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嘉穂劇場

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飯塚市にある嘉穂劇場にいってみた。博多駅からJRの快速で40分、飯塚駅で降りて1キロほどいくと、遠賀川の岸辺近くに目指す劇場がある。このあたり、藩政時代は長崎街道の飯塚宿だったというが、われわれ世代の人間には、筑豊炭鉱という言葉と一緒に記憶されている場所だ。いまでも川べりからボタ山らしい山の姿を遠望できる。

嘉穂劇場は、昭和6年落成というからそんなに古い劇場ではない。ただ、1200席という客席をもつ大きな建物だけあって、せいせいするくらいの大空間である。舞台も盆もすこぶるつきに広い。

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嘉穂劇場は、公演のない日に、さまざまなイベントを用意して見学者を迎えている。ちょうど今は全市をあげて「雛のまつり」をやっているのだそうで、嘉穂劇場も「ネコたちのひなまつり」というテーマで、劇場中をネコ一色にしている。アーティストの猫作品を鑑賞したり、ネコの扮装で記念写真をとったりできるから、参観者は大喜び、劇場内が活気にみちている。

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ここにきてはじめて炭鉱地帯と劇場のつながりの深さを知った。よくぞ嘉穂劇場だけが残ってくれたものだが、明治から昭和中期にかけて、この遠賀川流域に50を超す劇場があったというから驚く。

いつかぜひ嘉穂劇場で芝居の本公演を観てみたいものだが、と思いながら駅に戻った。

内子座を訪ねる

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日英シンポを成功裡に終えて、いまは研究成果の確認作業に入っている。時間をみつけて、四国の芝居小屋・内子座(1916年・大正5年創建)を見に行った。内子座のある内子町は、松山市からJRの特急列車で30分ほど、中央を小田川が流れる山あいの小さな盆地の町である。

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猛暑の中を、駅から10分ばかり歩いて内子座につくと、そこはすこぶるつきの楽しい空間だった。いまは定員650人と計算するそうだが、かつて少女歌劇の公演では、観客が1200人はいったことがあるという。

舞台が低く、客席との距離も思いのほか近いから、抜群の臨場感である。ここで、玉三郎や勘三郎の芝居を観たひとたちは、さぞかし幸せを感じたことだろう。8月恒例の文楽公演には、人間国宝にきまった嶋太夫さんが出演する予定になっている。

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案内の方たちが親切で、見たいところはどこでもどうぞ、と言って放っておいてくれる。ほかに見学者がないから、劇場中の空間をほとんど独り占めできた。

奈落から舞台、花道とゆっくり歩いて回り、ついでに升席、大向とあちこちの席にすわってみては、どんな風にみえるのか、見え方の違いを味わう。なんとも贅沢な時間である。

内子は、明治の中ごろから大正期にかけて、木蝋の生産で大いに栄えた。その品質の高さは、海外にも知られていて、最盛期、製蝋業者が23軒もあって、国内の生産量の3割を占めたという。いまは資料館になっている上芳我邸の建物をみても、じつに豪壮なものである。

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内子座のような芝居小屋ができる背景に、地域のそうした経済力があったということだろう。いまの内子は、盆地の斜面にみごとな白壁の街並みが残る観光の町である。

ただ、この日ばかりは、昼下がりの通りに人影というものがなく、そのシュールなことといったら、まるで目の前にキリコの絵の世界が広がっているかのようだった。

嵐圭史講演と朗読「平家物語の魅力」

今月は、週末ごとにある学会・研究会のお役が4週間続き、昨日でやっと一段落した。

少し前のことになるが、出版NPO「本をたのしもう会」が企画した「前進座・嵐圭史・講演と朗読 平家物語の魅力」(6月6日 武蔵野公会堂)が圧巻だった。

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二つある。一つは、もちろん75歳になった嵐圭史さんの朗読の迫力である。私はどうしても「子午線の祀り」の第3次公演(1985)、第4次公演(1990)で観た新中納言知盛の嵐さんを思い出してしまう。宇野重吉のナレーション、山本安英、観世栄夫、滝沢修らにかこまれた知盛がひときわ若々しく見えたが、その嵐さんもさすがに御大の雰囲気である。

