月別アーカイブ: 5月 2016

庭石

秋田の実家の庭は、池のない平庭である。東西にそれぞれ築山がつくってあるが、まあ、ほとんど平べったい庭といってよい。

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景色に変化をつけるためだろう。あちらこちらに庭石が立っている。ただ、庭石が屹立しているわけではなく、どれもいくらか地面に埋まっていて、あたかもそのままもとの自然に帰ろうとしているかのような風情である。

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庭石はことごとく丸っぽい形状で、力みのない、自然体の雰囲気をもっている。名石などというものからはるかに遠く、穏やかな印象の石ばかりだから、見ようによっては、道端の道祖神のように見えなくもない。

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これらの石を眺めていると、わたしは先祖の人たちの美意識になんとなく近しいものを感じる。

いったい庭にいくつ石があるのか定かではないが、今回も植込みのかげで、すっかり苔におおわれ、地面のもりあがりとほとんど区別がつかなくなっている大きな石をひとつ発見した。

白い花

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秋田の実家に帰省しても、花の盛りにでくわすことが滅多にないのだが、今回は珍しくニセアカシアの満開の時期にぶつかった。青空を背景に、白い花房がキラキラ輝いている。

咲き残りのユキオもかろうじてみることができた。垣根のユキヤナギもそうだが、わが家の場合、春から夏にかけて、花といえば圧倒的に白い花が主流である。

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屋敷の周囲をむやみに丈の高い樹木がとり囲んでいるせいで、母家のたっているあたりが、ポカンと開けた、ちょっと広い陽だまりのような環境になっている。

おそらくそれが気に入って、野生のキジがここに居所をさだめるようになったのだと思う。白いユキオの刈込のあいだを、頭部の赤いオスがゆうゆうと歩いている。ときどき姿をみせるだけの私などより、どうも自分のほうがこの屋敷の主だと思っているふしがある。

風のない静かな昼下がり、四方の窓をあけはなして畳のうえで昼寝をすると、いっとき、都会では味わうことのできないような、せいせいした気分を味わうことができる。

 

黒田泰蔵さんの壺

黒田泰蔵さんの白磁には、どれも作家の研ぎ澄まされた感性が息づいている。食卓で、ふだんどちらかといえば民芸系の器をつかうことが多いが、それでも黒田さんの鉢は果物を盛ったりするのに重宝している。

ただ、いちばん気に入っている黒田さんの壺にかぎっては、家のどこにおいてもどうもしっくりこない。床の間においたり、玄関においたりといろいろ試したのだが、どこにおいても一向にところを得た感じがしないのである。

この壺は、私自身の“焼物熱”が盛んだった15年余りまえに求めたものだが、すっかり焼物熱のさめたいまでも好きな作品だから余計にこまる。ところが今日、“そうだ、あれにのせたらどうだろう”とひとつのアイディアがうかんだ。それで古い小さな箱をひっぱりだして、その上にくだんの壺をのせてみたところこれがなかなか良いではないか。それがこの写真である。

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この黒い箱は、秋田の実家からもってきたもので、もともと肝煎文書などの古文書が入っていた箱である。蓋裏をみると安政6年と墨書してある。ということは1859年(安政の大獄の翌年)製ということになるから150年以上前のものだ。さすがに木地もいたんでぼろぼろになっているが、黒田さんの壺をのせると、なんとなくなじんでしまうところが面白い。

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これからはくれぐれも陶磁器を買うのをひかえるようにと妻から厳命されている。それで、ああこういう風に、すでにもっているものを組み合わせて楽しむ仕方もあるのか、と妙に納得してしまったことだった。

ICU高校7期生の同級会

連休が明けると、たいがい花粉症が終わるはずなのだが、ことしに限っては、症状がひどくなっている。他に思い当たることがないから、どうも連休中の庭仕事が影響している気がする。

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昨日、銀座のお店で、ICU高校7期生・1年1組の同級会があった。卒業後30年の節目だという。このクラスは、2年間担任した4期生を送り出したあと、そのときの勢いのまま1年生におりて担任したクラスである。2年生ですぐクラス替えがあり、わたしもそのときに担任をはずれたから、1年間だけ担任した学年ということになる。

にもかかわらず、とくべつに新鮮で印象深いクラスになった。いろんなエピソードがあるが、とりわけ結婚の年だったことが大きい。ICU教会の祭壇を背にして、クラスのみんなと結婚式の記念写真におさまったり、卒業のときには、所沢の新居まで大挙してメンバーが遊びにきてくれたりしている。

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このなかの何人かを除くと、ホントに30年ぶりの再会だった。卒業時の印象よりも、なぜだか入学当時の面影がそのまま甦ってくるところが面白い。全員とじっくり話せたわけではないが、これまでに大病をしたことがあるという話題が存外でなかったところをみると健康に恵まれた人が多いということだろうか。有難いことである。

幹事役の中島くんと阿部くんが大手町の路上でバッタリ再会したのが、今回の集まりのきっかけだと聞いた。これからも人生の偶然を楽しみつつ、なによりもまずは健康に暮らしてもらえたらなあ、と願っている。

飯能の町を散策

この連休を、たまりにたまった用事を片づける時間にあてている。昨日は、中村孝文さん(武蔵野大学教授)の案内で、飯能の町を散策した。所沢から電車でほんの25分ばかりのところだが、新しく知ることばかりである。(以下の写真は、すべて能仁寺)

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西川材というらしいが、幕藩時代には、飯能から江戸まで、筏にくんだ木材をさかんに運んだのだという。明治時代につくられた蚕種商の店蔵をはじめ、蔵づくりの建物もいたるところに残っていて、八王子からつづく絹の道の存在も確認できる。

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なかでも天覧山の山裾にある能仁寺の庭園が圧巻だった。日本百名園のひとつだというが、山の斜面を利用して広々とつくられた庭が、すみずみまで、みごとに手入れされている。たまたま人影まばらで、またあまりに清々しい雰囲気でもあったから、わたしは京都・薪の酬恩庵(一休寺)のたたずまいを思い出した。

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上野の彰義隊のことは有名だが、同じ時期に、飯能でも飯能戦争があった。ここ能仁寺は、幕府方の陣屋になり全焼した寺である。そんなに昔の話ではない。

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天覧山の展望台からくだって美味しいそばをたぐる間に、中村さんともう次の訪問プランをねった。こんどは能仁寺の紅葉と鰻・地酒をメインにしたコースにしよう、というのである。