかり薄れていたが、会の役員のなぎささん(ICU高校6期生)に案内してもらって、アーレ川を見下ろす大聖堂の横の公園に立った瞬間、そのときの記憶がはっきりよみがえってきた。

世界遺産の町と豊かな水量をもつアーレ川のつながりの深さを実感したのは、水温が18度あたりになると、人々が水着で川流れをする、という話を聞いたからだ。袋にいれた洋服と一緒に流れてきて、そのまま出勤する人もいるというから凄い。

ほんの3日間だったが、その間に、30年間に及ぶ継承語教育や成人教育の紆余曲折を知ることができた。スイスの先生たちの創意的な取り組みを、自分なりに消化するには、もう少し時間がかかりそうである。

カステル・コッホ―中世風の城

カーディフにきた目的の一つは、カステル・コッホ(Castell Coch コッホ城、赤い城)の訪問である。地元では、カステル・コーホと発音する人が多いようだ。

19世紀に石炭で富をなし、当時世界一の金持ちといわれた第3代ビュート侯(1847‐1900)と建築家バージェスの手になる中世の城である。正確には、廃墟になった城をビクトリア時代にリニューアルし、13世紀風の意匠そのままに再建(創建)したものである。

バージェスが日本美術の熱烈な信奉者で、その弟子が日本にやってきて鹿鳴館を設計したジョサイア・コンドルということになる。

目指す城はカーディフの町から路線バスで20分余り、タフ渓谷の森の中にある。バスを降りて上り坂を20分ほど歩く。

一緒にバスを降りた同年配のご夫婦と3人で、ふうふう言いながら坂を登った。近郊からきたご夫婦らしい。ご婦人の方が私のカバンに目をつけて、それは日本製かと聞く。たしかに、観光地に革鞄で来る人などいないので、目立つのかもしれない。

医者の娘さんも同じようなカバンをもっているという。それで自然にこちらの仕事の話になり、なんでわざわざ「イギリスから学ぶことなんて何もないでしょう?」と断言する。

うーん、そうきたか。確かに、今のイギリスは問題が多いが、ちょっと面倒なので、話題をそらすことにした。

城内に足を踏み入れると、サイズ感が狂った感じになる。思ったよりもずっと小さい空間なのだ。

3つの塔(Keep Tower, Kitchen Tower, Well Tower)をつなぐ回廊が、小さな広場を囲んでいる。螺旋階段の踏み板が小さくて、注意しないとすぐに足を踏み外しそうになる。

内装をみると、たしかに中世の城とはこんなものか、というイメージそのままである。ノイシュヴァンシュタイン城の例もあるので、てっきりビュート侯も、奇想の人、偏屈な趣味の持ち主かと思っていた。

こわいもの見たさ半分の気分でいたのだが、しかし、どうもそうした悲劇とは無縁のようである。ご本人の没後も、夫人がこの別荘を訪ねて滞在したという。。

それにしても、調度品、壁画、彫刻などの細部が凝りに凝っている。凄い情熱である。扉や手すり、窓枠のアイアンワークも素晴らしい。

中世趣味まっしぐらという感じで、大金持ちの趣味としてこれはありかも、と思えてきた。歴史博物館としてみても面白いし、あるいは3つの寝室(妻、夫、娘)をもつコンパクトなリゾート・マンションといっても良いのではないか。

訪問者が少ないせいもあるが、ノイシュヴァンシュタイン城などと違って、とにかく見学者を放っておいてくれるのがありがたい。

わたしは、3つの塔を登ったり下りたりして、ゆっくり城内を2周した。おかげで石壁の質感や細部の意匠まで存分に楽しむことができた。

ここまできた甲斐があるというものだ。

ロンドンでの再会とこれから

再びロンドンを離れ、ウェールズの首都カーディフの宿に着いた。道路を隔てて、窓の外に、カーディフ城の城壁がみえる。

昨日は、とりわけ記憶に残る一日になった。ヨーロッパにおける獲得型教育の展開が、一つのエポックを刻んだと実感されたからだ。

藤光先生を中心とする2017年、2018年のパリ研修会のメンバーが、その後の研鑽の成果を、週末にあった「第23回AJEヨーロッパ日本語教育シンポジウム」(ベオグラード大学)で、パネル発表した。全体タイトルは「演劇的手法を活用した『参加し、表現する学び』~欧州教師研修、継承語教育、高等教育、成人教育の現場への展開」である。

時本先生(サピエンツァ ローマ大学)、植原先生(ベルリン日独センター)、西澤先生(オックスフォード大学)たちが、わざわざロンドンまで、当日の様子とこれまでの経緯を報告にきてくれた。

下の写真:(ウェストミンスター・スクールで教えておられたミラー浩子先生に、テート・ブリテンのラファエロ前派のガイドをしていただいた後、ジャパンハウスの安野光雅展を見学。)

その密度の濃い研鑽の歩みをたっぷり聞かせてもらううち、メンバーの発表が、当日の参加者に圧倒的な印象を残しただろうことが、容易に想像できた。聞けば、もう次の展開を模索しているらしい。

この先生たちの情熱は、いったいどこから来ているものなのか、では、私にどんなサポートができるのか。

前日の楽しい余韻を味わいながら、考え考え飲みすすむうち、ついつい深酒してしまった。珍しいことである。

ロンドンの2つの日本庭園

仕事の合間をぬってキューガーデンの日本庭園とホランドパークの京都庭園を訪ねた。

閑散とした時期しか知らないので、こんなに人気スポットだったのかと驚いた。

松、モミジ、石組、石灯篭、蹲、刈込のアプローチ、延べ段などが揃っていて、どちらも本格的な日本庭園である。

キューガーデンはちょうど夏のイベントの最中で、ガラス工芸のインスタレーションが、あちこちを飾っている。

Temperate Houseの花の作品群もよかったが、日本庭園のNiijima Floatと題した球形の作品群がまた新鮮だった。

枯山水の水墨風の色合いの中に、極彩色の作品が置かれているから、その配置の具合、色合いと質感のコントラストがなんともいえず楽しい。

ホランドパークの京都公園にいたっては、滝組からとうとうと水が流れていて、その先に立派な州浜までついた池があるから、実に立派なものである。

こちらは夏休みの最後の週とあって、子どもたちが次々とやってきては、池の水に手を突っ込んでかき回している。どうも池でおよぐ鯉の方に関心があるようだ。日本庭園の気取りとは無縁の雰囲気である。

イギリスでは、飛沫をあげて水が流れおちる小川に触れる機会などないだろうから、われわれが想像する以上に、子どもたちが興奮するのかも知れない。

どちらの庭も大きな公園の一角にあり、外の景観とつながっている。いやでも見慣れたものとは異なる種類の樹木が目に入ってくるが、その景色も地域性のひとつだとみると、そんなに違和感がない。

日本庭園も存外普遍性があるのではないか、そんな気がしてきた。