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7年かけて『平家物語』全12巻の完全朗読(CD29枚)をした方だけあって、講演のテキスト・クリティークが精緻である。物語中、“往生の素懐をとげる”と書かれた男性は1人もなく、みな女性である、などの興味深い知見が随所にちりばめられている。

一人の役者が、偶然にひとつの役と巡り合い、それを契機に、ゆっくりと長い時間をかけて人間的成熟への歩みをはじめる、今回の講演からそんなイメージが浮かんだ。

もう一つの圧巻は、嵐さんの人気のほどである。会で募集を開始するや、たちまち350席が満席。急遽、7月に追加公演をすることになった。

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それにしても平家物語はいい。平家没落の物語にふれる人は、否応もなく、人間の運命ということについて考えさせられる。嵐さんが、源氏物語ではなくもっと平家物語に注目して欲しい、と強調しているが、大賛成である。

劇団朋友「吾輩はウツである」を観る

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イギリス留学から戻った夏目漱石が、明治36(1903)年に小泉八雲の後任として帝大文科大学講師になり、2年後に友人・高浜虚子の『ホトトギス』に「吾輩は猫である」を発表して作家の道を歩きはじめるまでの物語だ。この時期の漱石は、ひどい神経衰弱で苦しんでいる。

「劇団創立20周年記念公演」と銘打つだけあって、休憩をいれて3時間の長丁場をちっとも飽きさせない。

セットは、本郷区千駄木57の借家。下手側が客間、壁をへだてて上手側に漱石の書斎兼寝室。2つの部屋は奥の廊下でつながっている。この家で漱石・鏡子夫婦と二人の娘、女中のてるが暮らしている。そこに菅良吉、寺田寅彦、漱石の姉ふさ、帝大の教え子たち(安倍能成、岩波茂雄、藤村操、小山内薫、魚住淳吉)、学長の井上哲次郎らが入れ替わり登場して、ストーリーが進行する。

てる役の西海真理さんが送ってくれたチラシに、美術、音楽の担当者とならんで「アクション:渥美博」という名前が小さくはいっている。「あらら、漱石の芝居でアクション?」と訝ったが、本番をみて納得した。

前のめりの西欧化にいらだつ漱石。癇癪持ちで不器用な生き方しかできない彼は、精神の浮き沈みを重ねるうち、だれかが自分の行動を監視していると思い込むようになる。典型的な被害妄想だ。ささいなきっかけで鏡子夫人への暴力が暴走する。臥せっていた自分の布団を庭に放り出すは、立てかけてある客間の座卓を押し倒すは、しまいに床の間の花瓶をすんでのところで夫人の頭上に振り下ろしそうになる。なるほど、舞台せましとばかりのアクションである。

パンフレットの年表には、明治36年8月「金之助の家庭内暴力がひどくなり、身重の鏡子は二人の子供を連れて、実家の中野家に避難する」とある。

かといって陰鬱な芝居ではない。まず、漱石夫婦を演じる芦田昌太郎(COMETRUE 父が松山英太郎)、荘田由紀(文学座 母が鳳蘭)の若々しさと軽快さがある。荘田はおきゃんで健気な鏡子夫人像を好演。漱石役の芦田は姿が良い。芦田の初舞台が小学校1年生のときの森繁久彌主演「孤愁の岸」だそうだが、私は帝劇で舞台をみている。

さらに、この芝居の趣向は、漱石ひとりが家に迷い込んだ黒い子猫(吾輩)と会話できてしまうところにある。吾輩のセリフが、なんとも哲学者然としていて面白く、つぎつぎに集まってくる仲間の猫たちも、老人風あり、職人風ありと多彩だ。寺田寅彦など夏目家の訪問者を8人と数えると、集まってくる猫も8匹、じつに盛大である。このネコたちが人間界のものの見方をゆさぶり、舞台のうえに笑いを運んでくれるのだ。

