暮らしあれこれ」カテゴリーアーカイブ

雪の朝

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4年ぶりの大雪で、わが家のあたりも30センチほど積もった。

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夕方の雪かきの効果が朝には完全に消えていたから、相当な降雪量である。

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一転して今朝は好天。手の届くほど間近にある枝にきて、メジロが熱心にサザンカの蜜をすっている。

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ふだんメジロのほうからこんなに近づいてくることはない。用心深いメジロのこうした姿を楽しめるのが、雪かきの余得ということになる。

新緑の季節に

今年は、八国山に野鳥を見にいく余裕もないうちに春になった。書斎の窓から眺めるばかりで、一度も散策していないことに気づいた。

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山を眺め暮らすうちに、なんだか定点観測のような具合で、自然に、緑の変化をおいかけるようになっている。上の写真は4月10日。山桜が満開である。

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上の写真は、4月14日。山桜ははやくも葉桜だが、新緑が一番美しいころで、私はこの数日間が、一年中で一番好きだ。そして下の写真が今日、4月23日である。あっという間に、山が真みどりになっている。ハナミズキも咲いた。

こう並べてみると、いやはや、季節の移り変わりのスピードの速いことに、驚くばかりである。

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穏やかな週末

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風のない穏やかな週末になったので、思い立って、最後まで残っていた大きい方のマキと紅椿の剪定をした。これで秋田と所沢、2週続きの庭仕事ということになる。

気がつくと垣根のサザンカが、大きめの花をたくさんつけている。

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今年は、実生で生えたモミジがほど良く育ったので、庭の入り口の小さな垣根に仕立ててみた。北向きでそんなに日当たりはよくないが、それでもいい具合に赤く染まってくれて、まあまあねらい通りである。

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10数年ぶりに垣根の杭の交換もしたいと思っているのだが、込み合うスケジュールを考えると、こちらの方はちょっとやれる自信がない。

これで年内の庭仕事は一段落ということになるかも知れない。

入院の顛末

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この年になるまで、手術入院というものをしたことがなかった。「なかった」と過去形で書いたのは、今回はじめて手術を体験したからである。胸部大動脈瘤のステントグラフト手術だ。鼠蹊部の動脈を切開し、そこからメッシュ状のステントグラフトを挿入し、胸部動脈の内側に3×2㎝のマージンを取って装着する。ステントグラフト全体の長さはおそらく8㎝くらいだろうか。そんな手術である。

はじまりは8月3日(水)のMRI検査で「左鎖骨下動脈分岐部より3㎝ほど抹消で、右腹側に径2㎝ほどの広基性嚢状瘤」がみつかったこと。心臓を出て上に向かった動脈が、脳などに分岐し、今度はお腹の方に向かって下降するあたりを「弓部」というらしいが、瘤ができたのはちょうどこのあたりだ。動脈瘤の好発部位だという。自覚症状など一切ないからこの判定はまさに青天の霹靂だった。

判定結果をもって8月6日(金)に、血管外科のH先生のところにいった。「獲得研夏のセミナー」の前日のことである。早速3D画像を見せてくれたが、素人目にもはっきりそれと分かる瘤が映っている。H先生の所見は、瘤自体はまだ大きくないが、だからといってこれから小さくなるものでもない。処置は早いに越したことはない。悪化するのを座して待つよりも手術をというもの。

とはいっても、夏のセミナーに続けて上海研修旅行(8/11-13)、欧州出張(8/17-9/12)とイベントが目白押しである。さて、どうしたものか。ところが先生少しも慌てず「じゃあ、9月14日が手術日になっているので、9月13日入院、14日手術ということでどうでしょう」という。

続けて「なあに、手術はほんの1~2時間ですみますから、簡単ですよ」と力強くいった。旅行中に配慮すべきことはなんですか、という当方の質問にも「手術のことは考えないことです。余計な心配がかえって血圧をあげることにつながりますから」と実に明快である。

