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新春合宿―テーマはプレゼン

プレゼン「獲得研ニュース」 執筆地獄を証言

プレゼン「獲得研ニュース」 執筆地獄を証言

恒例の新春合宿が4日、5日にあった。テーマはプレゼンテーション。2年がかりのテーマである。昨年の合宿からはじまって、今回の合宿、3月の春のセミナーとつながり、第3巻『教育プレゼンテーション』(2015年3月)の刊行がさしあたりのゴールになる。

獲得研シリーズでは、技法の解説と実践事例をセットで収録する。しかも、小学校から大学まで、できるだけ多様な事例を組み込む方針だ。教科や学年進行で本をつくるという教育出版の常識からいえば横紙破りである。執筆・編集にも膨大な時間がかかる。

プレゼン「ショー&テル」 腕時計

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しかし、新しい時代を形成する市民の共通教養の中核に「参加型アクティビティの習得」をすえるという考え方でやっているから、この挑戦は避けて通れない。第3巻は、ようやく50の技法が出そろって、これから本格作業にとりかかる。

合宿のワークショップで、二つのタイプのグループ発表を試した。ひとつは、「20分の準備で5分の発表」をする即興型のプレゼン。もうひとつは「2時間半の準備で5分の発表」をするextemporaneousのプレゼン。途中にリサーチワークを組み込む。どちらも、身をもってプレゼンを経験し、それを使って指導方法を考えるセッションだ。

プレゼン「お国自慢」 山口vs京都

プレゼン「お国自慢」 山口vs京都

後者のテーマは、「旅―第5福竜丸の」である。流れはこうなる。その場で3つのグループをつくる→絵本『ここが家だ』(アーサー・ビナード著、ベン・シャーン絵 集英社)を朗読→グループでメッセージや発表形式を相談→夢の島にある「第5福竜丸記念館」で取材→情報を持ち帰って編集→プレゼンを仕上げる。

第1グループは、マグロの眼で事件をとらえた。ビキニの水爆実験の瞬間の海の中はどうだったのか、生態系はどう変わったのか、釣り上げられやがて廃棄されるマグロの眼に人々の行動はどう映ったのか。説明的なセリフを減らし、象徴的な身体表現を活用した発表である。見おわったあとで、心に残るような表現を創りたかったのだという。

第五福竜丸記念館 年間10万人が訪れるという

第五福竜丸記念館 年間10万人が訪れるという

第2グループは、第五福竜丸の乗組員とその家族の視点を軸に、出漁前の団欒場面を入れた。絵本にある「わすれるのを じっと まっているひとたちがいる」という言葉をどう読むか。それを表現するために、最初と最後の場面に「忘れましょう」「忘れないで」などの声を複雑に交錯させる「コーラル・スピーク」でこちらも象徴的に表現した。

第3グループも、この出来事を忘れていいのか、と問いかける発表になった。こちらは第五福竜丸の視点から、その生涯を時系列で描く。夢の島で武藤氏が廃棄された船に出会う→カツオ船・第7事代丸時代の活気→被ばく→半年後の焼津港の様子→練習船・はやぶさ丸時代の学生たち→最初のシーンに戻り、武藤氏が保存を決意する。第5福竜丸の声は、すべてナレーションで表現される。

三つとも、ドラマ技法を駆使した見事なプレゼンテーションだった。もっと面白かったのは振り返りの議論である。いろんな課題が見えてきたからだ。たしかに、演劇的表現のもつインパクトは抜群である。ただ、ミニ舞台作品を作ることがはたして教育プレゼンなのか、という疑問もでた。プレゼンの中で、事実性をどこまで担保するのか、という問題提起だろう。

学習活動のゴールにプレゼンがくるケースが確かにある。ただ、通常の授業プロセスでは、グループ発表を素材にして全員のディスカッション/ディベートに展開するケース、また質疑応答を受けて追加のリサーチワークに取り組むケースが少なくない。そう考えると、表現のインパクトと事実性とをどう調和させるかという問題は、教育プレゼンの指導にあたって避けて通れないポイントになるのではないか。そんな風に感じた。

