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スターン先生とシーボルト

かつて鳴滝塾があった場所にできたシーボルト記念館(長崎市)で、いつかみたいと思っていた丸善版の「シーボルト旧蔵『日本植物図譜』コレクション」をようやく閲覧できた。

発端は、1995年の晩夏、ロンドンの植物園キュー・ガーデンでの出来事である。ここで、執筆者の一人であるウィリアム・スターン博士と出会ったのだ。

当時バード・ウォッチングに凝っていた私は、どこへ行くにも双眼鏡を携行するのが習慣だった。その日も、ロックガーデンのなかの通路で双眼鏡を覗いていたのだが、ふと気づくと、背後に初老の男性が立っている。

通ろうと思えば通れる広さはあるのだが、くだんの男性は、私の邪魔をしたくないと思ったらしい。長いコートに布の帽子、肩から斜めにカバンをかけた穏やかな印象の人である。

軽く会釈してすれ違おうとしたら、その紳士がむこうから話しかけてきた。レディング大学のスターン教授と名乗るその人物は、私に、日本からきたのか、この植物園には良くくるのかといった質問をしてから、ところであなたはシーボルトをご存知か、と聞く。

意外な話の展開に少し驚いたが、もちろん日本でも有名な歴史上の人物ですよと答えると、実は、自分も日本にいったことがあり、丸善という出版社からシーボルト関連の本をだしたのだ、といった。

私の姿をみて、日本が懐かしくなったのだろうか。しばらく立ち話を続けてから、「じゃあ、日本に戻ったらあなたの本をみてみますね」と約束し、一緒に記念写真を撮って別れた。

新学期がはじまって、ICU高校の生物の教師にくだんのエピソードを話し、スターン先生を知っているか尋ねたところ、スターンさんは、ラテン語植物分類学の世界的権威だからもちろん知っているという。翌日、来日の折にした学術対談の雑誌コピーも持ってきてくれた。

スターンさんの仕事ぶりを知るには、本の実物を見るに如くはない。ところが日本橋丸善の棚のどこをさがしても本が見つからない。さんざん歩き回って、ふと近くの柱をみたら、『日本植物図譜』の広告ポスターが貼ってあり、本の価格が98万円となっている。なるほど探してもみつからないわけだ。これは学術資料であって、店頭に並べて売る本ではない。

それから実物をみる機会のないまま月日が経った。今回の訪問にあたって、シーボルト記念館ならきっとくだんの本が展示されているに違いないと踏んでいたのだが、やはりここでも見つからない。

そこで閲覧を申し込んでみることにした。当方の申し出を聞いた窓口の男性が、一瞬ひるんだ後、「あるにはあるんですが、なにしろ下の収蔵庫から取り出さないといけないので」とあきらかに逡巡の体である。

係りの人がなぜ逡巡するのか、その理由が間もなく分かった。しばらく待っていると、台車にのせられた大きな箱が2つ、エレベーターから出てきたのだ。

箱のなかにはB3版クロス装丁の立派な本が併せて4冊入っている。さて、合計したらいったい何キログラムになるのだろうか。まず箱ごと台車から机に移し、それから本をとり出すのだが、たったそれだけのことに相当な腕力がいる。油断したら腰痛を発症するだろう。とにかく大きくて重いのだ。

第1巻を開けてみると、巻頭言の形でスターン先生が、シーボルトの生涯を英語で紹介している。中身は、川原慶賀らの筆になる『日本植物図譜』の精密なコピーである。当時としては最先端の印刷技術を駆使したものに違いない。

「日本に戻ったらあなたの本をみてみますね」とスターン先生に約束してから、かれこれ23年経ったことになる。

今回の長崎訪問で、ようやく約束を果たしたという安堵感だけは残った。