欧州都市巡り」カテゴリーアーカイブ

スイスでのワークショップ

スイスの首都ベルンから、昨夜ロンドンに戻った。2泊3日の短くそして波乱万丈の出張だった。

スイス日本語教師の会が主催する「第24回秋のセミナー」(会場:在スイス日本国大使館本館多目的ホール)で講演+ワークショップをすることになり、藤光先生と一緒にでかけたのだ。

参加者は60名で、会場がぎりぎり満杯の状態だという。中にはパリから夜行バスで参加される方もいるらしい。なにしろワークショップ向きの人数ではないし、広さも十分とは言えない。天気が雨だと、外の空間も使えない。しかも、私のようなタイプの講演会は、今回が初めてだというではないか。ここまで不確実な要素の多い講演というのは、さすがにやったことがない。

しかし、会長であるカイザー青木睦子先生の念力が通じたのだろうか。どしゃぶりの一日だったにもかかわらず、晴れ間をぬって前庭も活用できた。ベテランから初参加の方までとても和やかな雰囲気の会だったこと、そして役員の方々の奮闘、日本広報文化センターの下飼手所長をはじめとする大使館の全面協力、藤光先生の絶妙なアシストがあって、難条件の数々をなんとかクリアできた。

ベルンの訪問は、42年ぶりになる。若いころに、ルソーの旧蹟をたどって、ジュネーブ、ヌーシャテル、ビエンヌ湖そしてベルンまできたことがあったのだ。その頃の記憶はすっかり薄れていたが、会の役員のなぎささん(ICU高校6期生)に案内してもらって、アーレ川を見下ろす大聖堂の横の公園に立った瞬間、そのときの記憶がはっきりよみがえってきた。

世界遺産の町と豊かな水量をもつアーレ川のつながりの深さを実感したのは、水温が18度あたりになると、人々が水着で川流れをする、という話を聞いたからだ。袋にいれた洋服と一緒に流れてきて、そのまま出勤する人もいるというから凄い。

ほんの3日間だったが、その間に、30年間に及ぶ継承語教育や成人教育の紆余曲折を知ることができた。スイスの先生たちの創意的な取り組みを、自分なりに消化するには、もう少し時間がかかりそうである。

カステル・コッホ―中世風の城

カーディフにきた目的の一つは、カステル・コッホ(Castell Coch コッホ城、赤い城)の訪問である。地元では、カステル・コーホと発音する人が多いようだ。

19世紀に石炭で富をなし、当時世界一の金持ちといわれた第3代ビュート侯(1847‐1900)と建築家バージェスの手になる中世の城である。正確には、廃墟になった城をビクトリア時代にリニューアルし、13世紀風の意匠そのままに再建(創建)したものである。

バージェスが日本美術の熱烈な信奉者で、その弟子が日本にやってきて鹿鳴館を設計したジョサイア・コンドルということになる。

目指す城はカーディフの町から路線バスで20分余り、タフ渓谷の森の中にある。バスを降りて上り坂を20分ほど歩く。

一緒にバスを降りた同年配のご夫婦と3人で、ふうふう言いながら坂を登った。近郊からきたご夫婦らしい。ご婦人の方が私のカバンに目をつけて、それは日本製かと聞く。たしかに、観光地に革鞄で来る人などいないので、目立つのかもしれない。

医者の娘さんも同じようなカバンをもっているという。それで自然にこちらの仕事の話になり、なんでわざわざ「イギリスから学ぶことなんて何もないでしょう?」と断言する。

うーん、そうきたか。確かに、今のイギリスは問題が多いが、ちょっと面倒なので、話題をそらすことにした。

城内に足を踏み入れると、サイズ感が狂った感じになる。思ったよりもずっと小さい空間なのだ。

3つの塔(Keep Tower, Kitchen Tower, Well Tower)をつなぐ回廊が、小さな広場を囲んでいる。螺旋階段の踏み板が小さくて、注意しないとすぐに足を踏み外しそうになる。

内装をみると、たしかに中世の城とはこんなものか、というイメージそのままである。ノイシュヴァンシュタイン城の例もあるので、てっきりビュート侯も、奇想の人、偏屈な趣味の持ち主かと思っていた。

こわいもの見たさ半分の気分でいたのだが、しかし、どうもそうした悲劇とは無縁のようである。ご本人の没後も、夫人がこの別荘を訪ねて滞在したという。。

それにしても、調度品、壁画、彫刻などの細部が凝りに凝っている。凄い情熱である。扉や手すり、窓枠のアイアンワークも素晴らしい。

中世趣味まっしぐらという感じで、大金持ちの趣味としてこれはありかも、と思えてきた。歴史博物館としてみても面白いし、あるいは3つの寝室(妻、夫、娘)をもつコンパクトなリゾート・マンションといっても良いのではないか。

