別々に会うことはあったが、こうして仲間3人が顔をそろえるのはかれこれ40年ぶりになる。われわれ3人は、ICUの第1男子寮で卒業まで一緒に過ごしたなかである。わたしから見ると、足立進一郎くん(写真左)は「堅実派」、米川佳伸くん(写真中央)は「夢追い派」の学生ということになる。両君ともそれぞれキャリアを全うし、いまは悠々自適である。
国際法を専攻した米川くんは、国連職員として35年間ニューヨークで働き、リタイアしてから拠点を東京に移した。護国寺で得度して真言宗の僧侶になったと思ったら、さらに大学院にまで入り直し、いまも仏教学を学んでいる。宗教活動を通じて、人と人とをつなぐ仕事をしたいのだ、という。
フランス文学を専攻した足立くんは、卒業と同時にふるさとの静岡に戻り、高校の語学教師になった。駿河と遠江の3つの高校で英語を教え、さらに教育委員会やら現場の管理職やらの仕事をしてリタイアした。いまは地域の外国人に日本語を教えたり、夫人と一緒に国内・国外を旅して回ったりしている。
2人とも相応に世間の風に当たってきたが、それでも生きる姿勢というのだろうか、本質的なスタンスが若い頃とつながっているように思う。だから、話しはじめるや、40年という時間がたちまち溶解してしまう。米川くんの近況にふれて、足立くんが思わず発した「ちっとも変わらないねえ」という言葉が、その間の事情を象徴している。
足立くんの案内で、明治初期に開校した旧見付学校を見学した。見付は東海道筋の宿場町だったところで、西に向かって掛川宿、袋井宿、見付宿(磐田)、浜松宿という並びである。校舎は、旧東海道を見下ろす位置にあり、このあたりのランドマークともいうべき洋風建築である。
伊豆の松崎にある旧岩科学校(重文)、伊賀上野にある旧小田小学校などいくつか同時代の小学校建築を見てきたが、1874年(明治8)開校の見付学校は、なかでもひと際古い建物のようである。基礎の石垣は遠州横須賀城のものだったとか。地域の人びとの教育に寄せる思いの深さがよくわかる。
こういうリユニオンは良い。今回は足立くんにすっかりお世話になったが、次回は、アジアの開発問題に長く取り組んできた米川くんに、東南アジアあたりをじかに案内してもらえたらなあ、などと思っている。