月別アーカイブ: 5月 2015

清水寺平成縁起絵巻

清水寺縁起絵巻 002

4月の深夜、たまたまクローズアップ現代「”宗派を越えて”清水寺1200年の歴史」の再放送をみた。10年がかりで完成した「清水寺平成縁起絵巻」(箱崎陸昌筆、全9巻、画寸全長6507cm、手織り絹に裏彩色)の公開記念特集である。

武田富美子先生(立命館大学)からときどき清水寺のことは聞いていた。お父上(横山正幸氏)がお寺の学芸顧問をしておられたことも。しかし、この番組ではじめて、亡きお父上の風貌に触れ、絵巻の原案を創られた方であることを知った。

清水寺縁起絵巻 003

番組では、清水寺がなんども焼失の憂き目をみたこと、しかしその都度、庶民の観音信仰によって復活してきたことが、応仁の乱と廃仏毀釈で陥った苦難の例で説明されていた。懐かしい大西良慶和上の映像とともに、清水寺が、檀家をもたない寺であり、宗派や身分を越えて人々を受け入れる寺であることも紹介された。

この絵巻について、五木寛之さんが、「ドラマチックな構成というよりも、庶民のいたみを静かに描き出している」と語っていたが、お寺の歴史を知るにつけ、絵巻のトーンが平明で明るいものになることもむべなるかな、と納得したことだった。

清水寺縁起絵巻 001

武田さんが、お寺から届いたという2冊のカタログのうちの一冊を、私に送ってくださった。ありがたいことである。絵と原案を併せてながめていると、「牛若丸と弁慶」(第5)、「物くさ太郎」(第6)、「一寸法師」(第7)「“舞台飛び”の流行」(第8)など、説話や時代の流行が巧みに織り込まれていて、清水寺が時代を超えて人々の信仰に支えられてきた寺であることが改めて実感される。

これほど親しみやすい縁起絵巻というものをほとんど知らないが、絵巻の構成と素材の選択に、原案者である横山氏のエスプリが感じられる。いつか実物をじっくり眺めてみたいものである。

秋田の新緑

垣根と庭の手入れで秋田に戻った。今年は、春の到来の早さがあちこちで話題になったが、そのお蔭で、ちょうど新緑の美しい時期とぴったり重なった。ケヤキ、モミジ、イチョウ、ウメ、ユキヤナギ・・・、それぞれ違う色味と艶と質感をもって輝いている。

庭のツツジのユキオも蕾が膨らんで、開花寸前である。わが家の場合、東庭から南庭そして西庭まで、円形の刈込のほとんどがユキオである。だから盛時には、庭のあちこちが真っ白になる。ただ、残念ながら、子ども時代を最後に花の盛りをみたことがない。その時期は、いつも東京にいるからだ。

今回ひときわ印象に残ったのは、生前、父親が植えた馬酔木の新緑である。もう30年近くまえのことだが、両親とわれわれ兄妹で、たった一度だけ、奈良方面にドライブ旅行をしたことがある。飛火野からささやきの小道を散策した折に、父親が、なぜかお暗い園路にたたずむ馬酔木を気に入ったらしい。それで、東庭の大木の下と客間のすぐ前の日当たりのいい場所、2か所に馬酔木をうえた。

手前が馬酔木 正面奥がキササゲ

手前が馬酔木 正面奥がキササゲ

年を経て、木陰の馬酔木は、奈良公園でも珍しいくらいけっこうな立木に成長している。一方、客間のまえの馬酔木は、地を這うような低木で、父が亡くなってからも、一向に大きくなる気配がない。そもそも馬酔木は日陰を好むと聞いているから、それも当然だろうと思っていたのだが、あるとき気がついたら、そのあたり一面が馬酔木という状況にまで広がっていた。今回は、その馬酔木が緑のグラデーションの先に、ほの赤い若葉をたくさんつけている。

その旅で父親が喜んだものがもうひとつある。唐招提寺の境内でキササゲを見つけたことだ。たしか金堂の横だったと思うが、大きさもちょうどわが家のものと同じくらいではなかったか。キササゲは東庭のシンボル的な木で、家族のだれもが親しみをもっているものだ。いまはすっかり古木で、幹の半分が空洞になってしまっているが、それでも毎年、大量の実をつける。

こんど唐招提寺にいったら、いつかみたキササゲを忘れずに確認しようと思っている。

ブログ3周年-第3巻の編集が佳境に

このゴールデン・ウィークは、好天続きである。しかし、メルボルンから戻ってこのかた、残念ながら一日も休めていない。3年越しで取り組んでいるシリーズ第3巻『教育プレゼンテーション』の編集作業が、8月刊行に向けて、いよいよ大詰めに入ったからだ。

メルボルンのフィッツロイ庭園 目の前にオウムが飛んででた

メルボルンのフィッツロイ庭園 目の前にオウムが飛んででた

今回の『教育プレゼンテーション』に、30種類のアクティビティ(プレゼン技法)を、収載している。いつもの通り、技法の「解説編」と「実践編」をセットで紹介する本だ。小学校から大学まで並んだ授業実践の合計が34本。日本の教師たちがおかれている困難な状況を考えると、自前のメンバーで、かくも多様な実践ができてしまっていることこそ奇観というべきだろう。

メルボルンは日本レストランが大人気だとか

メルボルンは日本レストランが大人気だとか

正月合宿だったか、メンバーから“執筆地獄”なる言葉が生まれたが、まあ、それだけ執筆にエネルギーを注ぎこんできたということか。

かといって、まなじりを決したかのような重苦しい雰囲気の本ではない。軽快さもユーモアもタップリ、読んだ人が「それじゃ、自分でもちょっと試してみるか」と思えるような本になっている。・・・と思う。いや、まあ、そう思いたい。

まだ刊行もされてもいない本のことを自分で褒めてどうするという話だが、3年間の実践研究の成果をプリントアウトして眺めているうちに、ちょっとだけテンションが上がったということで、ご寛恕願いたい。

教育界では、このところ「アクティブ・ラーニング」という言葉が、賑やかに取沙汰されている。実際のところは、なんらかのアクティビティを介在させることなしに、アクティブ・ラーニングも獲得型授業も成り立たないのである。

その意味で、私たちの取り組んでいる「アクティビティの体系化」という仕事は、民主的な市民社会を形成するための基礎作業である。だから、コツコツやってきた研究というのも、まあ、辞書をつくるのとそう変わらない、とても地味な仕事なのである。しかし、それこそが私たちのミッションだと思い定めている。

2012年の5月3日からはじめたこのブログが丸3年たった。この間にアップした原稿が198本。初年度95本、2年目は53本、3年目が50本という計算だ。まあまあ良く書いているほうだろうか。これからもこのペースを維持できたら、と思っている。