月別アーカイブ: 1月 2015

京博の平成知新館

少し前のことになるが、年が明けてから京都国立博物館にいってみた。なにかの特別展ではない。見たかったのは美術品ではなく美術品の容れものの方である。昨秋オープンしたばかりの平成知新館のことだ。

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従来の1、7倍の広さになり、かつ洗練された空間をもつ建物のインパクトはかなりのものである。オフシーズンの午前中とあって場内は閑散としている。おかげで先着30名限定の絵葉書セットをもらった。ミュージアム・ショップもぐんとあか抜けて、尾形光琳の「竹虎図」に描かれた、なんとも愛らしく、やんちゃな目つきの虎のぬいぐるみが売られている。

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特別展示室で、仏像、神像など島根・鰐淵寺の木彫像にたくさんでくわしたのは幸運だった。1980年から“美術の会”で地方仏行脚をはじめた。若狭小浜、北上川流域、国東半島と平安木彫仏の行脚を続けて、出雲地方を訪れたのは1983年のことである。仏谷寺、清水寺、雲樹寺などの寺々を訪ねたが、あいにく鰐淵寺は非公開だったから、今回が初見ということになる。

出雲の地で持統天皇6年(692)に制作された「銅像観音菩薩立像」もでている。いわれてみれば、どことなく地方性を感じなくはないが、百済観音などに通じるいかにも飛鳥仏らしい八頭身のフォルムで、ことに向かって左側面からみるモデリングが素晴らしい。

平成知新館にはボランティアガイドが活躍するスペースもできた。鎌倉仏に特有な玉眼のつくりかたを体験するコーナーがある。資料コーナーも充実していて、「鳥獣戯画」のデジタル画像が実寸でみられる。わたしは操作の仕方をおそわって、絵巻を開くようにゆっくりテレビ画面の中をながれる「甲巻」を心ゆくまで楽しんだ。

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肝心の展示スペースということだが、少し気になることがあった。一つは館内の照明で、いささか暗すぎる感じである。仏像コーナーでは、上方からスポット照明をあてて像を際立たせている。あちこちの美術展で普通に見られるようになった技法だが、どちらかといえばデザイナーの意図が鬱陶しく感じられることの方が多い。仏像を拝する角度が自ずと限定されてしまうからだ。私の経験では、こうした照明は広隆寺の弥勒菩薩が収蔵庫に入ったときがその走りである。なんども通った広隆寺だがそれから自然に足が遠のいてしまっている。

もうひとつは、空間の大きさである。2階の絵画コーナーが特にそうなのだが、せいせいするくらい広壮な吹き抜け空間である。それはいいのだが、おかげで展示された障壁画がなんとなく貧相にみえてしまう。おそらく絵師の空間感覚とも、それが本来おいてあった建築物の空間とも大きくかけ離れていることからくる印象かと思う。

照明の仕方と空間の大きさとがあいまって、平成知新館のいくつかのコーナーが、ずいぶん余所行きの雰囲気になっている。バランスが難しいのはもちろんだが、ただ、作品そのものよりも展示空間の方が芸術化してしまうのは、私にはちょっと困る。それで古い建物のころに漂っていた普段着っぽい雰囲気が、少し懐かしくなったりもした。

はて、こんな印象をもつのは、こちらが年をとったということなのかしら。

新春合宿で東京大空襲を考える

新年の活動はいつも獲得研の新春合宿からはじまる。2日目(1月5日)のプログラム“教師たちのプレゼンフェスタ”でニュースショー形式のプレゼンをつくった。半即興が特徴のフェスタとあって、当日の朝に、企画担当者がテーマを発表する。

センターの外観

センターの外観

今回のテーマは戦争体験の継承である。”戦後70年・東京大空襲をくぐり抜けて”がタイトルだ。タクシーが4台玄関でまっていて、「東京大空襲・戦災資料センター」(江東区北砂1丁目5-4)を訪ねる。まるでミステリー・ツアーみたいな2時間の取材行のはじまりだ。センターの建物は、町並みにとけこんだ瀟洒な3階建て、2階が会議室兼資料コーナー、3階が遺品などの展示スペースになっている。

2階の会議室

2階の会議室

センターの2階で、空襲の語り部・二瓶恰代(にへい・はるよ)さんの体験をうかがった。二瓶さんは、国民学校2年生のときに亀戸駅の近くで罹災し、焼け焦げたいくつもの遺体の下敷きになったことでかろうじて命を永らえた方だ。記憶は明晰、体調不良をおしてきてくださったこともあるが、こちらもよほど集中していたのだろう、気がつくと40分ほどのお話で手帳のメモが6ページになっていた。

