この冬、クレーン車を使って秋田の高木を伐採してもらった。外周道路に面したケヤキやヒバ28本が対象である。
200本のうちの28本だから、本数にするとほんの1割だが、効果のほどは劇的で、こんなに変わるかというくらい屋敷の空気が一変した。一言でいえばスカッと開けた空間になった。

(左側の門柱の横に、今回伐ってもらったヒバの切り株がみえる)
そこで今回は、春の到来を待ちかねて、いつもより早く屋敷の手入れにでかけ、庭の入り口にある門柱の足元に敷石をしいてみた。
もともとこのアプローチは、いまの家に建て替わったとき、両親が茅葺屋根時代の中門を再利用して築いたもので、正面には自然石を刳りぬいた蹲が据えてある。
ほんの小さな改修だが、これまで庭の現状維持に多くのエネルギーを使ってきたことを考えると、新しい変化の第一歩ということになる。
秋田の庭の手入れをしていると毎回何かしら発見がある。今回は、芽吹きの前とあって、幹から枝先までクッキリ見えるから、いやでも木々の関係性に目がいった。複数の高木が構成する空間のあり方が気になったのだ。
訪問者がわが家の玄関に立つと、母屋の屋根越しにツガ、アカマツ、カエデ、山桜、ケヤキ、杉、ヒバの高木の先端部分が横一線に並んでみえる。いずれも西庭を構成する木々で、この奥行きの深さがわが家の景色の特徴といっていい。

(屋敷の西南側から築山越しに土蔵・北方向を見たもの)
上の写真がそうだが、実際に西庭の奥に足を踏み入れてみると、上述の木々が横一線に並んでいるのではなく、タップリ空間を取って互い違いに配置されているのが分かる。
ただこれだけの高木になると、それぞれの樹木がより大きな空間を占有する必要がでてくる。その結果、中空を分け合うといえば聞こえがいいが、空間を奪い合ううちに微妙なバランスが生まれ、それが景色になっている。

上の写真のアカマツがその典型で、見上げる幹の途中から、ほぼ垂直といっていい角度で真横に伸びる長い枝の存在を確認できる。日の光を求めて、まるでアカマツが自らの意志でまっすぐに腕を伸ばしているかのような姿だ。
こんな具合で、何気なく眺める庭の木々から生態系の不思議が垣間見えてくる。世界の姿を凝縮したものが庭園だと思ってきたが、近ごろますますその感を強くしている。