月別アーカイブ: 9月 2016

入院の顛末

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この年になるまで、手術入院というものをしたことがなかった。「なかった」と過去形で書いたのは、今回はじめて手術を体験したからである。胸部大動脈瘤のステントグラフト手術だ。鼠蹊部の動脈を切開し、そこからメッシュ状のステントグラフトを挿入し、胸部動脈の内側に3×2㎝のマージンを取って装着する。ステントグラフト全体の長さはおそらく8㎝くらいだろうか。そんな手術である。

はじまりは8月3日(水)のMRI検査で「左鎖骨下動脈分岐部より3㎝ほど抹消で、右腹側に径2㎝ほどの広基性嚢状瘤」がみつかったこと。心臓を出て上に向かった動脈が、脳などに分岐し、今度はお腹の方に向かって下降するあたりを「弓部」というらしいが、瘤ができたのはちょうどこのあたりだ。動脈瘤の好発部位だという。自覚症状など一切ないからこの判定はまさに青天の霹靂だった。

判定結果をもって8月6日(金)に、血管外科のH先生のところにいった。「獲得研夏のセミナー」の前日のことである。早速3D画像を見せてくれたが、素人目にもはっきりそれと分かる瘤が映っている。H先生の所見は、瘤自体はまだ大きくないが、だからといってこれから小さくなるものでもない。処置は早いに越したことはない。悪化するのを座して待つよりも手術をというもの。

とはいっても、夏のセミナーに続けて上海研修旅行(8/11-13)、欧州出張(8/17-9/12)とイベントが目白押しである。さて、どうしたものか。ところが先生少しも慌てず「じゃあ、9月14日が手術日になっているので、9月13日入院、14日手術ということでどうでしょう」という。

続けて「なあに、手術はほんの1~2時間ですみますから、簡単ですよ」と力強くいった。旅行中に配慮すべきことはなんですか、という当方の質問にも「手術のことは考えないことです。余計な心配がかえって血圧をあげることにつながりますから」と実に明快である。

ということで、パリから帰って自宅に1泊、翌朝はやくに家をでてそのまま入院ということになった。病院についてみると、麻酔科の先生やらICU担当の看護師さんやらが次々に現れて、それぞれの立場から手術の様子を詳細に説明してくれる。それにリスクのある手術であることを本人及び家族が承諾しますという「承諾書」へのサイン依頼がもれなくついてくる。あれあれ?という感じ。想像していたよりもずっとシリアスである。

しかも間の悪いことに、朝から緊急の大手術があったそうで、肝心の執刀医の先生がなかなか現れない。手術室から直行したと思われるN先生の説明を聞き終わるころにはもう夜の9時半を回っていた。朝10時の入院からはじまって、断続的に12時間近く気分の重い助走時間が続いたことになる。

翌朝一番の手術である。全身麻酔だから、手術室に入ったあとのことはほとんど覚えていない。ICUで目覚めたら、もう体から何本も管がでていた。手術自体は本当に1時間余りで済んだという。ただ、妻がN先生から「思ったより脂肪の層が厚かった」と言われたらしい。ヨーロッパで相当歩いたつもりだが、それと同じくらい脂肪分をとっていたということだろう。面目ない。

幸い術後の経過は良好である。体から1本ずつ針が抜けていき、切開した部分の傷の痛みもやわらぎ、歩行の困難もなくなった。巡回の先生たちも、「これだけ順調だとかえって退屈でしょう」と気づかってくれる。

これは私の印象だが、外科の先生は判断も早く、身体の動きも俊敏である。手術の前夜、首の動脈に点滴用の針を刺した。場所が場所だけに、何本も痛み止めを打ちながら処置するのだが、その動きが実に手早い。担当したHD先生が「すぐ済みます。はい、もう8割がた終わりました」と途中で声をかけてくれるが、実はそう聞いてからの時間の方がうんと長い。

実際のところ、さんざん痛い思いをしている患者に「はい、これでやっと3分の1です」といったら、それこそ患者は戦意喪失することだろう。H先生の「なあに1~2時間ですみますから、簡単ですよ」という言葉と呼応して、なるほどこれが外科の先生の基本戦略なのかと納得したことだった。

 

パリの治安情報

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ミュンヘン滞在中、ノイエ・ヴァン・シュタイン城の見学をご一緒した雜村さん姉妹から、大阪の友人が語学研修でパリを訪問することになっているのだが、本人が治安について心配している。実際のところはどうなんだろう、というメールを頂戴した。それでちょっと書いてみたいと思う。

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テロの後、フランスの警戒が強くなっていることは確かで、銃を持った兵士が人の集まる場所をよく巡回している。警察のパトロールも強化されているようで、先日、ストラスブールからコルマールに行くローカル線の車内でパスポートの提示を求められた。こんな経験ははじめてである。美術館やデパートの入口では、ほぼ確実に荷物検査がされている。