『ドラマ技法研究の最前線』まえがき

3月に明石書店から刊行する(仮題)『ドラマ技法研究の最前線』の入稿時期が迫ってきた。獲得研の共同研究としては、4冊目の単行本になる。今回の本の執筆・編集に携わっているのは、会員のなかの15名だけである。しかし、いつも全部の原稿をMLにアップしながら編集を進めるやり方だから、すべての会員が、すべての原稿を読むことができるし、原稿がみごとに変容していく様子も共有できる。

執筆自体は孤独な作業だが、会員から改稿提案がアップされたり、応援コメントがでたりするから、いわばみんなを代表して原稿を書いているという具合になる。こうした経過を共有して、われわれメンバーは一緒に育っている。MLでのやり取りが、累計で優に4千通をこえるというのもうなづける。とにかく時間のかかる作業だが、このやり方が獲得研の出版物の完成度を担保しているという面も見逃せない。

まだ、改稿中の原稿もいくつかあるが、私の分担になっている「はじめに」の初稿を以下のように書いてみた。

本書は、参加型アクティビティの研究に取り組む「獲得型教育研究会」(略称=獲得研)の活動の実際を、ドラマ技法の探究に焦点化して考察したものである。ここでは、アクティビティという用語を、ゲーム、シミュレーション、プレゼンテーションなど、学習者が主体となって取り組む諸活動の総称として使っている。獲得研は、「参加型アクティビティの体系化と教師研修プログラムの開発」を目的にして、2006年に創設された研究グループである。現在は、小学校から大学まで43名の会員で構成されている。

私たちは、新しい時代の共通教養の中核に、参加型アクティビティの習得を据えたいと考えている。アクティビティの定着は、自立的学習者(=自律的市民)を育む教育の中心課題だからである。

参加民主主義が成熟するためには、一人ひとりの市民が、討議の経験を豊かにしたり、大小のコミュニティの運用に関与したりする経験が不可欠である。それは、見方を変えれば、市民が民主的な手続き(procedure)に習熟していくプロセスでもある。その手続きを教育の側面から整備すると同時に、学習者が協同することの手ごたえと味わいを体験できるような実践を創造する方策を探ること、それが参加型アクティビティの理論的・実践的研究である。

全身を駆使して取り組む探究活動、その過程で生まれるダイナミックな協同関係、豊かで深い学びの体験、それらを成立させる不可欠のツールがアクティビティである。実際のところ、なんらかのアクティビティを介在させることなしに、参加・獲得型の学びを成立させることは困難である。それは、約束事のない社会、ルールのないスポーツが、それとして成立しえないのと同様の事情である。

参加型アクティビティでは、ディスカッション/ディベート、プレゼンテーション、リサーチワークの三つがとくに重要だが、本書では、これらと並ぶ第4のアクティビティとして、ドラマワークを位置づけている。

ごく簡単にいえば、自分ではない「何か」になって考えたり、行動したりするためのツールがドラマ技法である。ドラマワークでの学びは、想像力をフル稼働させて、フィクションの世界とリアルな世界を往還する学びであり、私たちは、ドラマ技法を駆使することではじめて、現実の世界とは別の“もう一つの世界”を手にすることができるのである。

近年、これまで主流だった知識注入型の授業スタイルを見直す手がかりとして、また闊達な教育コミュニケーションを生み出す手段として、演劇的手法を日常の教育活動に取り入れる動きが活発化している。

本書の目的は、そうした流れを研究の面で加速することにある。ドラマ技法研究の最先端を切り拓いてきた獲得研の試行錯誤を振り返ることで、これから起こるだろう議論の土台を築こう、というのである。