訪問者が少ないせいもあるが、ノイシュヴァンシュタイン城などと違って、とにかく見学者を放っておいてくれるのがありがたい。

わたしは、3つの塔を登ったり下りたりして、ゆっくり城内を2周した。おかげで石壁の質感や細部の意匠まで存分に楽しむことができた。

ここまできた甲斐があるというものだ。

ロンドンでの再会とこれから

再びロンドンを離れ、ウェールズの首都カーディフの宿に着いた。道路を隔てて、窓の外に、カーディフ城の城壁がみえる。

昨日は、とりわけ記憶に残る一日になった。ヨーロッパにおける獲得型教育の展開が、一つのエポックを刻んだと実感されたからだ。

藤光先生を中心とする2017年、2018年のパリ研修会のメンバーが、その後の研鑽の成果を、週末にあった「第23回AJEヨーロッパ日本語教育シンポジウム」(ベオグラード大学)で、パネル発表した。全体タイトルは「演劇的手法を活用した『参加し、表現する学び』~欧州教師研修、継承語教育、高等教育、成人教育の現場への展開」である。

時本先生(サピエンツァ ローマ大学)、植原先生(ベルリン日独センター)、西澤先生(オックスフォード大学)たちが、わざわざロンドンまで、当日の様子とこれまでの経緯を報告にきてくれた。

下の写真:(ウェストミンスター・スクールで教えておられたミラー浩子先生に、テート・ブリテンのラファエロ前派のガイドをしていただいた後、ジャパンハウスの安野光雅展を見学。)

その密度の濃い研鑽の歩みをたっぷり聞かせてもらううち、メンバーの発表が、当日の参加者に圧倒的な印象を残しただろうことが、容易に想像できた。聞けば、もう次の展開を模索しているらしい。

この先生たちの情熱は、いったいどこから来ているものなのか、では、私にどんなサポートができるのか。

前日の楽しい余韻を味わいながら、考え考え飲みすすむうち、ついつい深酒してしまった。珍しいことである。

トーキー博物館

英国南西部のデボン州にあるトーキー博物館を久しぶりに訪ねた。2008年に、ここで「日本におけるアガサ・クリスティー」と題する講演をして以来だから、11年ぶりということになる。


バンクホリデーということもあって、ヨットハーバーのあたりは、わんわんの人だかりだが、ほんの5分坂を登ってきただけで、このあたりは閑散としている。

どうもロンドンを離れると、フレンドリーな人の率が高くなる気がする。今朝もブリクサムのバスセンターに立っていたら、これからダートマスにいくという84歳の元気なご老人に握手を求められた。ちょっと驚いたが、こちらの友人の解釈によると「ようこそブリクサムへ」という歓迎の気持ちだろうという。

博物館の人たちもことごとく親切である。ミュージアム・カフェのマスターが、ブラスバンドのトロンボーン奏者だそうで、クリーム・ティー(これが美味しい)のミルクやお湯をさかんに追加してくれる。

こちらがクリスティーに興味がありそうと見るや、ナショナル・トラストのグリーンウェイ(彼女の別荘)でボランティアをしている人を紹介してくれた。

この人がまた話好きで、聞けば、ロンドン生まれのロンドン育ち、IT企業で働いて、大西洋をビジネスクラスで往復する仕事をしていたらしいが、40代でスパッと辞めて、ボランティア暮らしをしているのだという。日本人にはちょっと考えにくいライフ・スタイルである。

時間に余裕があるせいなのか、土地柄がそうさせるのか、あるいはそういう人が集まってくるからなのか、ともかくフレンドリーな人によく出会う。

トーベイ(トーキー、ペイントン、ブリクサムあたりの総称)には何度か来ているが、なるほどここはイングリッシュ・リビエラだわい、と今回改めて感じたことだった。

Ryeー中世の面影を残す町

ロンドンを離れて、しばらくは英国の南東部、南西部の町々を訪ねる。昨日は、ロンドン・ビクトリア駅から南東に2時間ほど、イースト・エセックスにある町ライについた。


14世紀の建物があることで知られるが、丘上にある町全体が、中世以来の様々な様式の建築物で彩られている。17世紀に作られたグラマー・スクール(現在はレコード店)もある。どうも英国人の郷愁を誘う町らしく、年配の観光客が多い印象である。

