月別アーカイブ: 2月 2015

大学時代の友人

春日井・磐田 017

別々に会うことはあったが、こうして仲間3人が顔をそろえるのはかれこれ40年ぶりになる。われわれ3人は、ICUの第1男子寮で卒業まで一緒に過ごしたなかである。わたしから見ると、足立進一郎くん(写真左)は「堅実派」、米川佳伸くん(写真中央)は「夢追い派」の学生ということになる。両君ともそれぞれキャリアを全うし、いまは悠々自適である。

国際法を専攻した米川くんは、国連職員として35年間ニューヨークで働き、リタイアしてから拠点を東京に移した。護国寺で得度して真言宗の僧侶になったと思ったら、さらに大学院にまで入り直し、いまも仏教学を学んでいる。宗教活動を通じて、人と人とをつなぐ仕事をしたいのだ、という。

フランス文学を専攻した足立くんは、卒業と同時にふるさとの静岡に戻り、高校の語学教師になった。駿河と遠江の3つの高校で英語を教え、さらに教育委員会やら現場の管理職やらの仕事をしてリタイアした。いまは地域の外国人に日本語を教えたり、夫人と一緒に国内・国外を旅して回ったりしている。

春日井・磐田 022

2人とも相応に世間の風に当たってきたが、それでも生きる姿勢というのだろうか、本質的なスタンスが若い頃とつながっているように思う。だから、話しはじめるや、40年という時間がたちまち溶解してしまう。米川くんの近況にふれて、足立くんが思わず発した「ちっとも変わらないねえ」という言葉が、その間の事情を象徴している。

足立くんの案内で、明治初期に開校した旧見付学校を見学した。見付は東海道筋の宿場町だったところで、西に向かって掛川宿、袋井宿、見付宿(磐田)、浜松宿という並びである。校舎は、旧東海道を見下ろす位置にあり、このあたりのランドマークともいうべき洋風建築である。

磐田の”しまごん”は養鰻池のほとりの美味しい店だ

磐田の”しまごん”は養鰻池のほとりの美味しい店だ

伊豆の松崎にある旧岩科学校(重文)、伊賀上野にある旧小田小学校などいくつか同時代の小学校建築を見てきたが、1874年(明治8)開校の見付学校は、なかでもひと際古い建物のようである。基礎の石垣は遠州横須賀城のものだったとか。地域の人びとの教育に寄せる思いの深さがよくわかる。

こういうリユニオンは良い。今回は足立くんにすっかりお世話になったが、次回は、アジアの開発問題に長く取り組んできた米川くんに、東南アジアあたりをじかに案内してもらえたらなあ、などと思っている。

春日井市の日本自分史センター

愛知県春日井市役所の向かいに「文化フォーラム春日井」という立派な建物がある。そこの「日本自分史センター」を訪ねた。自分史をテーマとする唯一の公的施設で、全国から寄贈された出版物1万冊を収蔵している。

文化フォーラム春日井、センターはこの2階にある

文化フォーラム春日井、センターはこの2階にある

専任講師の安藤錦風(紀夫)先生の解説がおもしろかった。「自分史」という言葉は、もともと色川大吉さんの用法によるものらしいが、普通の市民が自分の人生を綴るもので、有名人の書く「自叙伝」というような物々しい雰囲気のものではない、という。センターでは、自分史の普及のために、文章講座、添削サービス、サークル活動とさまざまに工夫をこらした活動を展開していて、「掌編自分史全国公募事業」も12年続いている。

全国の動向から執筆のポイントまで、なんでも教えてくれる安藤さんは、自分史の生き字引のような方である。1980年代のはじめころは、300冊印刷して費用が300万円もかかる時代だったから企業人の自伝が多かったが、その費用が半額以下になってじょじょに裾野が広がり、発行点数も増えていったらしい。

右が安藤先生、左はかすがい市民文化財団の横谷朋子マネジャー

右が安藤先生、左はかすがい市民文化財団の横谷朋子マネジャー

大震災後のいまは「第5次のブームです」という。もちろん社会の高齢化も背景にあるのだが、未曽有の災害に直面して自分の存在理由を探す人たちが増えたことが大きい。なにかと話題の「エンディング・ノート」も広くは自分史のジャンルに入る。それでは、さぞかし退職年齢になった団塊世代の人たちが殺到していることだろう、と思いきや「そんなに文芸的な世代でないようですよ」ということだった。肩すかしである。

右のテーブルが相談コーナー

右のテーブルが相談コーナー

せっかく書きはじめてみたものの、途中で挫折してしまう人も多いらしい。その対策として、自分の誕生から筆をおこす大河ドラマ風の書き方ではなく、強い印象を残したエピソードから順番に書く「短編集」のやり方を推奨しているという。「“自分探し”と言われますが、文章に書きだして考えることで、自分を再発見するということがよくあります。だから、若い頃から自分史の考え方に触れて欲しいんです」という。それがひいては自分史のすそ野を広げることにもつながる。

JRの春日井駅は、名古屋の中心部から電車で20分ほどの場所である。ここにニュータウンができ、文化的なものをもとめる新住民の意識が自分史センターの設立を後押ししたのだった。このあたりは小野道風の出身地とされているから、「筆をペンにもちかえて自分史を書く」ということになる。全国で唯一というその意気込みが素晴らしいではないか。

5月23日(土)には、『自分史の書き方』を刊行した立花隆氏らをゲストに迎えて、「第17回自分史フェスタ」も開かれる。

日本自分史センター:http://www.kasugai-bunka.jp/jibunshi

修士論文の口頭試問

2月10日に修士論文の口頭試問があった。去年から公開でやっているので、1年生やドクターコースの院生もこぞって参観する。まず当人から5分の概略説明があって、そのあと10分の試問が行われる。主査、副査を中心にかなり突っ込んだ質問もするから、報告者はドキドキものだろう。

左はく芦田さん、麻生くんは協力隊でパラグアイにいくことになり休学中

左はく芦田さん、麻生くんは海外青年協力隊の活動でパラグアイにいくことになり欠席

今回、教育学コースで修論を書いた5人のうち3人が私のゼミ生である。論文のタイトルは、尾形頌紀くんが「高等学校における防災教育の現状と課題~授業実践の可能性を考える~」、木村敬一くんが「視覚障害生徒のインクルーシブ教育におけるスポーツ活動の現状に関する研究」、そして津田喬くんが「運動会の教育的意義を再考する~組体操(人間ピラミッド)の意義と問題点に着目して~」となっている。

試問を終えたばかりとあって、写真のなかの3人は、一様にホッとした表情である。彼らは学部の1年生から水泳部で活動してきた仲間である。もう6年のつきあいということになるが、4月からはいよいよ別々の道を歩きはじめる。

口頭試問と同じ日に、来年度の卒論指導生10人の顔合わせ会をやった。今年度はサバティカルで、卒論指導を免除してもらっていたから、こうした卒論生の集まりは2年ぶりである。教育実習やら採用試験やらで忙しくなる人たちだが、それでもなかなか意欲的である。さあ、これからどんなチームができあがっていくのだろうか。

3月26日の獲得研「春のセミナー」で、ゼミの学生・院生チームのうち10人ほどが、スタッフとして活躍してくれることになっている。その中に、津田くん、木村くん、そしてこんど修論・卒論を書く芦田さんたち、さらには4月から大学院に進学してくる予定の張さん、小宅くんたちがいる。

だから、こんどのセミナーは、ゼミを巣立つ人とゼミに入ってくる人が交錯する一日になる。学校の春は旅立ちの季節だが、ことしの春はまた格別のようである。