急速に状況が変わりつつあるとはいうものの、ドラマ技法の研究は、教育方法の研究としてはほとんど未開拓の分野だったといってよい。そのため獲得研では、あえてドラマ技法の体系化という理論性の強い研究と、ドラマ技法の活用・普及という実践性の強い研究を並行して進めることにした。このことは、一つのグループが、基礎研究と応用研究に同時に取り組むような、困難で時間のかかる道のりになることを意味していた。

こうした事情から、本書の第1の特徴は、実践事例を豊富に盛りこんだ研究書だという点にある。具体的にいえば、紙面の多くを占める論考が、「異文化間教育学会第34回大会」(2013年6月8―9日 日本大学文理学部)の二つのプログラムに関わるものである。

一つは、公開シンポジウム「学びの身体性を問う―教育コミュニケーションと演劇的知の視点から」の報告である。ここでの実践報告と実践へのコメントおよび総括が、本書の第2章、第3章になっている。もう一つは、大会のプレセミナー「獲得型授業をめざす教師のためのドラマ技法活用講座」のワークショップ「ドラマを通して考えるハックルベリー・フィンの冒険」の報告である。その実況中継と振り返りの論考が、第4章、第5章になっている。

本書は、これらの内容を、第1章と第6章・第7章の内容が挟みこむかたちの構成である。まず第1章で、共同研究のバックボーンとなる獲得型教育の理論を総合的に考察している。一方、第6章では、獲得研の共同研究の独自性をさまざまなエピソードとともに分析し、さらに第7章で、これまでの研究の展開過程を具体的資料によって一望する、というものである。

この構成とも関係するが、本書の第2の特徴は、収録されている論考の多くが、研究の目標や結果を叙述するのと同じような比重で、実践の生成過程といういわばメタの部分を丁寧に描いていることである。それは、獲得研の研究体制の特質に由来している。

獲得研では、校種や担当教科の違いを超えて、すべての会員が、実践的研究者・研究的実践者として対等な立場で研究に携わっている。そのため、小学校の実践に触発されて、高校や大学で同じテーマの授業が行われたり、その逆だったりということが、日常の風景となっている。また、あえて専門領域や教科を超えたチームをつくり、ドラマワークや実験的授業プログラムの開発に挑戦してきた。異文化接触でおこるスパークが、思いがけない発想の飛躍を生み、研究にはずみをつける役割を果たすからである。こうした共同研究のダイナミズムを実態として分析するには、メタの部分を丁寧に描く必要がある、と考えたのである。

執筆者のラインアップも、会員の多様なバックグラウンドを反映している。当然のこと、想定される読者層も、小学校から大学まで、あらゆる校種の教員ということになるのだが、むしろそうした教育関係者だけでなく、教育に関心をもつ市民、学生の方々にも広くアピールできる内容になった、と考えている。

8年間におよぶ共同研究の成果である本書が、日本のアクティビティ研究の一里塚となり、研究のさらなる活性化に寄与できれば、と願っている。

冒険者たち

高校生プレゼンフェスタのリハーサル

高校生プレゼンフェスタのリハーサル

獲得研の来年の新刊『学びの全身化へ―ドラマ技法研究の最前線』(明石書店)の執筆が佳境に入っている。16人の初稿が出そろったことで、ようやく全体像が見えてきたところだ。

本の内容は、この6月にあった異文化間教育学会34回大会の「プレセミナー」と「公開シンポジウム」を素材にしている。前者は、吉田真理子先生(津田塾大学)、武田富美子先生(立命館大学)のコンビで、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』からオリジナルのドラマワークをつくった実践が中心である。これが滅法面白い。ミシシッピ川を一緒に筏で下ってきた逃亡奴隷のジムを、白人の少年ハックが密告するかどうか、その決断を迫られる場面を山場にもってきている。だから参加者は、ドラマの世界で、強烈なジレンマにさらされることになる。

