『アクティブ・ラーニングとは何か』 (岩波新書)発売中
獲得研代表・渡部淳による新刊『アクティブ・ラーニングとは何か』(岩波新書)が2020年1月21日発売されました。発売以来さまざまな方々に注目され反響を呼んでいます。本書の構成を紹介します。
- 第1章 授業改革からアクティブ・ラーニングへ
- 第2章 アクティブ・ラーニングへの移行
- 第3章 学びを全身化・共同化するアクティブ・ラーニングの実践
- 第4章 共有財産としての参加型アクティビティ
- 第5書 アクティブ・ラーニングが定着する条件
アクティブ・ラーニングのあり方を論じた最新の研究成果。平易な語り口ですが、斬新な解釈、深い内容やさまざまな問題提起をふくんでいます。多くの実例や授業実践を盛り込んでおり、読み物としても楽しめます。獲得研の実践も多数盛り込まれています。新しい教育改革の方向を指し示す注目の本。ぜひご一読ください。
【Amazon『アクティブ・ラーニングとは何か』ブック・レビューより】
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- アクティブ・ラーニングについて考えたり、取り組もうとしたときのよい地図になる。
- 「プレゼンテーションやディスカッションのようなさまざまなアクティビティ(学習技法)を介して、学習者が能動的に学びに取り組んでいく(p.i)」アクティブ・ラーニングについて、「概念と、教育改革におけるその意味、インパクト」、そして「アクティブ・ラーンニングを定着させようとするとアクティビティ(学習技法)の定着が欠かせない」こと、「両者の定着が思うほど簡単ではないにしろ努力すべき課題であること(p.195)」を説く本。
「必ずしも教育を専門としない人々を読者対象に想定している(p.ii)」とあるが、もちろん教師等教育関係者にもきわめて有益である。
例えば、「アクティブ・ラーニングの多様な形態」(p.39)や「獲得型学習モデル」(p.115)の図は、アクティブ・ラーニングの広がりや自分の実践の「位置」を知るのに役立つ。また、アクティブ・ラーンニングにこれから取り組もうとする時には「まずは通常授業に五~一〇分のアクティビティを一つ組み込むことからはじめ……次の段階として、複数のアクティビティを組み合わせて一時間のワークショップ型授業をデザインする……さらには一週間から数週間かけて〈リサーチワーク→発表/討論→作品・報告書づくり〉といったプロジェクト型学習の指導に挑戦する(p.140)」という叙述が、「ハードルを下げる」親切なヒントになるだろう。
「授業スタイル自体が教育システムに大きく規定されているものであって、決して教師の心がけ次第で変わるような単純な問題ではない(p.6)」「これから取り組もうとしているのは、長いあいだ教授定型になってきた知識注入型の授業スタイルといういわば大きな岩を動かす仕事(p.33)」とあるところに、長らくアクティブ・ラーニング(著者の言葉では「獲得型学習」)の開発や普及をすすめてきた著者の、苦渋のようなものが感じられる。
「『授業への参加が、クラスへの貢献につながる』というアクティブ・ラーニングのいわば理念ともいうべきもの(p.27)」というフレーズを読んで、先日、教師の研究会で発表後に司会が質問を促してもシンとして静まっていたことを思い出した。そのあたりの教師のふるまい方も「岩を動かす」ために変えなければならないところだろう。「教師の心がけ」も大切だ。 -
- 学びの技法としてのアクティブラーニングの実践例!
- 「主体的・対話的で深い学び」と定義されるアクティブラーニングを「学びの技法」と捉え、実践例を紹介している。興味深く読める本だ。教師たけでなく、保護者、生徒・学生、研究者にも参考になる事例が満載だ。
- 第3章の実践例の紹介が本書の白眉である。ロールプレイ、フリーズ・プレイ、なりきりプレゼンテーション、ニュース・ショーが紹介されている。
- フリーズ・プレイでは、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を例に、絵画をフリーズ(解凍)して、描かれた場面を再現してみようという興味深い実践例である。『新約聖書』の「最後の晩餐」を参考に、イエスと12人の使徒たちが登場し、イエスの科白「この中に私を裏切った者がいる。私はまもなく死ぬであろう」から始まり、その瞬間の弟子たちの驚きを自ら科白を考えて述べる。演劇の始まりである。知的想像力の育成に効果的であり、感情のぶつかり合い、感動と驚きの場面が新たに創造される。デューイの言う「創造的知性」が涵養出来る取り組みである。
- 本書の実践例は授業に活用出来るアイデアが満載だ。しかし、本当のアクティブラーニングとは、このような特別な工夫がなくても平素の授業や講義のなかで実践されている。生徒・学生が教師の話を意欲的に聴いているのであれば、それだけでアクティブラーニングは成立している。生徒・学生が自ら(主体的・意欲的)授業に取り組み、教師が何を伝えているのかを考えているのであれば、それだけで深い学びは成立している。教師と生徒・学生の間で対話が交わされていれば、それだけでもアクティブラーニングが成立しているのである。
- このように考えれば、教師が素晴らしい内容の授業(講義)をしているのであれば、もうそれだけでアクティブラーニングである。教師が質問し、指名しなくても生徒・学生がそれに答える。指名しなくても、グループで話し合わなくてもよいのである。優れた授業(講義)こそアクティブラーニングの原点だ。本書から授業中について学べることは多い。教育者必読の文献だ。
お勧めの一冊だ。