ということで、パリから帰って自宅に1泊、翌朝はやくに家をでてそのまま入院ということになった。病院についてみると、麻酔科の先生やらICU担当の看護師さんやらが次々に現れて、それぞれの立場から手術の様子を詳細に説明してくれる。それにリスクのある手術であることを本人及び家族が承諾しますという「承諾書」へのサイン依頼がもれなくついてくる。あれあれ?という感じ。想像していたよりもずっとシリアスである。

しかも間の悪いことに、朝から緊急の大手術があったそうで、肝心の執刀医の先生がなかなか現れない。手術室から直行したと思われるN先生の説明を聞き終わるころにはもう夜の9時半を回っていた。朝10時の入院からはじまって、断続的に12時間近く気分の重い助走時間が続いたことになる。

翌朝一番の手術である。全身麻酔だから、手術室に入ったあとのことはほとんど覚えていない。ICUで目覚めたら、もう体から何本も管がでていた。手術自体は本当に1時間余りで済んだという。ただ、妻がN先生から「思ったより脂肪の層が厚かった」と言われたらしい。ヨーロッパで相当歩いたつもりだが、それと同じくらい脂肪分をとっていたということだろう。面目ない。

幸い術後の経過は良好である。体から1本ずつ針が抜けていき、切開した部分の傷の痛みもやわらぎ、歩行の困難もなくなった。巡回の先生たちも、「これだけ順調だとかえって退屈でしょう」と気づかってくれる。

これは私の印象だが、外科の先生は判断も早く、身体の動きも俊敏である。手術の前夜、首の動脈に点滴用の針を刺した。場所が場所だけに、何本も痛み止めを打ちながら処置するのだが、その動きが実に手早い。担当したHD先生が「すぐ済みます。はい、もう8割がた終わりました」と途中で声をかけてくれるが、実はそう聞いてからの時間の方がうんと長い。

実際のところ、さんざん痛い思いをしている患者に「はい、これでやっと3分の1です」といったら、それこそ患者は戦意喪失することだろう。H先生の「なあに1~2時間ですみますから、簡単ですよ」という言葉と呼応して、なるほどこれが外科の先生の基本戦略なのかと納得したことだった。

 

黒田泰蔵さんの壺

黒田泰蔵さんの白磁には、どれも作家の研ぎ澄まされた感性が息づいている。食卓で、ふだんどちらかといえば民芸系の器をつかうことが多いが、それでも黒田さんの鉢は果物を盛ったりするのに重宝している。

ただ、いちばん気に入っている黒田さんの壺にかぎっては、家のどこにおいてもどうもしっくりこない。床の間においたり、玄関においたりといろいろ試したのだが、どこにおいても一向にところを得た感じがしないのである。

この壺は、私自身の“焼物熱”が盛んだった15年余りまえに求めたものだが、すっかり焼物熱のさめたいまでも好きな作品だから余計にこまる。ところが今日、“そうだ、あれにのせたらどうだろう”とひとつのアイディアがうかんだ。それで古い小さな箱をひっぱりだして、その上にくだんの壺をのせてみたところこれがなかなか良いではないか。それがこの写真である。

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この黒い箱は、秋田の実家からもってきたもので、もともと肝煎文書などの古文書が入っていた箱である。蓋裏をみると安政6年と墨書してある。ということは1859年(安政の大獄の翌年)製ということになるから150年以上前のものだ。さすがに木地もいたんでぼろぼろになっているが、黒田さんの壺をのせると、なんとなくなじんでしまうところが面白い。

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これからはくれぐれも陶磁器を買うのをひかえるようにと妻から厳命されている。それで、ああこういう風に、すでにもっているものを組み合わせて楽しむ仕方もあるのか、と妙に納得してしまったことだった。

飯能の町を散策

この連休を、たまりにたまった用事を片づける時間にあてている。昨日は、中村孝文さん(武蔵野大学教授)の案内で、飯能の町を散策した。所沢から電車でほんの25分ばかりのところだが、新しく知ることばかりである。(以下の写真は、すべて能仁寺)

