欧州都市巡り」カテゴリーアーカイブ

ヨークの散歩道

私の花粉症は、杉のシーズンが終わってからの方が悪化する。根気と思考力が大幅に低下するので厄介だ。

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もう先月のことになるが、英国のヨークで、はじめて城壁沿いの散歩を楽しんだ。

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旧市街を取り囲む城壁が有名な町だが、4年前は、外から眺めるばかり。大学とホテルを往復しただけで終わってしまっていた。

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今回は、ヨーク・ミンスターのぐるりを、かれこれ3度ばかり歩き回った。

天候も時刻も違う散策だったから、同じようなコースを巡っても、それぞれ異なる表情がみえる。

宿が城壁のすぐ内側という利便性も大きい。

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1回目は、池野範男先生のガイドツアー。時雨勝ちの幻想的な風景が広がっていた。

2回目は、地元で社会科の教師をしていたというイアン・デービス教授のツアー。なにしろ情報量が豊富だ。

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そして3回目は、朝の散歩。一人で少し長い距離を歩いてみた。

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壮大な建築空間のもつインパクトは、若いころにカンタベリー大聖堂で受けたものに通じるように思う。

当時はたっぷり時間があったから、日本でチョーサーを読んでからでかけた記憶がある。

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城壁から色んな角度でミンスターがみられるが、周辺の景色や家々の庭がまたなんとも面白い。(どうやってこんな高い塀にのぼったのか)

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リタイアしたら養蜂をやってみたいと思っているせいだろう。お屋敷の庭におかれた巣箱がいたく印象に残った。

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朝の散歩で気づいたのは、この中世からの道が生活道路でもあることだ。なにしろ、通勤路にしている人がたくさんいる。

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要所要所にこうした門があり、門の階段を上ると、城壁の道になっている。

第2回全仏高校生日本語プレゼンテーション発表会

獲得研の第121回例会で、早川則男先生(中村高校)、小菅望美先生(高崎市立北部小学校)から、3月3日にパリ日本文化会館であった発表会の参加報告があった。

(下の写真は発表会前日。エトワールにほど近いカフェ。藤光先生宅にも早川さんのホテルにも近く、居心地の良い空間だった。)

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運営にあたった藤光由子先生と連絡を重ねて周到に準備した参加報告である。発表会本番の詳細はもちろんのこと、企画のねらいからコルマール、ボルドー、サン・ジェルマン・アン・レーの各学校で指導にあたった先生たちの所感の内容にいたるまでが網羅された、じつに力のこもった報告だった。

 

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発表会当日の概要を、会館のHPで視聴することができる。

https://www.mcjp.fr/ja/agenda/journee-inter-lycees-dexposes-en-japonais

いつものごとく現地集合・現地解散で行動したのだが、発表会前日には、日本からの3人で、パリ・インターナショナルスクールのIBの授業を参観(石村清則先生)し、ESDを担当しておられる田中瑞穂さんのご案内でユネスコ本部の見学も実現できた。

(下の写真は発表会当日。パリ日本文化会館横の橋上から。エッフェル塔がすぐ近くにある。)

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小菅さんは、藤光先生宅のホームステイも含めて、今回のパリ行きが「今後の人生の転機になる」訪問だったと記しているし、早川さんは、「今後とりくむべき海外のあかり座公演のイメージが具体的になった」訪問だったと総括している。

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お二人の報告に接して、いま国内のあかり座公演のアイデアが色々にでているが、獲得研側の参加者の経験の質ということを考えると、あかり座地方公演と並行して、そろそろ海外公演の企画も具体化していく時期にきているのだなあ、と実感したことだった。

ロンドンの公園

英国がEU離脱を正式に通告した。移行に2年の時間をかけるということだが、これから両方の側が手探り状態を続けていくことになる。

スーパーの品揃えからレストランのメニューに至るまで、ロンドンが「欧州化」していく様子を長い年月観察してきた。まさかこんな時がくるとは想像していなかったが、離脱によって市民の生活がどう変わっていくのか、これからも見守っていこうと思っている。(下の写真は、ホランド・パーク。京都公園、福島公園のコーナーもある)

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ロンドンは、一日のあいだに、晴れ、曇り、雨と、天気が目まぐるしく変化する。傘をかかえて、ホランド・パークとセントジェームス・パークを歩いてみたが、同じ都市型公園でも、ずいぶん対照的な雰囲気である。

