新春合宿で東京大空襲を考える

新年の活動はいつも獲得研の新春合宿からはじまる。2日目(1月5日)のプログラム“教師たちのプレゼンフェスタ”でニュースショー形式のプレゼンをつくった。半即興が特徴のフェスタとあって、当日の朝に、企画担当者がテーマを発表する。

センターの外観

センターの外観

今回のテーマは戦争体験の継承である。”戦後70年・東京大空襲をくぐり抜けて”がタイトルだ。タクシーが4台玄関でまっていて、「東京大空襲・戦災資料センター」(江東区北砂1丁目5-4)を訪ねる。まるでミステリー・ツアーみたいな2時間の取材行のはじまりだ。センターの建物は、町並みにとけこんだ瀟洒な3階建て、2階が会議室兼資料コーナー、3階が遺品などの展示スペースになっている。

2階の会議室

2階の会議室

センターの2階で、空襲の語り部・二瓶恰代(にへい・はるよ)さんの体験をうかがった。二瓶さんは、国民学校2年生のときに亀戸駅の近くで罹災し、焼け焦げたいくつもの遺体の下敷きになったことでかろうじて命を永らえた方だ。記憶は明晰、体調不良をおしてきてくださったこともあるが、こちらもよほど集中していたのだろう、気がつくと40分ほどのお話で手帳のメモが6ページになっていた。

合宿会場に戻って、3つのチームが、それぞれ5分間の発表をつくる。お昼時間をはさんでいるとはいっても、実際に準備に使える時間は1時間半しかない。この時間がまた素晴らしく濃密だった。

3階の展示スペース

3階の展示スペース

3つのプレゼンはそれぞれ視点が違っている。私たちAチームは、2025年に時間を設定し、日米の資料をつかって戦後80周年の特集番組を流すという設定にした。上手と下手の振り分けで、上手は米軍の作戦会議の場面と爆撃の場面、下手では戦争の行く末安をいだくはる子さん父子の会話の場面と摂氏千度の猛火のなかを逃げまどう場面、この4つのシーンを交互に演じていく。最後に、ゲストとしてはる子さん本人がスタジオに登場して「戦争がないこと、それが平和の基本です。人を思いやる優しい気持ちがつながったとき、人は生きられるのです」というメッセージを語る。これはセンターで聴いた二瓶さん自身のメッセージである。

Bチームの発表(街頭インタビューの場面)

Bチームの発表(街頭インタビューの場面)

Bチームは現代の番組という設定で、大空襲の司令官カーチス・ルメイの孫と早乙女勝元さんが、インタビューにこたえてそれぞれの主張を語るというもの。Cチームは、1945年の番組という設定である。まず現地レポーターが、学校と地域の防空訓練の模様を伝える場面。住民も消火活動をせよ、消火できるんだという「防空法」のもとでの訓練である。次に、下町大空襲の悲惨を知った住民が、自主的に避難して比較的被害を少なくした山手空襲の場面を演じる。この対照をもとに「本当のことって、いったい何なのだろうねえ?」と課題提起する番組になった。

昨春の「第五福竜丸記念館」訪問もそうだが、獲得研が平和教育にどう貢献できるのか、その手探りがはじまっている。「資料館を見学し、後日感想を書いて提出する」というこれまでの定型的なプログラムと違う選択肢があってもいいのではないか、ということだ。語り部の方々の高齢化もあって、戦争体験の継承の仕方が否応なく変更を迫られ、新しいスタイルの創造が緊急の課題になっている。

Cチーム(空襲の混乱のなかで)

Cチーム(空襲の混乱のなかで)

資料館で受けとった情報や刺激を、グループで話し合って咀嚼し、演劇的発表にモード変換する活動は、その試みの一つである。こうすることで様々な展開が可能になる。お互いの発表をみてから、それを素材にしてみんなで話し合ったり、あるいは発表後に追加リサーチをして報告書を作成したりというように、一連のプロセスに組み込むことができるからだ。

資料を分析してメッセージをつくり演劇的手法で表現する。それは、自分の内面と身体をくぐらせる学びであり、より深い体験につながる可能性のある学びである。ただし、悲惨な場面をただリアルに再現し追体験する表現活動になったのでは、パターン化を免れない。そこに批評性や象徴性というものをどう介在させるのか、それがポイントになるだろう。

獲得研メンバーの「研修プログラム」としてはじまったこの試みは、まだまだ実験段階である。これをどう育て、どう広げていくのか。さいわい今回は、企画担当の早川則男先生(中村高校)のはからいで、センターの主任研究員山本唯人さんに観ていただくことができた。

こうした連携を大切にしながら、いろんな知恵をもちよってプログラム開発をしていきたい、と思っている。

(東京大空襲・戦災資料センター
URL:http://www.tokyo-sensai.net/index.html)

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