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ブログ3周年-第3巻の編集が佳境に

このゴールデン・ウィークは、好天続きである。しかし、メルボルンから戻ってこのかた、残念ながら一日も休めていない。3年越しで取り組んでいるシリーズ第3巻『教育プレゼンテーション』の編集作業が、8月刊行に向けて、いよいよ大詰めに入ったからだ。

メルボルンのフィッツロイ庭園 目の前にオウムが飛んででた

メルボルンのフィッツロイ庭園 目の前にオウムが飛んででた

今回の『教育プレゼンテーション』に、30種類のアクティビティ(プレゼン技法)を、収載している。いつもの通り、技法の「解説編」と「実践編」をセットで紹介する本だ。小学校から大学まで並んだ授業実践の合計が34本。日本の教師たちがおかれている困難な状況を考えると、自前のメンバーで、かくも多様な実践ができてしまっていることこそ奇観というべきだろう。

メルボルンは日本レストランが大人気だとか

メルボルンは日本レストランが大人気だとか

正月合宿だったか、メンバーから“執筆地獄”なる言葉が生まれたが、まあ、それだけ執筆にエネルギーを注ぎこんできたということか。

かといって、まなじりを決したかのような重苦しい雰囲気の本ではない。軽快さもユーモアもタップリ、読んだ人が「それじゃ、自分でもちょっと試してみるか」と思えるような本になっている。・・・と思う。いや、まあ、そう思いたい。

まだ刊行もされてもいない本のことを自分で褒めてどうするという話だが、3年間の実践研究の成果をプリントアウトして眺めているうちに、ちょっとだけテンションが上がったということで、ご寛恕願いたい。

教育界では、このところ「アクティブ・ラーニング」という言葉が、賑やかに取沙汰されている。実際のところは、なんらかのアクティビティを介在させることなしに、アクティブ・ラーニングも獲得型授業も成り立たないのである。

その意味で、私たちの取り組んでいる「アクティビティの体系化」という仕事は、民主的な市民社会を形成するための基礎作業である。だから、コツコツやってきた研究というのも、まあ、辞書をつくるのとそう変わらない、とても地味な仕事なのである。しかし、それこそが私たちのミッションだと思い定めている。

2012年の5月3日からはじめたこのブログが丸3年たった。この間にアップした原稿が198本。初年度95本、2年目は53本、3年目が50本という計算だ。まあまあ良く書いているほうだろうか。これからもこのペースを維持できたら、と思っている。

ブログ2周年

5月3日で、ブログ開始から丸2年たった。アップした記事の総計が148本。初年度は95本だが、2年目は53本にペースダウン、それでも1週間に1本はアップした計算になる。

6月の異文化間教育学会第34回大会の開催校の仕事にはじまり、この3月の『教育におけるドラマ技法の探究―「学びの体系化」にむけて』(明石書店)の刊行まで、それこそ一気呵成の歩みだったから、まあまあよく書いた方だと思う。

遅筆のほどは相変わらずである。とにかく時間がかかる。ただ、こうやって記事が積み重なっていくと、そのうちアップする記事の傾向と本人の身辺状況との対応関係が浮かび上がってくるのではないか、そんな気もしている。

獲得研の方は、2年かけて準備してきた第3巻「教育プレゼンテーション」の執筆体制が整いつつある。新春合宿で「執筆地獄」なる言葉も生まれたが、またまた「たの苦しい」(獲得研用語:楽しい+苦しい)日々の始まりとなる。

フレッシュな執筆陣も迎えて、さてこれからどんなコラボレーションが生まれ、どんな成果が生み出されるのか。ワクワクものである。

ブログが1周年に

5月3日で、ブログ開始から1年経った。この間にアップした記事が95本。4日に1本の計算になる。おつきあいいただいた皆様、ありがとうございます。

1週間に1本書ければ御の字だろうと思っていたので、この数字はできすぎである。いくらか要領がわかってきたとはいっても、さすがに2年目もこのペースでいけるとは思えない。1980年代からの「自己トレーニング」については、20年間というタイムスパンが長すぎて、やはり一気に書ききることができなかった。

このブログもそうだが、昨年から新企画としてはじまった「獲得研レクチャー・シリーズ」もそして「高校生プレゼンフェスタ」もきわめて順調に歩を進めている。

今年度のレクチャー・シリーズも大好評のうちにはじまり、11月23日(土 祝日)にはよりパワーアップしたプレゼンフェスタが実現しそうだ。これからどんなインターフェイスがみられるのか、ワクワクものである。

当面の課題は、1か月後に迫った異文化間教育学会第34回大会。その準備も、準備委員会事務局長の和田さんはじめメンバーの大奮闘があって佳境に入っている。

そんなこんなで、次の1年も、ゆるゆるとブログを書き続けます。

ブログが80年代に突入

ブログをたちあげて半年たつ。この間、いくつか柱のようなものができてきた。大きな柱の一つが、わたし自身の来歴にかんする記事だ。

ほかのカテゴリーに分類したものも多いが、おおよその流れはつぎのようになる。「思い出」(幼少年期から秋田高校時代)、「学生時代」(1970年のICU入学から大学院生時代)、「帰国生と学ぶ」(1980年にはじまるICU高校の教師時代)、「いま大学で」(2003年に日本大学文理学部に移ってから)。