リハーサルの別バージョン

リハーサルの別バージョン

私は、一昨年、「教育方法をめぐる冒険」をESJ(日本教育学会の英文年報)に発表した。こうした未開拓分野の研究に取り組む獲得研の模索そのものが冒険であり、メンバーは冒険者だ、ということだ。今回の本の「第1章 獲得型教育とドラマ技法研究」はそのESJの論文をベースにして、大幅改稿したものである。

たとえ研究書であっても、獲得研の本では、固い学術用語の羅列をできるだけ避けるようにしている。だれでも分かりやすく読める本に、というのがコンセプトだからである。それだけに執筆者は、四苦八苦の推敲を迫られる。

会員全員が全部の原稿を読む方式である

会員全員が全部の原稿を読む方式で進める

コア・メンバーの初海茂さん、両角桂子さんで、「終章 資料でみる共同研究の歩み」を書いている。7年間の模索を詳細に跡づける原稿だ。うまくいけば、私たちの冒険がどんなルートをたどり、どこまで進展をみせたのか、それを客観的に眺めることができるだろう。大奮闘中だが、なにしろ資料が多いから大変な様子、この仕上がりも楽しみである。

これと並行して、異文化間教育学会の研究プロジェクトとしてやる「第13回 高校生プレゼンフェスタ」(11月23日)の準備、正月の定例会合宿と3月の「春のセミナー」のプログラムづくり、獲得研シリーズ第3巻『教育プレゼンテーション』(旬報社)の企画が進んでいる。

このまま年をまたいでワサワサ状態が続きそうである。

インターアクト年次大会のワークショップ

左から時計回りに、青木さん、関根真理さん(啓明学園)、田ヶ谷省三さん、福山一明さん、早川則男さん

左から時計回りに、青木幸子さん、関根真理さん(啓明学園)、田ヶ谷省三さん、福山一明さん、早川則男さん

あかり座でいろんな試みをしてきた。今回のチャレンジは、参加高校生160人という大規模ワークショップだ。生徒が都下の8つの学校から集まってくる。短い時間で彼らの距離をどこまで縮められるのか、それがポイントになる。

「国際ロータリー第2750地区・第33回インターアクト年次大会」(ホストクラブ:啓明学園インターアクトクラブ、スポンサークラブ:東京昭島ロータリークラブ 参加者375名)が、8月24日(土)にフォレスト・イン昭和館で開かれた。文字通り森に囲まれた静寂な空間である。

担当したのは、関係性をときほぐすワークショップを午前中1時間、午後に講演「ボランティア活動を通して国際理解を考える」とワークショップの組み合わせで2時間、合計3時間である。20チーム(×8人)のメンバーは、午前中にランダムに決めた。

会議場から通路まで使って同時進行

会議場から通路まで使って同時進行

午後のワークショップは「〇〇レンジャーになってみよう!!」。3枚の静止画で、ボランティア活動の手ごたえを表現する。①困っているシーン、②救助シーン、③レンジャーの決めポーズという展開だ。レンジャーを登場させるという愉快なアイディアを、青木幸子さん(昭和女子大学)が考えた。

冒頭の写真は、モデルプレゼンテーションの3番目のシーンである。いじめを解決したレンジャーたちが、会場にハート形の「友情ビーム」を発射する。これが決めポーズだ。演じたのは、啓明高校生とあかり座メンバー。中原道高さん(目黒高校)の撮ったこの一枚に、大会の雰囲気が凝縮されている。

午前中は、いったい何がはじまるんだろう、という不安げな顔、顔、顔。同じ学校の生徒の群れがいくつもできた。重苦しい雰囲気が「あっちこっち」「二つのホント一つのウソ」「負けジャンケン」などで徐々にほぐれていく。

やる気ビーム発射!

