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にほんご人フォーラム2019ベトナム

昨日、ロンドンの宿についた。気温は18度、冷たい雨が降っている。「大変危険な暑さ」という日本とは20度近い開きがある。

8月の初めは、フォーラムの仕事でダナンにいた。アジア6か国の生徒が、「ふるさと」をテーマに演劇的発表を創る。

マレーシア以来の参加だが、さすがに2012年から続く事業とあって、プロジェクト自体が成熟しているで驚いた。4つの混成チームを、ベトナムの先生たちがファシリテートしている。

ご朱印船の遺跡が残る世界遺産の街・ホイアンでの取材が組み込まれている。観光客をターゲットにした語学学習もさかんらしく、小学校の生徒・先生に英語でインタビューされた。

久しぶりに横田先生、金田先生とのチームが復活したのも嬉しいことだったが、今回審査をご一緒したベトナム国立文化大学のチャン先生から、現地の教育事情を詳しくうかがえたのも貴重な経験になった。

教育の方法・技術論の教科書が完成

昨年来、集中して制作に取り組んできた『教育の方法・技術論』(Next教科書シリーズ:全10章+資料編 弘文堂)がようやく完成した。深く美しい色のカバーをまとった本である。各章の執筆者として、日本大学の各学部に所属する教育学関係の先生たち(5名)と獲得研の先生たち(3名)に加わっていただいた。

「教育の方法及び技術」は教職コースの必修科目である。そこで今回は、新しい学習指導要領を視野に入れ、アクティブ・ラーニングについて学ぶだけでなく、実際にアクティブ・ラーニングを経験しながらその指導法も学べる教科書をつくることにした。いわば“入れ子構造”になっているのが、この教科書の特徴の一つである。

 Next教科書シリーズでは、人文・社会系の30科目以上の本がすでに刊行されているが、弘文堂はこのシリーズ以外にも沢山の教科書を出している。さすがに専門出版社だけあって、その編集作業は極めて緻密なものである。

ただ、弘文堂の本といえば、私の中では、河上肇『貧乏物語』、土居健郎『甘えの構造』、大塚久雄・川島武宣・土居健郎『甘えと社会科学』などの印象がつよい。とりわけ、恩師・武田清子先生の初期の代表作『人間観の相剋―近代日本の思想とキリスト教』(1959年)がそうである。

60年の時を隔てて、まさかその弘文堂から、獲得型教育の理念をベースにした教科書をだすことになるとは・・・、届いた本を手にして、不思議の感にとらわれている。

秋田の屋敷の管理

9月中旬の4日間、秋田に帰省した。秋田から戻るのと同時にPCがダウン、復旧するまでのほぼ1か月間、まるで仕事ができなくなって難渋した。

(上の写真。この景色で「秋田に戻った」という気分になる。)

帰省にあわせて、和室の一つをフローリング化する工事をしてもらった。ちょっとした思いつきで始めたプランだが、これが思いがけない効果を発揮し、古い家がそれなりにモダンな雰囲気になるので面白い。

あわせて立木の伐採計画を前に進めることにした。前回の調査で、屋敷内に都合200本の高木があることが分かっている。

これを徐々に間引いていくのだが、まずはこの秋、外周道路に面した15~20本ばかりの高木を選んで伐採してもらうことにした。クレーン車を使って3日がかりの作業になるらしい。

(上の写真は、伐採予定の木に目印をつけているところ)

さあ、どのくらい景色が変わるものなのか、こちらも楽しみである。

羅旭さんと火鍋

羅旭さん(秋田県庁国際交流課)とひさしぶりにゆっくりおしゃべりを楽しんだ。

中国からの訪問団をあちこちガイドしたり、県の訪中団と一緒に里帰りしたりと、着実に仕事を進めてくれている。

写真の場所は、羅さんが北京時代に利用していた火鍋レストランの池袋店。日本に進出して大人気と聞いたが、なるほどと納得した。


煮汁が4種類楽しめるし、具材も羊、牛、豚、鶏の肉、魚とエビのつみれ、種々の野菜とじつにバリエーションが豊富、その上、つけだれの素材がざっと20種くらいある。

麺を延ばすパフォーマンスもテーブルの前で見せてくれる。

今年は、羅さんが中国の大学で教えていたころの学生・劉さんが、大学院に入学してきた。私にとっては、孫弟子ということになる。

そんなこんなで、人生の出会いの不思議をしみじみ感じている。

東京の再会

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八面六臂の活躍というのだろう。一時帰国中の藤光由子先生(パリ日本文化会館日本語教育アドバイザー)のことだ。

今回の獲得研セミナーでは、午前中の全体会でご自身がコーディネートした「第1回全仏高校生日本語プレゼンテーション大会」について報告、午後の分科会「インタビューからプレゼンへ」でも、リソース・パーソンとして、自分史を語ってくださった。

