日英シンポを成功裡に終えて、いまは研究成果の確認作業に入っている。時間をみつけて、四国の芝居小屋・内子座(1916年・大正5年創建)を見に行った。内子座のある内子町は、松山市からJRの特急列車で30分ほど、中央を小田川が流れる山あいの小さな盆地の町である。
猛暑の中を、駅から10分ばかり歩いて内子座につくと、そこはすこぶるつきの楽しい空間だった。いまは定員650人と計算するそうだが、かつて少女歌劇の公演では、観客が1200人はいったことがあるという。
舞台が低く、客席との距離も思いのほか近いから、抜群の臨場感である。ここで、玉三郎や勘三郎の芝居を観たひとたちは、さぞかし幸せを感じたことだろう。8月恒例の文楽公演には、人間国宝にきまった嶋太夫さんが出演する予定になっている。
案内の方たちが親切で、見たいところはどこでもどうぞ、と言って放っておいてくれる。ほかに見学者がないから、劇場中の空間をほとんど独り占めできた。
奈落から舞台、花道とゆっくり歩いて回り、ついでに升席、大向とあちこちの席にすわってみては、どんな風にみえるのか、見え方の違いを味わう。なんとも贅沢な時間である。
内子は、明治の中ごろから大正期にかけて、木蝋の生産で大いに栄えた。その品質の高さは、海外にも知られていて、最盛期、製蝋業者が23軒もあって、国内の生産量の3割を占めたという。いまは資料館になっている上芳我邸の建物をみても、じつに豪壮なものである。
内子座のような芝居小屋ができる背景に、地域のそうした経済力があったということだろう。いまの内子は、盆地の斜面にみごとな白壁の街並みが残る観光の町である。
ただ、この日ばかりは、昼下がりの通りに人影というものがなく、そのシュールなことといったら、まるで目の前にキリコの絵の世界が広がっているかのようだった。