やる気ビーム発射! ビームが広がる様子を表現

午後のワークショップにはロータリアンも加わって、多種多様なレンジャーが出動した。紛争を解決する「和解レンジャー」、世直しをする「水戸黄門レンジャー」、無気力を克服させる「やる気レンジャー」、喧嘩する男の子にお説教する「ガールズレンジャー」、町をきれいにする「清掃戦隊レンジャー」などだ。決めポーズがまた面白い。相当な手ごたえだったようで、みんなで協力できたこと、他校生と交流が深まったことが良かった、というコメントがたくさんあった。

はじめてにしてこのダイナミックな構図はなかなかのもの

はじめてにしてこのダイナミックな構図はなかなかのもの

ハードルをクリアできた要因はいろいろあるが、あかり座メンバーのサポートが大きい。今回は20の混成チームが同時進行で作業を進める。いっこうにアイディアがでないチーム、共同作業が苦手で引っ込んでしまう生徒がいるチームなど、おのずから個性がでる。

私が感心するのは、メンバー6人で事前にだれがどこのチームを担当すると決めるのではなく、気づいた人が随時手をさしのべるやり方をしていることだ。それが阿吽の呼吸でできてしまうところがすごい。

かくも成熟したチームワークはどうしてできたんだろう、いつも思うことである。

尾上明代氏のドラマセラピー・ワークショップ

懇親会は日大通りの「たつみ」で

懇親会は日大通りの「たつみ」で

尾上明代先生(立命館大学大学院教授)に、ドラマセラピー・ワークショップの入門編をお願いした。通常のセラピーセッションは、8~10人の規模で、回数も20回近くやるらしい。そのさわりを1回2時間でというのだから、無茶なお願いである。

どんなアクティビティをやるかずいぶん迷ったということだが、16人の参加者はみな大満足だった。獲得研レクチャーシリーズ6「ドラマセラピー―その全身的発展ワークの体験」は大きく6つのパートに分かれている。最後にくる「心の障害物を乗り越えるドラマ」がとりわけ示唆的だった。心の中を可視化するアクティビティだ。

まず一つの目標を設定し、それが達成されたときの姿をイメージする。しかし、「自信のなさ」だったり「環境条件への不安」だったり、心のなかにはいくつも障害物がある。それを乗り越えるプロセスを演じてみる。この日でたいくつかのアイディアのなかで、メンバーの支持を得た目標が「私は女優になりたい」だった。

設定した役柄は、目標をいだく人、心の障害物(今回は6人)、夢を実現した当人(目標役)という構成である。目標役の前に一直線に立ちふさがる当人の心の障害物(内面の声)たち。この6人と一人ずつ対話し説得しながら目標役に近づいていく。

尾上先生も初海さん(事務局長)もICUの同窓生

尾上先生も初海さん(事務局長)もICUの同窓生

ファシリテーションの間合いが絶妙である。当人が対話につまると、ちょっと違う視点をアドバイスしたり、後ろを振り向かせて「それじゃ元にもどりますか」と初心を思い出させたり、目標役のひとを目の前に登場させてエールを送らせたり、と内面のドラマを即興的につくっていく。今回は、当人役をやった小松理津子さん(秋田明徳館高校)の熱意におされて、6人全員が道をあけ、最後は小松さんと目標役の杉山ますよさん(早稲田大学)が抱き合って喜んだ。

尾上さんはアメリカで3000時間のセラピー実習をし、日本人で最初にRDT(北米ドラマセラピー学会公認セラピスト)になった方だ。2001年の日本演劇学会のシンポジウムでご一緒して以来のお付き合いである。ただ、セラピーは専門家の領域だから、ちょっと敷居が高い印象が私にもあった。その印象が今回のワークショップでかなり変わった。

一般に教育関係者の発想の特徴は、向日性がつよいことにある。だから同じファシリテーションでも、その場で「やりたいこと」「やった方がいいこと」に比重がかかりやすい。一方、セラピストは「やってはいけないこと」にも敏感である。そのバランス感覚がとても新鮮に感じられる。場を安全に制御するために意を砕く、それは教育関係者がこれまで以上に配慮すべき点だろう。

