
パンテオンの内部とフーコーの振り子
出版NPO「本をたのしもう会」は、読書推進活動を通して豊かな市民文化の形成をめざすグループだ。もともと信州出身の出版人が手弁当で参集したのが最初だそうで、会員には、編集や印刷など直接本の制作にかかわる人から、広告や流通が専門という人まで、出版の“生き字引”のような人たちがズラリ名前を連ねている。市民運動で活躍する多摩地域在住の人たちも会員だ。
わたしは、ICU時代の先輩・高村幸治さん(元岩波書店編集部長)の推挙で会に加わったばかりだが、“本をおくりだす”側の視点からいつも新しい刺激をうけている。
「本をたのしもう会」は、井上ひさし氏の講演「本を読む楽しさ」(2001年)から、アーサー・ビナード氏の講演「ぼくらの日本語は生き残るか?」(2013年)まで、毎年、武蔵野市で大きな講演会を開いている。講師陣は、大岡信、谷川俊太郎、上野千鶴子、澤地久枝、辻井喬氏など錚々たるメンバーである。
ことしも経済評論家・内橋克人氏の講演「不安社会を生きる」(日時:11月30日(日曜)午後2時― 会場:吉祥寺駅近くの武蔵野公会堂パープルホール 定員350名、聴講料千円、問合せ:℡.090-2662-5218)を聴く。不安社会の構造分析とともに、ではこれからどんな社会転換が可能なのか、その方向性についてもぜひ聴いてみたいと思う。
以下に掲載するのは、会の読書情報レター「本をたのしもう」No.13(2014年10月1日発行)に寄せた「ルソー散策」という短文で、新規会員であるわたしの挨拶文である。
ここ2年ほど「演劇的知の周辺」と題したブログをやっていて、本との出会いについてもぽつぽつ書いている。読書体験を記すと、いつの間にか自分史になってしまうところが面白い。
ルソー(1712-78)の『告白』(桑原武夫訳、岩波文庫)を夢中で読んだのは45年前、高校2年生の秋である。八郎潟東岸の小さな村から秋田市内にある賄(まかない)つきの下宿に移ったばかりで、ちょっとした高揚感もあったのだろう。玄関を入ってすぐ右手の6畳間、石油ストーブの炎の明るさまではっきり甦ってくる。
本の影響というのはげに恐ろしい。そして素敵だ。まさか10年ほどあとに、ルソーの生地ジュネーブから終焉の地となるパリ郊外の村まで、1か月かけて歩きまわることになるなど、当時は想像すらできないことだった。それで彼の「不幸な魂」が、すっかり私のなかに根をおろすことになった。
ルソー研究者の道は断念したが、“「自立的学習者=自律的市民」を育てる教育”という現在の研究テーマは、『エミール』や『社会契約論』の影響なしに考えられない。
2年前の夏、たまたまパリのパンテオンで、ルソー生誕300年記念と銘うつ大きな展覧会にでくわし、閑散とした会場で『孤独な散歩者の夢想』の草稿と対面した。「夢想」は、被害妄想の果てに生みだされた透明感のある文章で、いうところの絶筆である。
ルソーの筆跡をゆっくり目でたどるうち、どうも本の味わいというのは人生経験と共に深まるものらしい、それなら年をとるのも悪くないなあ、と思いはじめたことだった。
高村幸治さん(代表世話人)のお誘いで、この夏から会員に加えていただいた。驚いたのは、1回、1回の企画にこんなにも時間と手間をかけて準備しているんだということ、先輩たちの並々ならぬ熱意にふれて、さて自分に何ができるやら、と考えはじめている。