駅に降りると、まずは地図を入手するのだが、インフォメーションが見当たらない。窓口に一人ぽつねんと座っている駅員さんが、フリー・タウンマップと書かれた手描きの地図のコピーをくれた。

ホテルは、駅から斜面をあがって徒歩5分。そこがもう観光スポットの中心地付近である。それほど小さな町だ。

部屋に入って最初に感じたのは「まいったなあ。観光シーズンに、観光地の真ん中に飛び込んでしまった」ということ。案内されたのは、一人旅に似つかわしくない大きくてロマンチックな部屋である。

建物の2階正面に位置し、張り出しスペースにベランダまでついている。あまつさえ昼間からシャンデリアが燦然と輝いている。前の通りをぞろぞろ観光客が通るから、なんだかショーウィンドーのなかで暮らすような具合である。

しかし、夜になると嘘のように人影がぱたりと途絶えた。こうなると丘の上の静かなホテルである。それで、以前、津和野の町に泊まった時のことを思い出した。

そのかわり、朝の散歩が素晴らしい。人っ子一人いない町を歩いていると、昼間は見えなかった、建物の細部や街並みのつながり具合がとても良く分かる。

それで、人ごみの多い昼間をさけ、朝と夕方の見学に時間を割くことにした。

そうなると現金なもので、こういう部屋も悪くないなあ、という気がしてくる。なにしろシャンデリアが無闇に明るいので、夜中でも仕事ができる。バスルームにいたっては、ひょっとしてロンドンで泊まっている宿の部屋より広いのではないか。

窓外の景色が素晴らしい。眼下に芝生の広い公園、その向こうにライ繁栄の礎となる海運を支えたRother川、さらにその向こうに、羊のいる牧場が果てしなく続いている。


なんだかもうしばらく滞在してもいいなあ、なんて思うようになってくるのだから、勝手なものである。

 

藤光先生宅を訪問

ロンドンの藤光先生のお宅で、施さんの手料理をごちそうになった。テーマは「初秋」。中華料理をベースに、和洋中が融合した独特の世界観をもつ全7品の料理だ。

パリでもそうだったが、地元食材を徹底的に探索し、そこから料理のイメージを膨らませるらしい。

今回も、地元のエビに上海から持ち込んだ白茶の風味をきかせて仕上げた料理、西洋のクワイと数々のキノコをとりあわせた炒め物、カモ肉のローストに味噌ベースのソースをあわせた一皿などが次々に登場する。デザートには手作りのコンポートがつく。いずれも絶品である。

たった一人の来客のために料理に名前をつけ、手書きのメニューを添える。茶の心に通じるもてなしである。

実は、ロンドンに落ち着いた途端、日ごろの疲れがドッと出て、食欲までなくしていた。

ところが、施さんのお料理を食べ進むうち、自然に身体が整ってくるように感じるから不思議である。

今朝から、食欲もちゃんと戻っていた。

ラッセルスクエア周辺

地下鉄のラッセルスクエア駅は、ロンドン大学の最寄り駅だが、私にとっては書店のディロンズに通った駅という印象が強い。

1990年代は、いまよりも円高だったから、本をたくさん抱えて地下のカウンターにいき、そこで箱詰してもらった本を、数か月後に船便で受け取った。当時のディロンズもいまは書店ウォーターストーンズに変わっていて、地階にあるカフェにだけその名が残っている。

書店までの経路だが、駅の改札をでてからラッセルスクエア公園を左手にみて、まず交差点をわたる。(上の写真:ラッセルスクエア)

そのままワンブロックばかり北上すると、もう一つの公園タビストックスクエアがあらわれる。このあたりには○○スクエアという名の公園がいくつもある。(下の写真:タビストックスクエア 背中はガンジー像)

タビストックスクエアの前で左折し、まっすぐ道なりに進むと、やがて書店のビルがみえてくる。

今回もそうだったが、タビストックスクエアでよくリスを見かける。10年以上前になるだろうか。早春の午後に、時ならぬ雪のふる公園を通ったら、一匹のリスがひょっこり目の前に姿をあらわして、一定の距離を保ったままどこまでもついてきたことがあった。

教育や演劇関係だけでなく、いろんなジャンルの本を船便で送ったが、そのなかに植物やガーデニングの本も含まれていた。

20年以上も前からイギリスの庭づくりに強い関心があったとは思えないのだが、ガーデニング関係の大型本がいまも書棚に鎮座していて、最近になって、それらをよく見返すようになってきた。

