カーディフにきた目的の一つは、カステル・コッホ(Castell Coch コッホ城、赤い城)の訪問である。地元では、カステル・コーホと発音する人が多いようだ。
19世紀に石炭で富をなし、当時世界一の金持ちといわれた第3代ビュート侯(1847‐1900)と建築家バージェスの手になる中世の城である。正確には、廃墟になった城をビクトリア時代にリニューアルし、13世紀風の意匠そのままに再建(創建)したものである。
バージェスが日本美術の熱烈な信奉者で、その弟子が日本にやってきて鹿鳴館を設計したジョサイア・コンドルということになる。
目指す城はカーディフの町から路線バスで20分余り、タフ渓谷の森の中にある。バスを降りて上り坂を20分ほど歩く。
一緒にバスを降りた同年配のご夫婦と3人で、ふうふう言いながら坂を登った。近郊からきたご夫婦らしい。ご婦人の方が私のカバンに目をつけて、それは日本製かと聞く。たしかに、観光地に革鞄で来る人などいないので、目立つのかもしれない。
医者の娘さんも同じようなカバンをもっているという。それで自然にこちらの仕事の話になり、なんでわざわざ「イギリスから学ぶことなんて何もないでしょう?」と断言する。
うーん、そうきたか。確かに、今のイギリスは問題が多いが、ちょっと面倒なので、話題をそらすことにした。
城内に足を踏み入れると、サイズ感が狂った感じになる。思ったよりもずっと小さい空間なのだ。
3つの塔(Keep Tower, Kitchen Tower, Well Tower)をつなぐ回廊が、小さな広場を囲んでいる。螺旋階段の踏み板が小さくて、注意しないとすぐに足を踏み外しそうになる。
内装をみると、たしかに中世の城とはこんなものか、というイメージそのままである。ノイシュヴァンシュタイン城の例もあるので、てっきりビュート侯も、奇想の人、偏屈な趣味の持ち主かと思っていた。
こわいもの見たさ半分の気分でいたのだが、しかし、どうもそうした悲劇とは無縁のようである。ご本人の没後も、夫人がこの別荘を訪ねて滞在したという。。
それにしても、調度品、壁画、彫刻などの細部が凝りに凝っている。凄い情熱である。扉や手すり、窓枠のアイアンワークも素晴らしい。
中世趣味まっしぐらという感じで、大金持ちの趣味としてこれはありかも、と思えてきた。歴史博物館としてみても面白いし、あるいは3つの寝室(妻、夫、娘)をもつコンパクトなリゾート・マンションといっても良いのではないか。
訪問者が少ないせいもあるが、ノイシュヴァンシュタイン城などと違って、とにかく見学者を放っておいてくれるのがありがたい。
わたしは、3つの塔を登ったり下りたりして、ゆっくり城内を2周した。おかげで石壁の質感や細部の意匠まで存分に楽しむことができた。
ここまできた甲斐があるというものだ。