順をおって書いてきて、やっと「帰国生と学ぶ」にさしかかった。1980年から20年以上にわたる時期、なにしろ長い。この時代は、活動の幅がどんどん広がっていく時期でもある。テーマを決め、焦点化して書かないと、いっかな通過できないおそれがある。

きのう和田俊彦さんと話したら、詳しく読んでみたいから長くても構わない、という。和田さんはICU高校の卒業生でかつ「エデュケーション・ナウ」の2期生。「教育の中の戦争と平和」というテーマで、ディベート・ドラマ『沖縄戦を中学校で教えるべきか』に取り組んだときのリーダーのひとりだ。当時の教え子が、いまは獲得研の研究仲間。そうはいっても、である。現在の和田さんの年代のころの自分を語ることになる。なかなか難しい。

それで、とりあえずのテーマを、わたしが教師として経験した30代からの「(自己)トレーニング」について書いてみよう、と考えている。はてさて、どんなことになりますやら。

ブログの効用

4週間のフランス・イギリス出張をおえて帰国した。ヨーロッパが涼しかっただけに、ことしの残暑がひとしお厳しく感じられ、生活のリズムを取り戻すのにいつもより時間がかかる。

出張には、PCを持参することにした。カメラさえ持たなくなっていたから、自分としてはかなり画期的なことだ。ブログをはじめたからには、旅行中も1週間にひとつくらいは記事を書こう、という算段である。おかげでひさしぶりにカメラに親しみ、ホテルのメディア環境の違いにも翻弄された。

はりきって新しいカメラも準備した。ところが、TACTのワークショップで性能を試そうとした矢先に、誤って破損。液晶画面がまったくみえなくなった。以前、TACTの記事でつかった阿倍野区民センターの写真は、かろうじて本体に残っていた3枚のうちの1枚である。

ストラスブールのホテルから 建物の下を流れる水路

やむなく古いカメラを持参したのだが、気がつくとこのひと月で400枚ほど撮っている。こんなにシャッターを押したことはもちろんないし、たぶんこれからもないだろう。通してみると、気温35度のパリから、13度のエディンバラまで、町ゆく人の服装の違いが一目瞭然である。これで旅の流れがよくわかり、撮っているこちら側のそのときの気分も髣髴する。

ホテルのメディア環境の違いも面白く感じた。部屋の通信回線を無料で開放しているところ、1時間単位で回線使用料をとるところ、希望する客にパスワードを与えてメディアルームにあるコンピュータを使わせるところなど、どういうわけか一つも同じ環境のところがないのだ。部屋に入るとコンセントの位置をまず確認するのだが、自由につかえるコンセントの数が、ホテルによってこんなにも違うのか、というのも新発見だった。

明日は獲得研の第66回例会である。メンバーの活動報告からたっぷり刺激をうけて、再始動となる。

ブログの再建―その後

おおかたの原稿を保存していたのと、和田さんが素早くフォーマットを用意してくれたのがうまく作用して、思いのほかはやく再建できた。みつからない写真もあるが、文章だけみれば9割方復旧したと思われる。

そうはいっても、6月20日の原状に復すには、アップの日付を確認する必要があり、私にはそれがではできない。ここだけはプリントしてくださっていた方にデータ提供の協力をお願いするしかない。

ついでのことに、タイトルのいくつかを小改訂してみた。当座の復旧作業はここまでとして、これから新しい原稿をゆるゆるアップしていきます。

と、ここまで書いてアップしたら、間髪を入れず、会員の小菅さんから過去の全データが届いた。「酒どころ」「大塚先生」(1)を読んでいるところに、この記事がアップされたのだという。なんという偶然。ありがとうございます。

ブログの再建

ブログ「演劇的知の周辺」をはじめたのは、5月3日(木)のこと。ところが6月20日(水)から入力画面にいっさいアクセスできなくなり、ほどなくアップした20本の文章と写真がすべて消失したことを知った。

マスコミでも報道されたファースト・サーバー社のシステム・トラブルが原因である。8500社の企業が被害を受けたそうだが、ことがらの全容はいまだによくわからない。システムの脆弱さをいま身をもって味わっている。

ただ休眠しているあいだに、「ぜんぶプリントアウトして読んでます。ついつい自分の生い立ちと重ねちゃうんですよね。」という声もきこえてきた。

というわけで、気をとりなおして、2週間ぶりのブログ、ゆるゆる続けさせていただきます。

ブログはじめました

獲得研で共同研究をはじめてから、この3月で丸6年が経過した。会員の間で4千通近いメールが飛び交い、活発な議論が行われている。この過程で、メンバーから研究の輪をもう少し大きくすべきでないかという意見もたびたび出されてきた。

そこで、新学期から「獲得研レクチャーシリーズ」など、いくつか新しい企画をはじめることになった。このブログもその一つで、ここでは、研究にまつわるあれこれを報告させていただく予定である。

とはいっても、「演劇的知の周辺」という題からお察しいただける通り、研究会でいま議論している内容だけでなく、獲得研の創設につながる経験、そして身辺雑事にいたるまで幅広い内容になるのでは、と考えている。それでは、そろりそろりと始めさせていただきます。