創立20周年を記念して「上演作品年譜」をふくむ特別版のパンフレットがつくられた。今回は、客演の若い俳優ふたりを、劇団のベテラン、中堅、若手のアンサンブルでがっちり支える舞台だが、「ロッカビーの女たち」(2007年)や「9人の女」(2008年)あたりから朋友の芝居を観はじめた私には、女性群像を描くのを得意とする劇団という印象がある。アトリエ公演、市民対象のワークショップも活発におこなっていて勢いがある。

20年も劇団を続けるのは大変なことだ。ひとつの区切りを越えて、これから朋友がどんな芝居をみせてくれるのか、大いに楽しみである。(原作:長尾剛、脚本:瀬戸口郁、演出:西川信廣、俳優座劇場で7月28日まで。)

ブダペストからの返信―岩永絵美さんのメールから

今朝、岩永さんから素敵なメールをもらった。前々回の記事「リア王」に対する返信である。このメールがあまりに素晴らしいので、ご本人の許可をえて、アップさせてもらうことにした。ほんの少し編集してあるが、ほぼ原文のままである。

渡部 先生 こんにちは。

先日は、ロンドンで感動の再会ができて、とてもうれしかったです。まったく予定外でしたから、本当にご縁があるのだなと思いました。(中略)

シアターライターの知人がいうには、「リア王」が今、英国が誇る最高のキャストと、最高のスタッフが作った芝居、というのですから、見られただけ、本当によかったです。

私は、先週の金曜日、ブダペストのリスト音楽院の大ホール(※欄外ご参照)で、小林研一郎さんが指揮をするコンサートに行くことができました。完売だったのですが、偶然、売れ残りのチケットを1枚だけ、コンサート開演前に手に入れることができました。なんとラッキー!小林さんは、ハンガリーで指揮者として活躍して40年。今回は、リスト音楽院をはじめ、ハンガリー全国で計8回くらい公演をされます。

いかにハンガリーの方々に敬愛されているかを、体感する場となりました。何せ、マエストロが入場するなり、大きな拍手。社会主義時代から残る、あの、手拍子を合わせたような、シャンシャンという拍手がなかなかやまない。開演前なのに。

そして、マーラーの交響曲第二番を一気に演奏。大合唱団も入って、すごい迫力。客席が振動するのを、文字通り体感しました。終演して、一瞬の間のあと、われるような大拍手と二階席はスタンディング・オベーション。ところが、マエストロは、低姿勢で、決して指揮台に上がって拍手をお受けにならない。すべては楽団のおかげと、部署ごとに丁寧に指さし、立ち上がり、拍手を浴びることを促すのです。

自分は決して前に出ない・・・そのような気持ちと取組姿勢が、より一層、楽団員と聴衆を感動させるのか、どんどん拍手が盛り上がり、とうとう、舞台の正面、ちょっと高いところの特別席にならんでいた合唱団から色とりどりのガーベラの花がマエストロめがけて次々と投げられる!舞台に落ちた真っ赤なガーベラを拾い、第二バイオリン奏者に優しく手渡す小林さん。

日本人であることが、マエストロのおかげで、少しだけ誇らしげに感じられた、そんな気持ちの良いコンサートでした。

こんな気持ちの良いステージを、私も、仕事を通じて、観客の皆様に味わっていただけたらいいな、とそんな思いを抱いて家路につきました。

いやはや、脱線してしまい、失礼しました。旧あかり座の皆様に、どうぞよろしくお伝えください。

岩永絵美 拝

※リスト音楽院の内装は、昨年の冬、3年の歳月をかけて、修復、見事に美しくなりました。以下、オープニング時のコンサートをご覧いただくことができます。約100分もありますが、前半の6番目あたりに、コダーイ作曲の「Evening Song」(合唱)があります。これは、いい曲だと思いますので、お時間のあるときにどうぞ。

http://zeneakademia.hu/en/lisztery/video/-/asset_publisher/fCa86eGLCFdM/content/a-2013-oktober-22-i-unnepelyes-megnyito-gala