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西川材というらしいが、幕藩時代には、飯能から江戸まで、筏にくんだ木材をさかんに運んだのだという。明治時代につくられた蚕種商の店蔵をはじめ、蔵づくりの建物もいたるところに残っていて、八王子からつづく絹の道の存在も確認できる。

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なかでも天覧山の山裾にある能仁寺の庭園が圧巻だった。日本百名園のひとつだというが、山の斜面を利用して広々とつくられた庭が、すみずみまで、みごとに手入れされている。たまたま人影まばらで、またあまりに清々しい雰囲気でもあったから、わたしは京都・薪の酬恩庵(一休寺)のたたずまいを思い出した。

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上野の彰義隊のことは有名だが、同じ時期に、飯能でも飯能戦争があった。ここ能仁寺は、幕府方の陣屋になり全焼した寺である。そんなに昔の話ではない。

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天覧山の展望台からくだって美味しいそばをたぐる間に、中村さんともう次の訪問プランをねった。こんどは能仁寺の紅葉と鰻・地酒をメインにしたコースにしよう、というのである。

笠置浩史さんの結婚披露宴

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昨日の東京は花曇り。日大二高で国語を教えている笠置浩史さんの結婚披露宴があった。笠置くんは、大学院のゼミを担当したばかりのころの受講生で、それ以来の付き合いである。

会場のオテル・ド・ミクニは、JR四ツ谷駅からほど近い場所にある。せっかく桜の美しい時期だから、少し遠回りして、上智大学のグラウンドを一周し、迎賓館の前を通って、学習院初等科の裏手にあるレストランまで歩いてみた。桜の花は満開に近く、そのぶん花に勢いがある。

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なんとも和やかで温かい雰囲気に包まれたパーティーだった。なにしろ時間がゆっくり流れていく。お二人の人柄の反映だろう。なるほどと納得したのは、自分たちの人生に深く関わりあった人だけここに招いたのだという。それで同じテーブルの人たちがたちまち仲良くなってしまう。

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笠置くんは授業に熱心なだけでなく、ブラスバンドの指揮をするかたわら、仲間たちと舞台制作にもかかわって、毎日を忙しく過ごしている。それは知っていたが、夫人の優美さんの方も相当な美術好きらしい。関東からわざわざ奈良の大学に進学し、仏教美術研究会に入ったというし、最近は東博で彫刻部門のボランティア・ガイドもしていたという。心強いことである。

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それで、きっといつまでも心豊かな時間を共有するカップルになるんだろうなあ、と嬉しく感じたのだった。

雪景色

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目覚めたら、ビックリするような美しい雪景色になっていた。昨夜遅くに帰宅したが、雨に一片、二片、雪がまじっている程度だったから、その後のことだろう。

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八国山のむこうから朝日がさし、霧氷のような景色がやや逆光になってみえる。だいたいがぼってりした重たい雪だから、なおさら驚いた。昨夜は相当に冷えたようだ。

気分爽快。さて、これから英国出張の準備にかかる。短い時間でロンドンからデボン州まで足をのばすことになるから、出発前に少し休みが欲しいのだが、なかなかそうもいかないようである。

神田川沿いの桜

椿山荘と神田川散策 014ワイフの案内で、椿山荘を起点に、神田川沿いの桜見物をした。この季節にくるのははじめてである。好天に誘われて老若男女がつめかけている。 桜ももちろんきれいだが、椿山荘の椿の種類の多さには驚いた。紅獅子、都鳥など、知らない花がたくさん咲いている。

これは雪椿

これは雪椿

それで、英国コーンウォールにあるナショナルトラストの大庭園・トレウィゼンを思い出した。こんな所にというくらい不便な場所にあるマナー・ハウスの庭である。私のもっとも好む庭のひとつだ。おそらく椿の庭として知られるせいだろう。案内板に、英国留学中の現皇太子がここを訪問した、と書いてあった。 椿山荘と神田川散策 019神田川にでると、かなりの風で、もう大きな花筏ができている。両岸からせいせいするくらい長く伸びた枝の全部に、うすいピンク色の花がびっしりついていて、チョット息苦しいくらい迫力がある。

