セーブル・バノー周辺

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パリでの用事があらかた済んだので、30年前滞在したホテルのあったあたりをぶらぶらしてみた。それまで、いつも一人でヨーロッパにきていたが、はじめて妻と一緒にきたときのホテルである。ここセーブル通りの辺は、いつの間にかリヴ・ゴーシュを名乗るようになり、オシャレな街に変身している。昔の面影を探すのが難しいくらいである。

はるばる南周りでパリに着き、空港のカウンターで、セーブル通りとバノ―通りが交差する場所にあるホテルを紹介してもらった。私には出発前にホテルを予約する習慣がなかったからだ。

昔風のエレベーターの扉は、自分の手で開け閉めする。定員は2人。人が乗ると荷物がのらない。部屋に入ると、風呂場の両開きの窓は壊れたまま、取っ手をかろうじて紐でくくりつけてある。窓を開けると、目の前が大きな病院で、眼下に病院の灰色の塀がどこまでも続いていた。

今年のパリも暑かったが、30年前はもっと猛暑だった。もちろん部屋に冷房などない。もっぱらホテルの隣りにあるカフェのテーブルが仕事場だった。ほかにほとんど宿泊客をみた記憶がないから、ホテルもよほど暇だったのだろう。中年のフロント係の男性も、よく同じカフェでお茶を飲んでいた。

この年はフランスだけでなく欧州ぜんぶが暑かった。ケンブリッジのB&Bに泊まったら、短パンで上半身裸の男性が、夕方のバックヤードで涼んでいた。翌朝、その髭のおじさんが、白シャツに蝶ネクタイで食事をサーブしてくれたので驚いたものだ。

かつてセーブル通りは、生活感いっぱいの通りだった。ホテルからメトロのデュロック駅まで歩くほんの2~300メートルのあいだに、チーズの店、果物屋、日本でも有名になったペルチエなどの店が並んでいて、初老のおじさんがいつもランジェリーショップの店番をしていた。パン屋さんだけでも3軒あったから、毎朝、バケットと新聞を小脇にかかえた男性たちが、しきりに往来を闊歩していた。

私たち夫婦は、親切な父娘が経営するお惣菜の店・スキャパンがひいきだった。当時としては珍しく、娘さんが英語を話せたので、サラダからハウスワインまで、アドバイスにしたがって色んなものを試してみた。そのスキャパンもいまはない。

こうして歩いてみると、30年前の街並みがまるで幻のように感じられる。数年前にも2人でこのあたりを歩いたことがあるが、なんだか変化のスピードが以前に増して速くなった印象である。

そのことに時の移ろいの儚さも感じるのだが、また一方で、定点観測というものの面白さも感じている。

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