※最後に、今年は、V4+日本交流年に指定されています。Visegrad 4 は、ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリーを指します。なので、私のオフィス(国際交流基金ブダペスト日本文化センター)でも、がんばってイベントを企画しています。今は、ちょうどぺーチで、「東北の美しい手仕事展」を開催中です。

www.jfbp.org.hu

 

ナショナル・シアターの「リア王」

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昨日、ロンドンのナショナル・シアターで、マチネの「リア王」を観た。オリヴィエ劇場の舞台ははじめてである。ロビーで岩永絵美さん(国際交流基金ブタペスト日本文化センター所長)と遭遇、あまりの偶然に二人で仰天した。岩永さんには旧あかり座プロジェクトのスポンサーとしてずいぶんお世話になっている。

久しぶりの再会がロンドンとは・・・

久しぶりの再会がロンドンとは・・・

大英博物館でのセミナーに参加するために1泊2日できて、芝居がはねたら空港に直行するのだという。ブタペスト事務所が東欧10数カ国を担当し、日本語教育から東北地方の手仕事の紹介まで、幅広い事業を手がけておられる。いつかじっくりうかがってみたいものだ。

今回の「リア王」も、時代設定が現代になっている。戦争場面では気がふれた王が拘束衣を着せられ、お尻に鎮静剤を注射される。グロスター伯が目をえぐられるシーンでは、ワインオープナーが凶器になった。

2009年にヤングビック劇場で観た「リア王」では、喰いちぎられ、吐き出された目玉(大きなガラス玉)がごろごろ音をたてて床をころがった。地方の劇場で評判をとり、ロンドンまで攻めのぼってきた芝居だったから勢いがあり、圧倒的に若者の多い客席がワーワーわいた。戦闘場面にはベトナム戦争を思わせるタンクまで登場、いささか劇画的にもみえる表現をとっていた。

今回の舞台は、もちろんもっと落ち着いている。サイモン・ラッセル・ビールがやるリア王は、堂々たる押し出しと奥行きのあるみごとな発声である。ちょっと猫背で左足をひきずり気味の歩き方で国譲りの場面に登場する。やがて舞台の進行につれて、腰の傾斜がほんの少しずつ大きくなり、左足のひずみも強調されていく。こうした繊細な演技が象徴するように、一人ひとりの人物像が際立つ演出になっている。

装置がまた洗練されている。円形舞台の背景も床も、すべてむらむらの黒っぽい色でおおわれ嵐の前の黒雲のようである。盆の内側には、白っぽい通路が十字型に描かれている。十字の縦線がそのまま白い花道になって客席の中央を貫いているから、2階席でみると、暗い空に大きな白い十字架が屹立しているようにも見える。

最初の国譲りの場面でも、リア王がコーディリアの死体を抱えて登場する最後の場面でも、通路に真横にしつらえられた長大な白テーブルが効果的に使われている。

また、ゆっくり回る盆の上で、さ迷う王をのせたまま、通路の一部が坂道になってせり上がる。それが斜めにどこまでも高くなるものだから、ケント公役者は四つん這いのまま両手でリア王の左足をずっと抱えつづけることになる。おかげで、高所恐怖症の私の意識は、セリフなんかより王の足元の方に集中することになってしまったのだが・・・。

このこじんまりした舞台空間に50人の役者が登場する。いまさらに古典劇の懐の深さを感じたことだった。

京都南座-花道から奈落まで

花道の板が意外にしなる

花道の板が意外にしなる

阿国かぶき発祥410年と銘打つ「南座春の特別舞台体験」が、4月16日まで行われている。お花見シーズンとあって、劇場の前はラッシュアワー並みの人出だが、建物にはいると意外なほど静かだ。