新江戸川公園にも中国の団体客が

新江戸川公園にも中国の団体客が

新江戸川公園(旧細川藩本邸)から神田川にかけてが、学生時代の散策路だったそうで、授業の合間に良く歩いたところだという。たしかに地図でみると、川のむこうに新目白通りをへだてて早稲田のキャンパスが広がっている。 椿山荘と神田川散策 031今年の東京は、開花もあっという間なら、落花も早いらしい。しばらく川沿いを歩いてから、都電荒川線に乗ってJR大塚駅にでた。車窓からも桜がよくみえる。

たった半日だが、ゆっくりした時間をもてたのは良かった。ただし、夜半、油断していた花粉症の症状がドッと悪化したのには難渋した。

平野正久先生とのドライブ旅行

大室山上の平野正久先生

大室山上の平野正久先生

研究室の大先輩・平野正久先生が、伊豆高原駅からそう遠くない場所に別荘を構えている。はじめてうかがったが、茶室に露地までそなえた豪壮なつくりである。昨日の日曜日、そこを起点にして伊豆高原を散策した。数年越しの計画が実現したかたちだ。土曜日は、早朝に一緒に東京をでて、雨の中を現地到着、酒を酌み交わしながら一晩ゆっくりおしゃべりした。

平野先生は、一回り以上年嵩の先輩である。無類に相性がよく、日本大学に移ってすぐに親しくなった。大阪大学から日大に移った平野さんが、2002年に学科主任になり、その年にわたしが教育学科に採用になったというご縁もある。

2008年の夏には、ポツダムで落ちあい、ゲーテ街道をドライブ旅行した。ゲーテ、バッハ、ルターをめぐる1週間の旅である。お膳立てはぜんぶ平野さんがしてくれた。ドイツ研究の専門家に個人ガイドをしてもらうのだからこんな贅沢はない。生涯忘れがたい旅になった。

ただ、その日の宿をその日にさがす気ままな弥次喜多道中という面があるので、失敗談にも事欠かない。抱腹絶倒のエピソードについて折をみて書こうと思っている。

アザミの群生

アザミの群生

あれから6年。平野さんの運転は相変わらずきびきびしている。一事が万事で、とにかくフットワークが軽快でかつエネルギッシュである。昨日も、大室山のリフトに一番乗りし、列の先頭で切符を購入してくれた。

大室山の頂上で火口のぐるりを散歩してパノラマを楽しんだあと一碧湖までいって湖畔を歩き、もう一度リフトで小室山に登って川奈ホテルのむこうに伊豆大島を遠望し、さらに日蓮の「伊豆法難」の地に建立された蓮着寺を見学するというコース、この全部を午前中にこなしてしまう。

奥が日蓮が置き去りになったという俎岩

奥が日蓮が置き去りになったという俎岩

どこへいっても自分の庭のように自在に案内してくれるおかげで、大室山のてっぺんでは、緑のじゅうたんのうえに花をつけるアザミ、ホタルブクロ、野ばらの群生をめで、蓮着寺では樹齢千年というヤマモモの巨木をみることができた。天候まで勢いにおされたらしい。雲間に青空がのぞいたとみるうち、いつの間にか高原の日差しが肌にいたいほどの好天になっていた。全精力を傾けてひとをもてなす平野さんの面目躍如である。

平野家の裏手にあるヤマモモの実

平野家の裏手にあるヤマモモの実

2日間で朝昼晩ときっちり6回、食事をごちそうになった。土地柄、海の幸が美味しいのは納得だが、美味しいお蕎麦、美味しい山の幸のレストランまでリストしてくれているので驚く。かたじけなく堪能させてもらったが、けさ体重計にのって、数日後にせまった健康診断のことをすっかり忘れていたことに気がついた。うーん。まあ、いっか。