ストラスブールに移動してくる前に、パリの藤光由子先生(パリ日本文化会館・日本語教育アドバイザー)のお宅で、夕食をごちそうになった。シェフでご主人の施さんの料理は、見た目も味も素晴らしく、至福の一夜だった。

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同夜、一緒に招かれた大島泉さん(ICU高校2期生)、高橋潤子さん(パリの国際学校の先生)が、お二人ともパリ在住20年を越す国際結婚家庭の方ということで、体験談も含めて、これ以上ないくらいリアリティのある治安情報をうかがうことになった。

それによると、パリに住む日本人家庭向けのメルマガで、定期的に治安情報が流れていて、日本人がスリにあった件数やら新手の手口やらが具体的に報告されているという。たとえば、12~13歳ほどの子どもグループで、被害者を取り囲んで金品を奪うケースが続出しているらしい。子どもへの罰則がゆるいのを逆手に取った犯行だという。また、道端でアンケートと称して声をかけ、注意をそらしている隙に仲間が財布をかすめ取る被害も多いという。

メルマガが配信されるつど、被害件数・数百件と記されているそうだが、なるほど地下鉄1号線に乗ると、駅ごとに「スリにご注意を」と日本語でもアナウンスしているから、よほど被害が多いということだろう。パリに到着し最初の目的地にたどり着く前に、財布とパスポートをすべて盗られたといって日本文化会館に駆け込んでくるケースもあると聞いた。

荒っぽい手口としては、ドゴール空港からタクシーに乗り、パリ市内に入る入口あたりの交差点で、車の窓を割られて、膝の上の荷物を奪われるケースがあるという。ひったくり被害も多いので、高価な装飾品を身につけたり、多くの現金を持ち歩いたりしない方がいいのでは、ということだった。

お話をうかがう限り、日本はもちろんのこと、私が毎年いくロンドンともかなり治安意識が違うようである。こわい話が続いたが、用心するにこしたことはない。雜村さんのご友人には、くれぐれも用心のうえで、楽しく充実した語学研修をしていただければ、と願っている。

セーブル・バノー周辺

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パリでの用事があらかた済んだので、30年前滞在したホテルのあったあたりをぶらぶらしてみた。それまで、いつも一人でヨーロッパにきていたが、はじめて妻と一緒にきたときのホテルである。ここセーブル通りの辺は、いつの間にかリヴ・ゴーシュを名乗るようになり、オシャレな街に変身している。昔の面影を探すのが難しいくらいである。

はるばる南周りでパリに着き、空港のカウンターで、セーブル通りとバノ―通りが交差する場所にあるホテルを紹介してもらった。私には出発前にホテルを予約する習慣がなかったからだ。

昔風のエレベーターの扉は、自分の手で開け閉めする。定員は2人。人が乗ると荷物がのらない。部屋に入ると、風呂場の両開きの窓は壊れたまま、取っ手をかろうじて紐でくくりつけてある。窓を開けると、目の前が大きな病院で、眼下に病院の灰色の塀がどこまでも続いていた。

今年のパリも暑かったが、30年前はもっと猛暑だった。もちろん部屋に冷房などない。もっぱらホテルの隣りにあるカフェのテーブルが仕事場だった。ほかにほとんど宿泊客をみた記憶がないから、ホテルもよほど暇だったのだろう。中年のフロント係の男性も、よく同じカフェでお茶を飲んでいた。

この年はフランスだけでなく欧州ぜんぶが暑かった。ケンブリッジのB&Bに泊まったら、短パンで上半身裸の男性が、夕方のバックヤードで涼んでいた。翌朝、その髭のおじさんが、白シャツに蝶ネクタイで食事をサーブしてくれたので驚いたものだ。

かつてセーブル通りは、生活感いっぱいの通りだった。ホテルからメトロのデュロック駅まで歩くほんの2~300メートルのあいだに、チーズの店、果物屋、日本でも有名になったペルチエなどの店が並んでいて、初老のおじさんがいつもランジェリーショップの店番をしていた。パン屋さんだけでも3軒あったから、毎朝、バケットと新聞を小脇にかかえた男性たちが、しきりに往来を闊歩していた。

私たち夫婦は、親切な父娘が経営するお惣菜の店・スキャパンがひいきだった。当時としては珍しく、娘さんが英語を話せたので、サラダからハウスワインまで、アドバイスにしたがって色んなものを試してみた。そのスキャパンもいまはない。

こうして歩いてみると、30年前の街並みがまるで幻のように感じられる。数年前にも2人でこのあたりを歩いたことがあるが、なんだか変化のスピードが以前に増して速くなった印象である。

そのことに時の移ろいの儚さも感じるのだが、また一方で、定点観測というものの面白さも感じている。

パリのドライバー(2)