予約券をもって客席集合。ここでスリッパにはきかえる。花道をとおって舞台にあがり、もういちど花道から客席に戻る、それだけのプログラムだから、時間にすればほんの20分ほどだろう。しかし、これが滅法おもしろい。

3階席はロンドンの劇場より観やすい

3階席はロンドンの劇場よりも観やすい

舞台の真ん中にきて客席を振り返ると、三階席の奥までパッと視野が開ける。これが歌舞伎役者の側の視界ということになる。千席ほどあるらしいが、これなら居眠りしている客の様子だって手にとるようにわかるだろう。それくらい見晴らしがいい。

客席からみると芝居の一場面のようだ

客席からみると群集劇の一場面のようだ

盆(ボン)にのって回り舞台を体験したあと、50人の客が二手に分かれ、迫り(セリ)の上がり下がりを体験する。高い方は2メートル近く昇る。2階席にいる見学者の顔がぐんぐん近づきちょうど正面あたりまでくる。奈落の側では、荒い鉄の柱組やその奥の雑多につまれた道具、照明器具などが見える。

ずいぶん高低差がある

ずいぶん高低差がある

わたしのバックステージ・ツアー体験のはじまりは、ウィーンのオペラ座である。もう35年ほど前のことだ。建物の立派さもけた違いだが、ガランとした舞台にたって、その奥行きの深さに度肝を抜かれた。

その日、フォルクスオーパーに「メリー・ウィドウ」を観にいき、10シリング(170円)の立見席で、若い日本人女性と知り合った。音楽大学にピアノ留学しているひとだ。翌日、オペラ座のまえで待ち合わせ、野外カフェやら博物館やらとお気に入りの場所を案内してくれた。まるでロマンティック小説みたいな展開だが、これは余談。

南座の舞台はもちろんそんなに広くない。わたしが注意をひかれたのは、床板そのものだ。長年つかいこまれた木曾のヒノキ材は、表面が痩せ、いたるところに凹凸がある。装置の金具もあちこちにみえる。こんなところでトンボを切ったりかけまわったりするのかと、おもわずスリッパをぬいで、ザラザラする感触を味わってみた。

最後が「チョンパ」体験である。緞帳をおろしたまま、舞台も客席も暗転させる。真っ暗闇のなかで、静かに幕が上がり、チョンチョンという澄んだ柝(キ)の音を合図に、照明がいっせいにパッとつく。目の前に客席をみわたす例の景色が、一瞬で出現する趣向。出をまつ役者の気分そのままの世界だ。

こんな演出されたら、どうしたってまた歌舞伎が観たくなるじゃないか。

「オペラ座の怪人」を観る

ハー・マジェスティーズ劇場

ハー・マジェスティーズ劇場

日本に帰ったとたん、忙しさと花粉症がいっしょに戻ってきた。

旅先での失敗がたくさんある。今回は、ミュージカルの開演に遅刻した。「オペラ座の怪人」のはじまりは7時半(日本時間・午前4時半)である。

取材で街中をかけまわり、4時にホテルにもどってちょっと休んだのがいけなかった。「ハッ」として目が醒めたらちょうど開演時間だった。劇場までドア・ツー・ドアで25分はかかる。

そもそも「オペラ座の怪人」というのが鬼門である。以前、夏のブロードウェイであかり座メンバーと観たときは、会場の冷房が強すぎてとても芝居に入り込める状態ではなかった。みな平然としている様子をみると、ニューヨークの人たちの寒さへの耐性は尋常でない。そちらの発見の方が大きかった。

ハー・マジェスティーズ劇場のがらんとした玄関ホールにかけこむと、大柄でふくよかな案内人の男性が、演台のような細長いテーブルをかかえてぽつねんと立っている。

それ自体が絵のような景色だ。チケットをだして中入りの時間をたずねたら、まだ35分あるから、いまから会場まで案内するという。

こちらはパリのオペラ座

こちらはパリのオペラ座

燕尾服の背中を追っていくと、いったんもとの道路にでて、劇場の建物を右手に回りこむではないか。最初のドアのまえで立ち止まり、ポケットからすばやく鍵をだしてドアを開け、私をなかに招じ入れた。ほとんど敏捷といっていいくらいなめらかに動く。