尾上さんは、ドラマセラピーへの誘い『子どもの心が癒され成長するドラマセラピー―教師のための実践編』(戎光祥出版)を出し、セラピーと教育実践をつなぐ仕事もしている。獲得研とどこかでコラボできないかなあ、ワークショップを経験してそんなことを考え始めた。

10年目の桜

ずいぶん枝が伸びたようだ

ずいぶん枝が伸びたようだ

日大に移ってから、丸10年が経とうとしている。昨日3月27日は終日、獲得研の運営委員会だった。研究室の外は満開の桜。高校生プレゼンフェスタの振り返り、定例会のプログラムのつめ、異文化間教育学会第34回研究大会の運営方針など、いつもながら議題が盛りだくさんである。

ちょうど10年前の同じ日に、青山のフロラシオンで米国理解教育研究会(あかり座)の顔合わせをやった。初対面のメンバーにもかかわらず議論沸騰、よっぴいて語り続け、アメリカの光と影をくっきり描きだす教材をつくるという方向が固まった。

それから3年。あかり座チームは、取材でアメリカを横断し、つくった教材『中高生のためのアメリカ理解入門』(明石書店)の普及で日本を縦断するという具合に、文字通り旅する教師の集団になった。

いまの獲得型教育研究会(獲得研)は、あかり座を母胎にはじめたものだ。発足は2006年4月4日。それ以来、獲得研のメンバーも、旅を続けている。教育方法をめぐる冒険の旅である。

書斎から見る八国山の山桜

書斎から見る八国山の山桜

この旅に二つの意味がある。一つは、『学びを変えるドラマの手法』『学びへのウォーミングアップ 70の技法』(旬報社)などアクティビティ普及の旅、もう一つは、ドラマ技法を使ってリアルな世界とフィクションの世界を往還する旅である。

この10年で、旅する仲間がふえ、社会状況もメンバー個々人の人生も大きく変わった。まだ旅のゴールはみえない。ただ一つはっきりしているのは、驚くべく成熟したチームワークをもつ研究グループができた、ということである。

10年目の桜を眺めながら、そんなことを考えた。

新春合宿

新春合宿 13年ン 014

獲得研の新春合宿(1月4日―5日)があった。ことしで7回目。時間を気にせず、夜中までおしゃべりできるのが合宿のいいところだ。ディスカッション漬けの2日間をすごすたび、「いよいよだなあ」と新しい年のはじまりを実感する。

ドラマ教育30年のキャリアをもつ林久博先生(成蹊小学校)のワークショップが新鮮だった。糸繰り人形・オズワルドの動きを全身でまねたり、伝言ゲームを楽しんだりしながら、いろんなアイディアを教えてもらった。

「ぞうさん」の研究

「ぞうさん」の研究

林さんは、いつも一日のはじまりを楽しく、と心がけているらしい。ワークショップになると、ふだんの物静かな口調が一変し、変幻自在に声や表情を使いわける。林さんをみていると、やる気スイッチならぬ役者スイッチというのが、ほんとにある気がする。さぞかし楽しい教室なのだろう。

新春合宿では、毎年“獲得研のいま”を確認する。研究のミッションが何で、研究がどこまできたのか、これからどこに力点をおくのか、みんなで考えるのだ。

獲得研がやってきたのは、獲得型学習システムの開発と普及にかかわる研究のすべてである。学習モデルをつくる、学習ツールとしてのアクティビティを整理・体系化する、アクティビティの効果的な活用方法をさぐる、研究成果を公刊する、普及のためにあかり座公演をする、教師研修プログラムをつくる、というもの。

これらを同時進行でおこなうということは、基礎研究と応用研究を同じチームが担当するようなものだ。道のないところに道をつける研究だから、途方もなく時間がかかる。その分、やりがいもある。

第3巻の企画をねる

第3巻の企画をねる

共同研究8年目ともなると、研究コンセプトの共有が進み、ディスカッションがどんどん刺激的になる。実践事例を間にはさんで、小学校から大学までの教員が、一緒にディスカッションするのは楽しい。