北海道大学で国際政治学を学んでいた藤光さんが、日本語教育の大切さに気づくようになったきっかけ、中国からの留学生であった現在のご亭主・施さんとの出会い、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピンなどでの専門家としての仕事・・・、限られた時間ではあったが、起伏に富む人生の物語を率直に語って、参加者に強い印象を残した。

今春、パリで行われたプレゼン大会の詳細は、いまも日本文化会館のホームページで見ることができる。内容はもちろんのこと、影絵などさまざまな技法を使った各チームのグループ・プレゼンテーションは、発表スタイルの面でも見事なものだ。このプロジェクトひとつとっても、日本語教育にかける藤光先生の情熱の大きさと緻密さを推しはかるのに十分である。

http://www.mcjp.fr/ja/la-mcjp/actualites/1

藤光さん・施さん夫妻は、短い東京滞在の貴重な時間、そのかなりの部分を今回の発表準備に費やし、一陣の爽やかな風をセミナーに送って、パリに帰任したのだった。

第12回獲得研夏のセミナー終了

総勢100名を越す参加者が集い、大盛況のうちに12回目のセミナーが終了した。北海道から九州まで、全国各地から参加があり、なかにはメキシコや中国などから一時帰国中の方たちもいた。

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今年の参加者の特徴でいうと、なんといっても初参加の方の比重が高かったこと、またいろんな大学から学生・院生の参加があったことがあげられる。

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写真係として、8つの分科会をすべて見て回ったが、レンズ越しにも、いつもとは一味違う新鮮な空気感が感じられた。

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ただ、さすがに12回目のセミナーともなると、ごく自然に安心の空間が作られているようである。効果的なウォーミングアップのおかげで、ぎくしゃくした感じは少しもなく、初参加の方たちも実にのびのび振る舞っている。

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昨年もそうだったが、パーティーがはねても、会場でおしゃべりを続ける方たちがたくさんいた。立ち去りがたい思いが残るのだ。その光景がセミナー全体の雰囲気を象徴的している。

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「インタビューからプレゼンへ」など、新機軸の企画がたくさんあったことも含めて、獲得研の今後にとって大きな転機となるセミナーだったように思う。

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これからアンケートの結果やメンバーのふり返りの内容を持ち寄り、いろんな角度から総括作業を進めることになる。いま進行中の「獲得研シリーズ」第4巻の編集作業も含めて、夏休みにしかできない仕事をゆっくり楽しみたいと思う。

フランスの若者たちが演劇的プレゼンに挑戦

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月曜日に、国際交流基金本部のホールで、フランスの大学生たちが演劇的プレゼンに挑戦した。発表したのは、フランス全土から選ばれて、日本のものづくりや最先端の技術を見学した学生さんたち13人。

研修成果をニュースショ―形式で発表する、このスタイルが斬新に映ったようで、基金の関係者はもちろん、参観した企業関係者からも大好評だった。スライドを背に、キャスター、企業の関係者、訪問する学生など、いろんなキャラクターが登場する。

大日本印刷、資生堂、トヨタ、ガイアックスの4社のそれぞれの企業理念から生産ラインでの具体的な工夫までが、登場人物のセリフを通して語られたのだが、これが初挑戦とは思えない実に達者なもの、たった4時間で場面を作ったと聞いたが、メモを一切見ないで発表する学生もいたのには驚いた。(発表言語は英語)

パリから学生を引率してきたパリ日本文化会館の小島瑞希さんの指導よろしきを得た結果である。発表が終わってから、インタビューしてみたら、学生さんたち自身も大いに楽しんで取り組んだようだ。日本とフランスの企業文化の違いで気づいたのは何?という当方の質問に、日本の企業がそれぞれ資料館や博物館を整備して自社の歴史を大事にしていること、という答えが何人かから返ってきた。

パリの研修会で体験してもらった技法が、こうして早速活用される場面に遭遇するのは、私にとっても嬉しいことである。昨夏、パリ日本文化会館の内部を案内してくださった小林美帆子さんとの再会、これも嬉しいできごとだった。

羅旭さんが秋田県庁に

DSC00014羅さん

中国の大学で日本語を教えていた羅旭さんが、JETの国際交流員として秋田県庁に赴任した。相当な難関を乗り越えての就職だったようだ。

久しぶりにあった羅さんは、私の大学院のゼミ生だった頃と少しも変らない、爽やかな笑顔だった。

DSC00012八郎潟の願人踊り

待ち合わせた秋田県立美術館のあたりが、ちょうど「食と芸能大祭典」の会場になっていて、大賑わい。去年は、13万人の人出だったというが、秋田のどこにこんなに人がいたのか、というくらい混雑していた。(上は八郎潟の願人踊り、下は角館の山車)