建物のなかは真っ暗だが、どうも狭い廊下かなにかのようだ。もうひとつドアをくぐったら、もうそこが一階観客席のうしろ側の通路だった。

とりあえずこのあたりの空いている席で芝居を観ていろという。もともと私が予約した席は、7列目のまん真ん中である。10数人の観客に立ってもらわないと、座席にたどりつけないのだ。

休憩時間になって、本来の席についたら、珍しく若い日本人女性のとなりである。小柄で可愛らしい声の持ち主だ。きけば、語学研修でロンドンにきた早稲田大学の2年生で、はじめてのミュージカル鑑賞なのだという。理科教師をめざしている人らしい。

壮麗な建物でシャガールの天井画がみえる

壮麗な建物でシャガールの天井画がみえる

「オペラ座の怪人」はひときわサービス精神旺盛な舞台である。怪人が宙乗りで歌うは、床から何本も火柱が噴き出すはと道具立てが派手なうえに、マジックで主人公が姿を消す趣向もあって、最後まで観客を楽しませる。クリスティーヌ役者の方は、伸びのある歌い方はいいのだが、ややかすれた声質である。

ピカデリーサーカスの駅に向かう途中、くだんの学生さんが、教師という職業への憧れと抱いている不安について語ってくれた。そんなこんながあったせいで、芝居の中身もさることながらむしろ彼女の初々しい向学心のほうが印象に残る一夜だった。

新春文楽公演

新春公演 1月25日まで

新春公演 1月25日まで

初春文楽公演は、住大夫さんが「寿式三番叟」で復帰するということで、二重に華やいだ雰囲気である。昨年は、文楽をめぐっていろんなことがあったから、演者の方たちも、思い一入のようだ。第2部の「本朝廿四孝」では、「十種香の段」の八重垣姫が蓑助さん、「奥庭狐火の段」の八重垣姫が勘十郎さんで、対照的な人形がみられる。

文楽はずっと苦手の部類だった。そもそも世話物の二枚目が優柔不断すぎて、役柄に共感しにくいのだ。ところが、2006年に日本演劇学会がやった「心中天の網島」をみる会に参加して、文楽がにわかに身近になった。

とくに楽屋口からはじまるバックステージ・ツアーがよかった。スリッパでまわるツアーなど初めてである。主遣いの履く舞台下駄も舞台そのものも意想外に大きい。見台がずらりと並ぶ棚の足元は、清めの塩でざらざらしている。演目や演者の選び方に、伝統を伝える工夫があることも、このとき知った。

要するに文楽を多面的に楽しめるようになったということなのだが、越路太夫さんが全盛のころから舞台を見ている妻は「なんでも理屈からはいる。あなたらしいわね」とあきれ顔である。言い返したい気持ちはあるが、そこは先達のいうこと、うかつに反論しないようにしている。

緞帳の上に 大神神社の宮司さんの書

緞帳の上に 大神神社の宮司さんの書

東京と大阪では、客席の雰囲気が違う。最近、それを面白く感じるようになった。高齢の観客が目立つのはどちらも同じだが、東京の国立劇場には、いかにも伝統芸能をみにきましたという教養的な雰囲気がある。大阪の国立文楽劇場の方が、もう少しカジュアルだし、舞台に共感してハンカチをとりだす人の数も、心なしか多いように感じる。

今回の席は4列目の中央あたり。右隣りの席に、わたしより一回り上の年齢とみえる男性がいる。ジャンパーに、ながく使いこんだセカンドバックひとつの身軽な服装である。

床本で予習するほど熱心でないわたしは、大夫の表情も気になるし、字幕の確認も必要だしで、あっちをみたりこっちをみたりするから、いやでも男性の様子が目に入る。このひと、相当な見巧者のようだ。字幕はもちろん、大夫の方もいっさい振り向かず、人形の動きに集中している。

