『世界』(岩波書店)の5月号が、8日に発売になった。特集で、国谷裕子さんの「インタビューという仕事-『クローズアップ現代』の23年」を読むと、画面の向こうで国谷さんが何を考えて仕事をしてきたのかがよく分かる。筋の通ったジャーナリストの姿勢というのはこういうものなのか、と実感できる。
たまたま同じ号に、「主権者教育とは何か-『18歳選挙権』導入を機に」を書いた。この半年ほど、18歳選挙権をめぐる新聞各紙の報道をウォッチしてきたが、どうしても若者の投票率アップキャンペーンのトーンが強い記事が目立つことになる。もちろんそれも大切なことだが、一方で「教育」というからには、もう少し長いスパンで考える論調も必要ではないかと思う。
主権者教育について考えることは、どんな主権者像を描くのかということと表裏の関係だし、それは民主的社会を構成する市民をどう育てるのかということであり、同時に参加民主主義の成熟の過程をどう構想するのかということにもつながっているからだ。
『世界』に寄稿するのは、「総合学習に展望はあるか」(2002年6月号)以来14年ぶりだ。まだICU高校の教師だったころのことである。当時の私と大きく違っているのは、編集する側の苦労をより身近に感じるようになったことだろうか。もちろん総合雑誌の苦労とは比べるべくもないのだが、このところ、単著ではなく編著ばかりだしているせいである。
これだけ多彩なラインアップの原稿を、しかも毎月だしつづける努力たるや並大抵のものではないはずだ。