月別アーカイブ: 9月 2019

スイスでのワークショップ

スイスの首都ベルンから、昨夜ロンドンに戻った。2泊3日の短くそして波乱万丈の出張だった。

スイス日本語教師の会が主催する「第24回秋のセミナー」(会場:在スイス日本国大使館本館多目的ホール)で講演+ワークショップをすることになり、藤光先生と一緒にでかけたのだ。

参加者は60名で、会場がぎりぎり満杯の状態だという。中にはパリから夜行バスで参加される方もいるらしい。なにしろワークショップ向きの人数ではないし、広さも十分とは言えない。天気が雨だと、外の空間も使えない。しかも、私のようなタイプの講演会は、今回が初めてだというではないか。ここまで不確実な要素の多い講演というのは、さすがにやったことがない。

しかし、会長であるカイザー青木睦子先生の念力が通じたのだろうか。どしゃぶりの一日だったにもかかわらず、晴れ間をぬって前庭も活用できた。ベテランから初参加の方までとても和やかな雰囲気の会だったこと、そして役員の方々の奮闘、日本広報文化センターの下飼手所長をはじめとする大使館の全面協力、藤光先生の絶妙なアシストがあって、難条件の数々をなんとかクリアできた。

ベルンの訪問は、42年ぶりになる。若いころに、ルソーの旧蹟をたどって、ジュネーブ、ヌーシャテル、ビエンヌ湖そしてベルンまできたことがあったのだ。その頃の記憶はすっかり薄れていたが、会の役員のなぎささん(ICU高校6期生)に案内してもらって、アーレ川を見下ろす大聖堂の横の公園に立った瞬間、そのときの記憶がはっきりよみがえってきた。

世界遺産の町と豊かな水量をもつアーレ川のつながりの深さを実感したのは、水温が18度あたりになると、人々が水着で川流れをする、という話を聞いたからだ。袋にいれた洋服と一緒に流れてきて、そのまま出勤する人もいるというから凄い。

ほんの3日間だったが、その間に、30年間に及ぶ継承語教育や成人教育の紆余曲折を知ることができた。スイスの先生たちの創意的な取り組みを、自分なりに消化するには、もう少し時間がかかりそうである。

カステル・コッホ―中世風の城

カーディフにきた目的の一つは、カステル・コッホ(Castell Coch コッホ城、赤い城)の訪問である。地元では、カステル・コーホと発音する人が多いようだ。

19世紀に石炭で富をなし、当時世界一の金持ちといわれた第3代ビュート侯(1847‐1900)と建築家バージェスの手になる中世の城である。正確には、廃墟になった城をビクトリア時代にリニューアルし、13世紀風の意匠そのままに再建(創建)したものである。

バージェスが日本美術の熱烈な信奉者で、その弟子が日本にやってきて鹿鳴館を設計したジョサイア・コンドルということになる。

目指す城はカーディフの町から路線バスで20分余り、タフ渓谷の森の中にある。バスを降りて上り坂を20分ほど歩く。

一緒にバスを降りた同年配のご夫婦と3人で、ふうふう言いながら坂を登った。近郊からきたご夫婦らしい。ご婦人の方が私のカバンに目をつけて、それは日本製かと聞く。たしかに、観光地に革鞄で来る人などいないので、目立つのかもしれない。

医者の娘さんも同じようなカバンをもっているという。それで自然にこちらの仕事の話になり、なんでわざわざ「イギリスから学ぶことなんて何もないでしょう?」と断言する。

うーん、そうきたか。確かに、今のイギリスは問題が多いが、ちょっと面倒なので、話題をそらすことにした。

城内に足を踏み入れると、サイズ感が狂った感じになる。思ったよりもずっと小さい空間なのだ。

3つの塔(Keep Tower, Kitchen Tower, Well Tower)をつなぐ回廊が、小さな広場を囲んでいる。螺旋階段の踏み板が小さくて、注意しないとすぐに足を踏み外しそうになる。

内装をみると、たしかに中世の城とはこんなものか、というイメージそのままである。ノイシュヴァンシュタイン城の例もあるので、てっきりビュート侯も、奇想の人、偏屈な趣味の持ち主かと思っていた。