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ホランド・パークでは、近くに住む市民が、晴れ間をぬって、ゆったり散歩したり、ベンチでくつろいだりする姿がみられる。隣接するデザイン博物館の見学をしていたら、そこで働く若者グレゴリーさんに声をかけられ、彼の将来の夢についてたっぷり話を聞いた。(下の写真は、デザイン博物館の館内)

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バッキンガム宮殿に隣接するセントジェームス・パークは、はじめてだが、さすがに観光地だけあって、色んな言葉をはなす団体がひっきりなしに行きかい、賑やかである。(下の写真は、セントジェームス・パーク)

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行きがけに、最寄りのウェストミンスター寺院のまえで、なんとなしにシャッターをきった。寺院の奥に、テムズ川の対岸にあるロンドン・アイと手前にある国会議事堂が映りこんでいる。

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帰国後、数日して、ウォータールー橋のうえを、国会議事堂側に向かって車が暴走してくるニュース映像をみた。

日にちが少しずれていたら、ひょっとしてテロ事件にまきこまれることになったのかも知れない。

パリの治安情報

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ミュンヘン滞在中、ノイエ・ヴァン・シュタイン城の見学をご一緒した雜村さん姉妹から、大阪の友人が語学研修でパリを訪問することになっているのだが、本人が治安について心配している。実際のところはどうなんだろう、というメールを頂戴した。それでちょっと書いてみたいと思う。

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テロの後、フランスの警戒が強くなっていることは確かで、銃を持った兵士が人の集まる場所をよく巡回している。警察のパトロールも強化されているようで、先日、ストラスブールからコルマールに行くローカル線の車内でパスポートの提示を求められた。こんな経験ははじめてである。美術館やデパートの入口では、ほぼ確実に荷物検査がされている。

ストラスブールに移動してくる前に、パリの藤光由子先生(パリ日本文化会館・日本語教育アドバイザー)のお宅で、夕食をごちそうになった。シェフでご主人の施さんの料理は、見た目も味も素晴らしく、至福の一夜だった。

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同夜、一緒に招かれた大島泉さん(ICU高校2期生)、高橋潤子さん(パリの国際学校の先生)が、お二人ともパリ在住20年を越す国際結婚家庭の方ということで、体験談も含めて、これ以上ないくらいリアリティのある治安情報をうかがうことになった。

それによると、パリに住む日本人家庭向けのメルマガで、定期的に治安情報が流れていて、日本人がスリにあった件数やら新手の手口やらが具体的に報告されているという。たとえば、12~13歳ほどの子どもグループで、被害者を取り囲んで金品を奪うケースが続出しているらしい。子どもへの罰則がゆるいのを逆手に取った犯行だという。また、道端でアンケートと称して声をかけ、注意をそらしている隙に仲間が財布をかすめ取る被害も多いという。

メルマガが配信されるつど、被害件数・数百件と記されているそうだが、なるほど地下鉄1号線に乗ると、駅ごとに「スリにご注意を」と日本語でもアナウンスしているから、よほど被害が多いということだろう。パリに到着し最初の目的地にたどり着く前に、財布とパスポートをすべて盗られたといって日本文化会館に駆け込んでくるケースもあると聞いた。

荒っぽい手口としては、ドゴール空港からタクシーに乗り、パリ市内に入る入口あたりの交差点で、車の窓を割られて、膝の上の荷物を奪われるケースがあるという。ひったくり被害も多いので、高価な装飾品を身につけたり、多くの現金を持ち歩いたりしない方がいいのでは、ということだった。

お話をうかがう限り、日本はもちろんのこと、私が毎年いくロンドンともかなり治安意識が違うようである。こわい話が続いたが、用心するにこしたことはない。雜村さんのご友人には、くれぐれも用心のうえで、楽しく充実した語学研修をしていただければ、と願っている。

セーブル・バノー周辺

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パリでの用事があらかた済んだので、30年前滞在したホテルのあったあたりをぶらぶらしてみた。それまで、いつも一人でヨーロッパにきていたが、はじめて妻と一緒にきたときのホテルである。ここセーブル通りの辺は、いつの間にかリヴ・ゴーシュを名乗るようになり、オシャレな街に変身している。昔の面影を探すのが難しいくらいである。

はるばる南周りでパリに着き、空港のカウンターで、セーブル通りとバノ―通りが交差する場所にあるホテルを紹介してもらった。私には出発前にホテルを予約する習慣がなかったからだ。

昔風のエレベーターの扉は、自分の手で開け閉めする。定員は2人。人が乗ると荷物がのらない。部屋に入ると、風呂場の両開きの窓は壊れたまま、取っ手をかろうじて紐でくくりつけてある。窓を開けると、目の前が大きな病院で、眼下に病院の灰色の塀がどこまでも続いていた。

