日別アーカイブ: 2016/09/03

セーブル・バノー周辺

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パリでの用事があらかた済んだので、30年前滞在したホテルのあったあたりをぶらぶらしてみた。それまで、いつも一人でヨーロッパにきていたが、はじめて妻と一緒にきたときのホテルである。ここセーブル通りの辺は、いつの間にかリヴ・ゴーシュを名乗るようになり、オシャレな街に変身している。昔の面影を探すのが難しいくらいである。

はるばる南周りでパリに着き、空港のカウンターで、セーブル通りとバノ―通りが交差する場所にあるホテルを紹介してもらった。私には出発前にホテルを予約する習慣がなかったからだ。

昔風のエレベーターの扉は、自分の手で開け閉めする。定員は2人。人が乗ると荷物がのらない。部屋に入ると、風呂場の両開きの窓は壊れたまま、取っ手をかろうじて紐でくくりつけてある。窓を開けると、目の前が大きな病院で、眼下に病院の灰色の塀がどこまでも続いていた。

今年のパリも暑かったが、30年前はもっと猛暑だった。もちろん部屋に冷房などない。もっぱらホテルの隣りにあるカフェのテーブルが仕事場だった。ほかにほとんど宿泊客をみた記憶がないから、ホテルもよほど暇だったのだろう。中年のフロント係の男性も、よく同じカフェでお茶を飲んでいた。

この年はフランスだけでなく欧州ぜんぶが暑かった。ケンブリッジのB&Bに泊まったら、短パンで上半身裸の男性が、夕方のバックヤードで涼んでいた。翌朝、その髭のおじさんが、白シャツに蝶ネクタイで食事をサーブしてくれたので驚いたものだ。

かつてセーブル通りは、生活感いっぱいの通りだった。ホテルからメトロのデュロック駅まで歩くほんの2~300メートルのあいだに、チーズの店、果物屋、日本でも有名になったペルチエなどの店が並んでいて、初老のおじさんがいつもランジェリーショップの店番をしていた。パン屋さんだけでも3軒あったから、毎朝、バケットと新聞を小脇にかかえた男性たちが、しきりに往来を闊歩していた。

私たち夫婦は、親切な父娘が経営するお惣菜の店・スキャパンがひいきだった。当時としては珍しく、娘さんが英語を話せたので、サラダからハウスワインまで、アドバイスにしたがって色んなものを試してみた。そのスキャパンもいまはない。

こうして歩いてみると、30年前の街並みがまるで幻のように感じられる。数年前にも2人でこのあたりを歩いたことがあるが、なんだか変化のスピードが以前に増して速くなった印象である。

そのことに時の移ろいの儚さも感じるのだが、また一方で、定点観測というものの面白さも感じている。

パリのドライバー(2)

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空港までタクシーを呼んでもらった。パリにつく妻を迎えに行くのだ。指定した時間は午前4時。あたりは真っ暗である。5分前にフロントに下りていくと、もうドライバーが車の外に立っていた。

頭髪がわたしよりちょっと薄く恰幅がいい。やわらかい笑顔でおっとりした印象の人だ。一瞥したところ、体重はわたしの倍、おなか周りはおそらく3倍ある。「ボンジュール!」。いいドライバーがきてくれたものだ。

ところが思いがけずきびきびした運転をする。どうしてこんな道を選ぶのかわからないが、人の気配のない裏通りを疾駆し、赤信号では「キキッ」という感じで止まる。信号が青に変わった瞬間、こんどはすごいスピードで走りだす。

やがて車はセーヌ川を越え、川沿いの道を走り、見覚えのある片道3車線の広い道路にでた。小さく開けた窓から入ってくる風切り音がどんどん大きくなり、スピード・メーターの針があっという間に140キロに達した。

おいおい大丈夫か。追い越し車線ばかり走り、そのままの勢いで空港まで走り通した。おかげで私の足は床を踏ん張り通しである。

空港の建物が見えてホッとしたところに、次の危機がきた。到着ターミナルへの入口が分からないという。そんな馬鹿な。時間が早すぎてターミナルの入口がまだ閉鎖されているらしい。車は「第2ターミナルE」と「第2ターミナルF」の間の周回道路を、カーレースよろしく5、6回ばかりも周りつづける。

私の方がよっぽど動揺していたのだろう。やっと駐車スペースをみつけ、いざ清算しようとしたら、もってきたはずの財布が見つからない。さては、財布を部屋のセーフティ・ボックスにいれたままだったか。これはさすがにまずい。一難去ってまた一難である。さてどうしたものか。

ところが件のドライバー氏が、少しも慌てずこういうではないか。「そんなこともあるよ。大丈夫、ここはパリだ」。うわ、かっこいい。

こんなにたっぷりした体型の人がこんなに俊敏に動くのかというぐらい、さっさと到着ロビーまでわたしを先導して歩き、妻の荷物をひったくるとたちまち駐車場まで運び、後はなにごともなかったかのように、ホテルまで送り届けてくれた。

「いつでも連絡ちょうだい」。小さな紙片に電話番号をなぐり書きして渡すと、中年ドライバーのデービッド氏は、白みかけたパリの街に颯爽と消えて行ったのだった。