それでなくとも「変さ」値の高い、柔軟な発想をするメンバーの集まりだから、いろんな視点が交錯して容易に議論が収束しない。暗礁にのりあげたり、袋小路に迷いこんだりと「わや」になる。

わたしは、そうした混沌状態が大好きだ。混沌をくぐって、パーッと視野が開けたとき、いったい何が生まれてくるのか、それを考えると、できるだけ長くカオスにひたっていたい気さえするのだ。これぞ共同研究の醍醐味である。

昨年は、出版事業が中休みの年、外部の専門家を招くなど、腰を落ちつけて研究できた。今年は、異文化間教育学会34回大会の運営、中高生プレゼンテーション・フェスタの開催など、新企画が目白押しのうえに、シリーズ第3巻の出版準備も本格化する。

走りながら考える時間がふえるということだが、どうしてか、もう一段あるいは二段、これまでより研究の深化がみられるだろう、という予感がする。

注)「変さ」値: 変わり者の度合いをしめす獲得研用語。偏差値のもじり。客観的基準というものはなく「いやいや、○○さんの方が、私よりよほど「変さ」値たかいですよ」などと、謙遜する時によく使われる。

 

保立道久氏の講演-神話世界と演劇的知

週末にきいたICUの先輩・保立道久先生(東京大学史料編纂所教授)の講演を反芻している。獲得研レクチャーシリーズの3回目。タイトルは「神話をどう語り、どう教えるか-地震・火山神話を中心に-」。東日本大震災のインパクトをうけて書かれた『歴史のなかの大地動乱-奈良・平安朝の地震と天皇』(岩波新書)の第4章「神話の神々から祟り神へ」がベースである。

保立道久さんは、神話をどう考え、どう教えるかは、日本の学術と文化にとって最大の問題のひとつだという。そのうえで三つのことを提案する。それは、①国家神道と神話・宗教を区別すること、②神話の自然観に照応しうる自然観をもつこと、③「神道」のもつ「忌み」の思想の復権をはかること、である。忌みは、9世紀が神話の中から抽出した思想であり、自然の意識的保存の装置だともいっている。

細部がまた面白い。「古事記」では、雷電、地震、噴火をつかさどる災害の神が三位一体であること。この時代が、たびかさなる地震、温暖化、パンデミックに遭遇しその困難を乗り越えた時代であること。王権内部の激しい抗争(「ハムレットが10回おこったようなもの」)のなかで敗北者が祟り神となり、また村落共同体が敗北者を祀ることで権力への抵抗の根拠にしたこと、などが重層的にかたられるからだ。

生家の「龍」 鶴見総持寺独住四世・石川素童の書

神が仏に帰依するかたちで本地垂迹説がうまれ、三位一体の自然神が「龍」というシンボルに形象化されて水神や疫病をくいつくす存在になっていく、という紹介もあった。

中村雄二郎が、コスモロジー、シンボリズム、パフォーマンスを統合する原理が演劇的知だといったが、今回の講演では日本神話のコスモロジーが重要な素材となっている。わたしの概念構成でいえば演劇的知の「表象」レベルの内実そのものにかかわってくる。

同時に、日本の自然認識の一部として神話をよみとき、自然科学による国土論とあわせて、国土イメージを形成するときの手がかりにするという保立さんの着想は、現代人の自然観・教養の問題としても重要である。村上陽一郎さんが、現代の教養を科学リテラシーとして提起していることにも通じるだろう。考えるべきことは多い。

『歴史のなかの大地動乱』は、地震学の最新成果と歴史学のそれがスパークすることで生まれたもので、いわば研究における文理融合の成果である。こうした研究の異文化交流は、保立さん自身の認識も変容させているようだ。たとえば著者紹介で、専攻を「日本中世史」ではなくあえて「歴史学」としているのは、学問としての歴史学の社会的役割にたいする内省からきたことではないか、と思えるからである。