こわいもの見たさ半分の気分でいたのだが、しかし、どうもそうした悲劇とは無縁のようである。ご本人の没後も、夫人がこの別荘を訪ねて滞在したという。。

それにしても、調度品、壁画、彫刻などの細部が凝りに凝っている。凄い情熱である。扉や手すり、窓枠のアイアンワークも素晴らしい。

中世趣味まっしぐらという感じで、大金持ちの趣味としてこれはありかも、と思えてきた。歴史博物館としてみても面白いし、あるいは3つの寝室(妻、夫、娘)をもつコンパクトなリゾート・マンションといっても良いのではないか。

訪問者が少ないせいもあるが、ノイシュヴァンシュタイン城などと違って、とにかく見学者を放っておいてくれるのがありがたい。

わたしは、3つの塔を登ったり下りたりして、ゆっくり城内を2周した。おかげで石壁の質感や細部の意匠まで存分に楽しむことができた。

ここまできた甲斐があるというものだ。

ロンドンでの再会とこれから

再びロンドンを離れ、ウェールズの首都カーディフの宿に着いた。道路を隔てて、窓の外に、カーディフ城の城壁がみえる。

昨日は、とりわけ記憶に残る一日になった。ヨーロッパにおける獲得型教育の展開が、一つのエポックを刻んだと実感されたからだ。

藤光先生を中心とする2017年、2018年のパリ研修会のメンバーが、その後の研鑽の成果を、週末にあった「第23回AJEヨーロッパ日本語教育シンポジウム」(ベオグラード大学)で、パネル発表した。全体タイトルは「演劇的手法を活用した『参加し、表現する学び』~欧州教師研修、継承語教育、高等教育、成人教育の現場への展開」である。

時本先生(サピエンツァ ローマ大学)、植原先生(ベルリン日独センター)、西澤先生(オックスフォード大学)たちが、わざわざロンドンまで、当日の様子とこれまでの経緯を報告にきてくれた。

下の写真:(ウェストミンスター・スクールで教えておられたミラー浩子先生に、テート・ブリテンのラファエロ前派のガイドをしていただいた後、ジャパンハウスの安野光雅展を見学。)

その密度の濃い研鑽の歩みをたっぷり聞かせてもらううち、メンバーの発表が、当日の参加者に圧倒的な印象を残しただろうことが、容易に想像できた。聞けば、もう次の展開を模索しているらしい。

この先生たちの情熱は、いったいどこから来ているものなのか、では、私にどんなサポートができるのか。

前日の楽しい余韻を味わいながら、考え考え飲みすすむうち、ついつい深酒してしまった。珍しいことである。

ロンドンの2つの日本庭園

仕事の合間をぬってキューガーデンの日本庭園とホランドパークの京都庭園を訪ねた。

閑散とした時期しか知らないので、こんなに人気スポットだったのかと驚いた。

松、モミジ、石組、石灯篭、蹲、刈込のアプローチ、延べ段などが揃っていて、どちらも本格的な日本庭園である。

キューガーデンはちょうど夏のイベントの最中で、ガラス工芸のインスタレーションが、あちこちを飾っている。

Temperate Houseの花の作品群もよかったが、日本庭園のNiijima Floatと題した球形の作品群がまた新鮮だった。

枯山水の水墨風の色合いの中に、極彩色の作品が置かれているから、その配置の具合、色合いと質感のコントラストがなんともいえず楽しい。

ホランドパークの京都公園にいたっては、滝組からとうとうと水が流れていて、その先に立派な州浜までついた池があるから、実に立派なものである。

こちらは夏休みの最後の週とあって、子どもたちが次々とやってきては、池の水に手を突っ込んでかき回している。どうも池でおよぐ鯉の方に関心があるようだ。日本庭園の気取りとは無縁の雰囲気である。

イギリスでは、飛沫をあげて水が流れおちる小川に触れる機会などないだろうから、われわれが想像する以上に、子どもたちが興奮するのかも知れない。

どちらの庭も大きな公園の一角にあり、外の景観とつながっている。いやでも見慣れたものとは異なる種類の樹木が目に入ってくるが、その景色も地域性のひとつだとみると、そんなに違和感がない。

日本庭園も存外普遍性があるのではないか、そんな気がしてきた。