今年のパリも暑かったが、30年前はもっと猛暑だった。もちろん部屋に冷房などない。もっぱらホテルの隣りにあるカフェのテーブルが仕事場だった。ほかにほとんど宿泊客をみた記憶がないから、ホテルもよほど暇だったのだろう。中年のフロント係の男性も、よく同じカフェでお茶を飲んでいた。

この年はフランスだけでなく欧州ぜんぶが暑かった。ケンブリッジのB&Bに泊まったら、短パンで上半身裸の男性が、夕方のバックヤードで涼んでいた。翌朝、その髭のおじさんが、白シャツに蝶ネクタイで食事をサーブしてくれたので驚いたものだ。

かつてセーブル通りは、生活感いっぱいの通りだった。ホテルからメトロのデュロック駅まで歩くほんの2~300メートルのあいだに、チーズの店、果物屋、日本でも有名になったペルチエなどの店が並んでいて、初老のおじさんがいつもランジェリーショップの店番をしていた。パン屋さんだけでも3軒あったから、毎朝、バケットと新聞を小脇にかかえた男性たちが、しきりに往来を闊歩していた。

私たち夫婦は、親切な父娘が経営するお惣菜の店・スキャパンがひいきだった。当時としては珍しく、娘さんが英語を話せたので、サラダからハウスワインまで、アドバイスにしたがって色んなものを試してみた。そのスキャパンもいまはない。

こうして歩いてみると、30年前の街並みがまるで幻のように感じられる。数年前にも2人でこのあたりを歩いたことがあるが、なんだか変化のスピードが以前に増して速くなった印象である。

そのことに時の移ろいの儚さも感じるのだが、また一方で、定点観測というものの面白さも感じている。

パリのドライバー(2)

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空港までタクシーを呼んでもらった。パリにつく妻を迎えに行くのだ。指定した時間は午前4時。あたりは真っ暗である。5分前にフロントに下りていくと、もうドライバーが車の外に立っていた。

頭髪がわたしよりちょっと薄く恰幅がいい。やわらかい笑顔でおっとりした印象の人だ。一瞥したところ、体重はわたしの倍、おなか周りはおそらく3倍ある。「ボンジュール!」。いいドライバーがきてくれたものだ。

ところが思いがけずきびきびした運転をする。どうしてこんな道を選ぶのかわからないが、人の気配のない裏通りを疾駆し、赤信号では「キキッ」という感じで止まる。信号が青に変わった瞬間、こんどはすごいスピードで走りだす。

やがて車はセーヌ川を越え、川沿いの道を走り、見覚えのある片道3車線の広い道路にでた。小さく開けた窓から入ってくる風切り音がどんどん大きくなり、スピード・メーターの針があっという間に140キロに達した。

おいおい大丈夫か。追い越し車線ばかり走り、そのままの勢いで空港まで走り通した。おかげで私の足は床を踏ん張り通しである。

空港の建物が見えてホッとしたところに、次の危機がきた。到着ターミナルへの入口が分からないという。そんな馬鹿な。時間が早すぎてターミナルの入口がまだ閉鎖されているらしい。車は「第2ターミナルE」と「第2ターミナルF」の間の周回道路を、カーレースよろしく5、6回ばかりも周りつづける。

私の方がよっぽど動揺していたのだろう。やっと駐車スペースをみつけ、いざ清算しようとしたら、もってきたはずの財布が見つからない。さては、財布を部屋のセーフティ・ボックスにいれたままだったか。これはさすがにまずい。一難去ってまた一難である。さてどうしたものか。

ところが件のドライバー氏が、少しも慌てずこういうではないか。「そんなこともあるよ。大丈夫、ここはパリだ」。うわ、かっこいい。

こんなにたっぷりした体型の人がこんなに俊敏に動くのかというぐらい、さっさと到着ロビーまでわたしを先導して歩き、妻の荷物をひったくるとたちまち駐車場まで運び、後はなにごともなかったかのように、ホテルまで送り届けてくれた。

「いつでも連絡ちょうだい」。小さな紙片に電話番号をなぐり書きして渡すと、中年ドライバーのデービッド氏は、白みかけたパリの街に颯爽と消えて行ったのだった。

聖アンナと聖母子

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久しぶりにルーヴル美術館に入った。ガラスのピラミッドができてからはじめてである。若いころは、エリアを特定し、膨大なコレクションを何日もかけて見て回った。近年は、人出が凄いと聞いているので、たとえ徒歩圏内に宿をとることがあっても、ついぞ出かけたことがない。