「奥庭狐火の段」では、勘十郎さんが白狐も遣う。まさに超絶技巧。八重垣姫に狐が憑き、舞台が激しく躍動するさまは圧巻である。力強いエネルギーと円熟味の両方が味わえる。

それまで静かにみていた件の男性だが、さすがにこの山場では、舞台の躍動感に呼応するように、ウンともウムとも聞こえる声を、なんどももらしている。舞台がおわると、もとの静かな表情にもどり、なにごともなかったかのように通路をのぼっていった。

文楽は、こういう観客によって支えられてきた芸能なのだろう。

ウェストエンドの劇場

ここでは4つの劇場の看板がみえる

ロンドンのウェストエンドの劇場密度の高さにはいつも感心する。ちょっと歩けばかならず劇場の前にでるし、一枚の写真のなかに3つの劇場がうつりこむ場所もある。観光客が手にするパンフレット「ショー・ガイド」には、ビクトリア駅やウォータールー駅あたりの劇場をふくめて48館がリストされていて、そのうち41館が上演中となっている。

「マウストラップ」の60年は別格の長さだが、ほかにも「レ・ミゼラブル」(27年)、「オペラ座の怪人」(26年)など超ロングランの舞台がいくつかあり、それを誇って、劇場の看板に数字を掲げている。

作品の面白さ、装置や演出の卓抜さ、俳優のレベルの高さなどだけでなく、英語であること、世界中の旅行者を相手にしていることなど、さまざまな条件が重なってこの密度になっている。これだけ劇場があると、大ヒット中の作品は別にして、たいがいの演目は当日でも切符が手に入る。その気安さも劇場の敷居を低くしている。

ロンドン通いもそれなりの年数になる。ただ、芝居だけをみにくるわけではないので、私が入ったことのある劇場の数は、せいぜい15か16かと思う。それでも、歴史やたたずまいが劇場ごとに違うから興味はつきない。ことにミュージカルの場合がそうだが、どこでも共通して感じるのは、劇場側の「楽しませよう」、観客の「楽しもう」という姿勢が徹底していることだ。

いつだったか、ロンドンでいちばん古い劇場というロイヤル・ドルリー・レーンのバックステージ・ツアーに参加したことがある。順路のところどころで役者の扮装をした説明役が出没するのはご愛嬌としても、見学者にまで芝居をさせてしまう。経路がロイヤルボックスの裏にある控えの間まできたときに、なぜか王様役に指名され、玉座にこしかけて俳優をねぎらう演技をやる破目になった。

立体的な広告がこの劇場の特徴になっている

芝居をみにいくと、かなりの確率で、隣に同年代の男性がすわる。私とおなじで、ほかに連れのいないひとだ。両隣のことも少なくない。日本では気になったことがないので、これは劇場側の配慮ではないのか、といぶかっている。

きょうパレス・シアターに「雨に歌えば」(ムービー・ミュージカルというジャンルらしい)を観にいったが、やはり隣に同年代のひとがいる。ロスからきたというその男性に、いつチケットを買ったのかたしかめて、私の3時間あとだとわかった。それで配慮のことが、だんだん私のなかで確信にかわりつつある。

舞台を掃除する様子も観客にみせる

その「雨に歌えば」だが、休憩の直前とカーテンコールのときの2度にわたって、天井からものすごい量の雨がふる。水浸しの舞台で、ずぶぬれの役者が、映画でジーン・ケリーが歌ったあの主題歌を歌い踊り、ついでに観客席にむかって盛大に水をけちらかす。

観客は大パニック、そして大喜び。7列目の席にいる私のひざが濡れたほどだから、2列目のシスターふたりなどは相当に水しぶきをあびている。でも嬉しそうだ。

芝居がおわると、退出する観客の列から主題歌を口ずさむ声がいくつも聞こえてきて、それが街の雑踏にきえていった。