DSC00013角館の山車

いくら日本語の達人とはいっても、新しい土地での新しい仕事、何かと気苦労があることだろう。ましてや羅さんは、人一倍思いやりがあり、気配りをする人である。

これから、どんどん遠慮なく周囲に相談して、ぜひ秋田で良いネットワークを築いていって欲しい、そう思ったことだった。

 

古市古墳群

年末のことになるが、あかり座公演にあわせて、宮崎充治さんが「ディープ大阪ツアー」を企画してくれた。武田富美子さんとの3人旅である。

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今回のテーマは古墳巡り。阿倍野橋から近鉄線で南下し、古市駅下車。手前にある道明寺駅まで、一駅分だけ歩く。(上は誉田八幡宮)

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そんなに長い距離ではないが、誉田八幡宮―応神天皇陵―古室山古墳―道明寺―道明寺八幡宮と、見どころ満載だ。(上と下は応神天皇陵)

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地図でみると、羽曳野市のこの周辺だけで大小30ほどの古墳が確認できる。仁徳天皇陵を中心とする百舌鳥古墳群とあわせて、世界遺産登録を目指しているらしい。(下は古室山古墳の後円部でとても見晴らしが良い)

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この日は晴れたり曇ったりを繰り返す怪しい空模様になったが、その分、応神天皇陵の山の端からこぼれてくる西日をみて、改めて歴史の厚みを実感したことだった。

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道明寺八幡宮は、初詣にそなえて大きな賽銭箱を設置、通路の砂利も新しくしているから、ひときわ清々しい雰囲気である。

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そんなこんなで、大阪情緒にあふれた歳末の気分とあかり座公演の無事終了にともなうホッとした気分、その両方を味わうツアーになった。

春日井市の日本自分史センター

愛知県春日井市役所の向かいに「文化フォーラム春日井」という立派な建物がある。そこの「日本自分史センター」を訪ねた。自分史をテーマとする唯一の公的施設で、全国から寄贈された出版物1万冊を収蔵している。

文化フォーラム春日井、センターはこの2階にある

文化フォーラム春日井、センターはこの2階にある

専任講師の安藤錦風(紀夫)先生の解説がおもしろかった。「自分史」という言葉は、もともと色川大吉さんの用法によるものらしいが、普通の市民が自分の人生を綴るもので、有名人の書く「自叙伝」というような物々しい雰囲気のものではない、という。センターでは、自分史の普及のために、文章講座、添削サービス、サークル活動とさまざまに工夫をこらした活動を展開していて、「掌編自分史全国公募事業」も12年続いている。

全国の動向から執筆のポイントまで、なんでも教えてくれる安藤さんは、自分史の生き字引のような方である。1980年代のはじめころは、300冊印刷して費用が300万円もかかる時代だったから企業人の自伝が多かったが、その費用が半額以下になってじょじょに裾野が広がり、発行点数も増えていったらしい。

右が安藤先生、左はかすがい市民文化財団の横谷朋子マネジャー

右が安藤先生、左はかすがい市民文化財団の横谷朋子マネジャー

大震災後のいまは「第5次のブームです」という。もちろん社会の高齢化も背景にあるのだが、未曽有の災害に直面して自分の存在理由を探す人たちが増えたことが大きい。なにかと話題の「エンディング・ノート」も広くは自分史のジャンルに入る。それでは、さぞかし退職年齢になった団塊世代の人たちが殺到していることだろう、と思いきや「そんなに文芸的な世代でないようですよ」ということだった。肩すかしである。

右のテーブルが相談コーナー

右のテーブルが相談コーナー

せっかく書きはじめてみたものの、途中で挫折してしまう人も多いらしい。その対策として、自分の誕生から筆をおこす大河ドラマ風の書き方ではなく、強い印象を残したエピソードから順番に書く「短編集」のやり方を推奨しているという。「“自分探し”と言われますが、文章に書きだして考えることで、自分を再発見するということがよくあります。だから、若い頃から自分史の考え方に触れて欲しいんです」という。それがひいては自分史のすそ野を広げることにもつながる。

JRの春日井駅は、名古屋の中心部から電車で20分ほどの場所である。ここにニュータウンができ、文化的なものをもとめる新住民の意識が自分史センターの設立を後押ししたのだった。このあたりは小野道風の出身地とされているから、「筆をペンにもちかえて自分史を書く」ということになる。全国で唯一というその意気込みが素晴らしいではないか。

5月23日(土)には、『自分史の書き方』を刊行した立花隆氏らをゲストに迎えて、「第17回自分史フェスタ」も開かれる。

日本自分史センター:http://www.kasugai-bunka.jp/jibunshi