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30年ぶりのルーヴルは、想像以上の人出で、芋洗い状態である。「モナリザ」はガラスケースに入り、スマホを頭上にかかげる数十人の人垣が柵のまわりを取り囲んでいるので、なんだか大きな記者会見みたいな様子だ。そもそも作品に近づくことさえ難しいので、これは早々にあきらめた。

私の好きだったスペイン絵画のコーナーも様変わりしている。当時、チュイルリー公園側の奥まった部屋にいくと、まるでご褒美のように、ゴヤ、ベラスケス、ムリリョ、エルグレコの名作を思うさま眺めることができた。小さな部屋にはいつもほとんど人の気配がなかったが、あらかたの作品が大きな部屋に移動していて、しかもわんわんの人である。

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今回は、ダヴィンチの「聖アンナと聖母子」に時間をかけた。ダヴィンチが生涯手元において加筆を続けたというだけあって興趣がつきない。自宅の書斎の壁にこの作品のコピーをかけて20年ばかりながめていても、それほどしっかり見たことがないので、一度じっくりみてみようというただそれだけのことである。謎解きのためではない。

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近景・中景・遠景の描き分けの見事さはもちろんのこと、空気遠近法というらしいが遠景の山々自体も微妙なグラデーションで奥行きをだしている。描かれた山容をみているうちに、わたしはつい最近見たアルプ湖のはるか向こうに広がるドイツアルプスの景色を思い出した。

近年の修復で画面が明るくなったということだが、マリアの衣のブルーと遠景の山々のブルーとの対応もよりはっきり意識できるようになった気がする。アンナとマリアと幼子キリストの視線の交錯もいまさらに興味深く、ただぼんやり眺めるだけでもいろんなことを考えさせてくれる。

同じ部屋の背後の壁には、繊細きわまるラファエロの「美しき女庭師」がかかっていて、ダヴィンチとラファエロの作風の違いも一目で感得できる。まあなんとも贅沢なことである。

 

パリのタクシー・ドライバー

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先ほどサン・ジェルマンのホテルに入った。バカンス大詰めの日曜日とあって、さすがに街中が閑散としている。車でマドレーヌ教会の前を通ったがほとんど人影さえなかった。

空港で乗ったタクシーのドライバーが愉快な人だった。今年のひどい暑さの話からはじまって、いつしかバカンスの話題になり、問わず語りに自分の話をしてくれる。

チュニスでバカンスを過ごし、昨日仕事に復帰したばかりらしい。「じゃあ、チュニジアの出身なの?」と聞いたら、ご本人ではなく奥さんがチュニジア出身だという。自分の車でマルセイユまでいき、フェリーで向こうにいったらしい。

パリの自宅からマルセイユまでほぼ800キロ。お昼ごろに家をでて夜中の12時過ぎに港についたという。「まだ子どもが小さいから、あちこちで休憩して、アイスクリームを食べさせたりしながらゆっくりいくんだよ」とのこと。どうも道中自体がレジャーのようだ。話を聞いていると、東北自動車道でみかける家族連れのお盆帰省の様子によく似ている。

そういう話を、猛スピードで運転しながら話してくれる。ご本人は、アルジェリア系で、生まれたのはフォンテーヌブローから100メートルのところだという。

途中、事故渋滞にあっていつもの倍くらい時間がかかってしまったが、おかげで退屈せずにホテルについた。フランスでこんなにおしゃべりなドライバーに会うのは初めてである。

昨日のちょうどこの時間は、研究室の羽田積男先生、関川悦雄先生とミュンヘンのホーフブロイハウスでビールを飲んでいた。

羽田先生は中世の大学を訪ねてチェコ、ドイツ、イタリアをめぐる。関川先生はシーボルト関係の調査でスコットランドにいき、ホームグラウンドのドイツに入る。日本を発つ前に、たまたま3人の行程がドイツでクロスしていることがわかり、お二人が私のスケジュールにあわせて予定を調整してくれたのである。

ドイツ通のお二人と旅の情報交換をしながら飲むビールの味はまた格別だった。これが人生の面白さというものだろう。

リーメンシュナイダーはあった

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きょうはバイエルン国立博物館で15~16世紀にドイツ南部でつくられた木彫群を堪能した。アルテ・ピナコテークのグリューネバルトは空振りだったが、もう一つのお目当てリーメンシュナイダーの方はぶじに観ることができた。リーメンシュナイダーとそのサークルの作品3作が別館に展示されている。