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空港までタクシーを呼んでもらった。パリにつく妻を迎えに行くのだ。指定した時間は午前4時。あたりは真っ暗である。5分前にフロントに下りていくと、もうドライバーが車の外に立っていた。

頭髪がわたしよりちょっと薄く恰幅がいい。やわらかい笑顔でおっとりした印象の人だ。一瞥したところ、体重はわたしの倍、おなか周りはおそらく3倍ある。「ボンジュール!」。いいドライバーがきてくれたものだ。

ところが思いがけずきびきびした運転をする。どうしてこんな道を選ぶのかわからないが、人の気配のない裏通りを疾駆し、赤信号では「キキッ」という感じで止まる。信号が青に変わった瞬間、こんどはすごいスピードで走りだす。

やがて車はセーヌ川を越え、川沿いの道を走り、見覚えのある片道3車線の広い道路にでた。小さく開けた窓から入ってくる風切り音がどんどん大きくなり、スピード・メーターの針があっという間に140キロに達した。

おいおい大丈夫か。追い越し車線ばかり走り、そのままの勢いで空港まで走り通した。おかげで私の足は床を踏ん張り通しである。

空港の建物が見えてホッとしたところに、次の危機がきた。到着ターミナルへの入口が分からないという。そんな馬鹿な。時間が早すぎてターミナルの入口がまだ閉鎖されているらしい。車は「第2ターミナルE」と「第2ターミナルF」の間の周回道路を、カーレースよろしく5、6回ばかりも周りつづける。

私の方がよっぽど動揺していたのだろう。やっと駐車スペースをみつけ、いざ清算しようとしたら、もってきたはずの財布が見つからない。さては、財布を部屋のセーフティ・ボックスにいれたままだったか。これはさすがにまずい。一難去ってまた一難である。さてどうしたものか。

ところが件のドライバー氏が、少しも慌てずこういうではないか。「そんなこともあるよ。大丈夫、ここはパリだ」。うわ、かっこいい。

こんなにたっぷりした体型の人がこんなに俊敏に動くのかというぐらい、さっさと到着ロビーまでわたしを先導して歩き、妻の荷物をひったくるとたちまち駐車場まで運び、後はなにごともなかったかのように、ホテルまで送り届けてくれた。

「いつでも連絡ちょうだい」。小さな紙片に電話番号をなぐり書きして渡すと、中年ドライバーのデービッド氏は、白みかけたパリの街に颯爽と消えて行ったのだった。

聖アンナと聖母子

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久しぶりにルーヴル美術館に入った。ガラスのピラミッドができてからはじめてである。若いころは、エリアを特定し、膨大なコレクションを何日もかけて見て回った。近年は、人出が凄いと聞いているので、たとえ徒歩圏内に宿をとることがあっても、ついぞ出かけたことがない。

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30年ぶりのルーヴルは、想像以上の人出で、芋洗い状態である。「モナリザ」はガラスケースに入り、スマホを頭上にかかげる数十人の人垣が柵のまわりを取り囲んでいるので、なんだか大きな記者会見みたいな様子だ。そもそも作品に近づくことさえ難しいので、これは早々にあきらめた。

私の好きだったスペイン絵画のコーナーも様変わりしている。当時、チュイルリー公園側の奥まった部屋にいくと、まるでご褒美のように、ゴヤ、ベラスケス、ムリリョ、エルグレコの名作を思うさま眺めることができた。小さな部屋にはいつもほとんど人の気配がなかったが、あらかたの作品が大きな部屋に移動していて、しかもわんわんの人である。

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今回は、ダヴィンチの「聖アンナと聖母子」に時間をかけた。ダヴィンチが生涯手元において加筆を続けたというだけあって興趣がつきない。自宅の書斎の壁にこの作品のコピーをかけて20年ばかりながめていても、それほどしっかり見たことがないので、一度じっくりみてみようというただそれだけのことである。謎解きのためではない。

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近景・中景・遠景の描き分けの見事さはもちろんのこと、空気遠近法というらしいが遠景の山々自体も微妙なグラデーションで奥行きをだしている。描かれた山容をみているうちに、わたしはつい最近見たアルプ湖のはるか向こうに広がるドイツアルプスの景色を思い出した。

近年の修復で画面が明るくなったということだが、マリアの衣のブルーと遠景の山々のブルーとの対応もよりはっきり意識できるようになった気がする。アンナとマリアと幼子キリストの視線の交錯もいまさらに興味深く、ただぼんやり眺めるだけでもいろんなことを考えさせてくれる。

同じ部屋の背後の壁には、繊細きわまるラファエロの「美しき女庭師」がかかっていて、ダヴィンチとラファエロの作風の違いも一目で感得できる。まあなんとも贅沢なことである。