多文化主義の退潮

イアン・デービス先生(ヨーク大学)から、イギリスで多文化主義が語られなくなったという話があったが、Brexitをめぐる推移をみるにつけて、なるほどと実感できる。

スミス・スクエアにあるヨーロッパハウスを、藤光由子先生のアレンジで見学して、その感をさらに深くした。

階段ホールに、EUの歴代委員長の肖像が掲げられているこのビルは、ルーフトップバルコニーから、ビクトリアタワーやウェストミンスター寺院が間近に望める、まさにロンドンの中心地である。

しかも、ギャラリーと会議場を備えたこの建物は、もともと保守党の所有だったもので、サッチャ―政権が成立したときの記者会見は、まさにこの場所で行われたのだという。このあたり、ヨーロッパハウスに対するEU側の力の入れようが推し量られる。

案内してくれたポール・ケイさんは、ブリュッセルの本部から派遣され、英国に多言語主義を定着させるため、さまざまな企画展を開いたり、パンフレットを編集したりという役割を担ってきた方だが、3月中にこのオフィスをたたんで、ブリュッセルに帰ることになっているのだという。

Brexitは一時的に延期となっているが、さて8月の訪問のときにはどうなっているのか、目が離せない。 –

ヨークの散歩道

私の花粉症は、杉のシーズンが終わってからの方が悪化する。根気と思考力が大幅に低下するので厄介だ。

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もう先月のことになるが、英国のヨークで、はじめて城壁沿いの散歩を楽しんだ。

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旧市街を取り囲む城壁が有名な町だが、4年前は、外から眺めるばかり。大学とホテルを往復しただけで終わってしまっていた。

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今回は、ヨーク・ミンスターのぐるりを、かれこれ3度ばかり歩き回った。

天候も時刻も違う散策だったから、同じようなコースを巡っても、それぞれ異なる表情がみえる。

宿が城壁のすぐ内側という利便性も大きい。

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1回目は、池野範男先生のガイドツアー。時雨勝ちの幻想的な風景が広がっていた。

2回目は、地元で社会科の教師をしていたというイアン・デービス教授のツアー。なにしろ情報量が豊富だ。

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そして3回目は、朝の散歩。一人で少し長い距離を歩いてみた。

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壮大な建築空間のもつインパクトは、若いころにカンタベリー大聖堂で受けたものに通じるように思う。

当時はたっぷり時間があったから、日本でチョーサーを読んでからでかけた記憶がある。

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城壁から色んな角度でミンスターがみられるが、周辺の景色や家々の庭がまたなんとも面白い。(どうやってこんな高い塀にのぼったのか)

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リタイアしたら養蜂をやってみたいと思っているせいだろう。お屋敷の庭におかれた巣箱がいたく印象に残った。

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朝の散歩で気づいたのは、この中世からの道が生活道路でもあることだ。なにしろ、通勤路にしている人がたくさんいる。

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要所要所にこうした門があり、門の階段を上ると、城壁の道になっている。

第2回全仏高校生日本語プレゼンテーション発表会

獲得研の第121回例会で、早川則男先生(中村高校)、小菅望美先生(高崎市立北部小学校)から、3月3日にパリ日本文化会館であった発表会の参加報告があった。

(下の写真は発表会前日。エトワールにほど近いカフェ。藤光先生宅にも早川さんのホテルにも近く、居心地の良い空間だった。)

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運営にあたった藤光由子先生と連絡を重ねて周到に準備した参加報告である。発表会本番の詳細はもちろんのこと、企画のねらいからコルマール、ボルドー、サン・ジェルマン・アン・レーの各学校で指導にあたった先生たちの所感の内容にいたるまでが網羅された、じつに力のこもった報告だった。

 

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発表会当日の概要を、会館のHPで視聴することができる。

https://www.mcjp.fr/ja/agenda/journee-inter-lycees-dexposes-en-japonais

いつものごとく現地集合・現地解散で行動したのだが、発表会前日には、日本からの3人で、パリ・インターナショナルスクールのIBの授業を参観(石村清則先生)し、ESDを担当しておられる田中瑞穂さんのご案内でユネスコ本部の見学も実現できた。

(下の写真は発表会当日。パリ日本文化会館横の橋上から。エッフェル塔がすぐ近くにある。)

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小菅さんは、藤光先生宅のホームステイも含めて、今回のパリ行きが「今後の人生の転機になる」訪問だったと記しているし、早川さんは、「今後とりくむべき海外のあかり座公演のイメージが具体的になった」訪問だったと総括している。

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お二人の報告に接して、いま国内のあかり座公演のアイデアが色々にでているが、獲得研側の参加者の経験の質ということを考えると、あかり座地方公演と並行して、そろそろ海外公演の企画も具体化していく時期にきているのだなあ、と実感したことだった。