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偶然よった受付で「リーメンシュナイダーはどこに?」と尋ねたところ、中年の男性が「すぐそこの部屋ですよ」とこじんまりした部屋を指差し、ついでに「こっちに先に来て良かった」と付け加えた。なんだろうと思ったが、本館にいってその言葉の意味が分かった。なにしろ展示品の数が膨大である。なるほど、本館の方をさきに観てしまったひには、リーメンシュナイダーをみるまえに神経がくたくたになっただろう。

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本館では、素木の作品から彩色まで、丸彫りからレリーフまで、作風も違えば大きさも違う様々な作品群がどこまでも続いている。宗教彫刻が中心だからキリストの磔刑像が多いのは当然としても、南ドイツの作家たちが、憂い顔の女性像をこんなにも長い間、こんなにも熱心につくり続けていたのか、ということも発見だった。

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昔、スペインの巡礼地サンジャック・デ・コンポステラを訪ねる途次、バルセロナのカタルーニャ美術館でロマネスクの木彫群をみて強いインパクトを受けたことがあるが、ほとんどそれ以来の衝撃だった。

一昨日は、お城見学ツアーで、ルートヴィッヒがつくった3つの城のうちの2つ―リンダーホーフ城とノイシュヴァンシュタイン城―を見、昨日はミュンヘンのレジデンツでバイエルンの王家があつめた伊万里・柿右衛門のコレクションをみた。

ゆったりしたスケジュールを組んだはずなのに、なんだか忙しい。いつもの通り万歩計をつけているのだが、ほぼ毎日、1万歩あるいている計算になる。

明日はパリに移動。そろそろ旅の疲れなんかが出てきそうないきおいである。

ミュンヘンで―グリューネバルトがない!

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ミュンヘンに移動してから、ポケットの小銭がやたらにふえた。茶色い1セント硬貨がどんどんたまってしまう。ハンガリーのときは、ポケットのなかがもっとシンプルだった。どうしてそうなったのか聞き忘れたが、そもそもハンガリーには1フリント硬貨というものがない。「2捨3入」という方式らしい。清算のときに0か5になってしまうからやり取りする硬貨が実にわかりやすかった。(上の写真は、アルテ・ピナコテークの内部、下はデューラーの自画像)

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もうひとつの変化は、ホテルの外を行きかう人がやたらに多いこと。ホテルがミュンヘン中央駅からUバーンで一つとなりのカールス広場にある。そのとなりの駅が中心部のマリエン広場である。中央駅にもマリエン広場駅にも、どちらにも歩いて10分かからない。都市の動線でいえば、人の流れの一番多いところに宿をとってしまったようだ。幸いなことに、部屋が最上階で、外の喧騒が嘘のように静かである。むしろブダペストのホテルよりも静かである。おかげで仕事が捗るのでありがたい。

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まずはアルテ・ピナコテークにいってみた。ルネサンス絵画のみごとなコレクションで知られている。ラファエロの母子像、レンブラントの連作、デューラーの自画像と見ごたえのあるものが多いが、肝心のグリューネバルトの作品が見当たらない。「辱められるキリスト」「聖エラスムスと聖マウリティウスの出会い」の2点である。受付で聞き会場係のひとにも聞いて探してもらったが、どうも展示されていないようだ。(上は、アルテ・ピナコテークのカフェテリア)

ここでグリューネバルトの2点をみてから、フランスのコルマールにいき、例の“イーゼンハイム祭壇画”をみるつもりだったので、いきなり計画がとん挫してしまった。

すこしがっかりして外にでたら、ガイドブックにない建物がある。新しくできたエジプト博物館である。これが意外な収穫だった。展示品のレベルということでいえば、大作が目白押しにならぶルーブルの大迫力はない。驚いたのは展示空間のデザインの見事さ、ディスプレイ画面のハイテクさ、そしてスタッフの熱心さである。

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専門博物館だけあって展示品の種類も多い。ルーブルの「書記の像」は大好きな作品のひとつだが、わたしはここではじめてエジプト彫刻のバリエーションの豊かさというものを知った。

身なりのいい初老の男性が、第1室につながる大きなガラスのドアをわざわざ手で開けてくれて、どう展示をみたらいいのか、アドバイスまでしてくれる。優雅なものである。お客がわんさと押し寄せるルーブルとは対極のたたずまいだ。

それで「ああ、ここが現代ドイツのひとつの側面を象徴するところなんだろうなあ」と感じたことだった。