合宿会場に戻って、3つのチームが、それぞれ5分間の発表をつくる。お昼時間をはさんでいるとはいっても、実際に準備に使える時間は1時間半しかない。この時間がまた素晴らしく濃密だった。

3階の展示スペース

3階の展示スペース

3つのプレゼンはそれぞれ視点が違っている。私たちAチームは、2025年に時間を設定し、日米の資料をつかって戦後80周年の特集番組を流すという設定にした。上手と下手の振り分けで、上手は米軍の作戦会議の場面と爆撃の場面、下手では戦争の行く末安をいだくはる子さん父子の会話の場面と摂氏千度の猛火のなかを逃げまどう場面、この4つのシーンを交互に演じていく。最後に、ゲストとしてはる子さん本人がスタジオに登場して「戦争がないこと、それが平和の基本です。人を思いやる優しい気持ちがつながったとき、人は生きられるのです」というメッセージを語る。これはセンターで聴いた二瓶さん自身のメッセージである。

Bチームの発表(街頭インタビューの場面)

Bチームの発表(街頭インタビューの場面)

Bチームは現代の番組という設定で、大空襲の司令官カーチス・ルメイの孫と早乙女勝元さんが、インタビューにこたえてそれぞれの主張を語るというもの。Cチームは、1945年の番組という設定である。まず現地レポーターが、学校と地域の防空訓練の模様を伝える場面。住民も消火活動をせよ、消火できるんだという「防空法」のもとでの訓練である。次に、下町大空襲の悲惨を知った住民が、自主的に避難して比較的被害を少なくした山手空襲の場面を演じる。この対照をもとに「本当のことって、いったい何なのだろうねえ?」と課題提起する番組になった。

昨春の「第五福竜丸記念館」訪問もそうだが、獲得研が平和教育にどう貢献できるのか、その手探りがはじまっている。「資料館を見学し、後日感想を書いて提出する」というこれまでの定型的なプログラムと違う選択肢があってもいいのではないか、ということだ。語り部の方々の高齢化もあって、戦争体験の継承の仕方が否応なく変更を迫られ、新しいスタイルの創造が緊急の課題になっている。

Cチーム(空襲の混乱のなかで)

Cチーム(空襲の混乱のなかで)

資料館で受けとった情報や刺激を、グループで話し合って咀嚼し、演劇的発表にモード変換する活動は、その試みの一つである。こうすることで様々な展開が可能になる。お互いの発表をみてから、それを素材にしてみんなで話し合ったり、あるいは発表後に追加リサーチをして報告書を作成したりというように、一連のプロセスに組み込むことができるからだ。

資料を分析してメッセージをつくり演劇的手法で表現する。それは、自分の内面と身体をくぐらせる学びであり、より深い体験につながる可能性のある学びである。ただし、悲惨な場面をただリアルに再現し追体験する表現活動になったのでは、パターン化を免れない。そこに批評性や象徴性というものをどう介在させるのか、それがポイントになるだろう。

獲得研メンバーの「研修プログラム」としてはじまったこの試みは、まだまだ実験段階である。これをどう育て、どう広げていくのか。さいわい今回は、企画担当の早川則男先生(中村高校)のはからいで、センターの主任研究員山本唯人さんに観ていただくことができた。

こうした連携を大切にしながら、いろんな知恵をもちよってプログラム開発をしていきたい、と思っている。

(東京大空襲・戦災資料センター
URL:http://www.tokyo-sensai.net/index.html)

第3期をめぐる所感

プロジェクト方式と呼んでいるが、獲得研は3年を1区切りとして活動し、その都度メンバーの再登録もおこなっている。今春でちょうど丸9年、区切りの年である。第4期に入るにあたって、この3年で達成できたこと、できなかったことを振り返る。その手がかりにしようと、メーリングリストにこんなメッセージを書いた。

右手は後述する「アメリカ取材記録」の表紙

右手は後述する「USA取材旅行記録」の表紙

「中原先生が年末に刊行したフォト・クロニクル『獲得研の記録②2012・2014』(私家版 143頁)を手もとに置き、ゆっくりページを繰りながら年を越しました。この写真集は、2012年から2014年の3年間の記録ですから、知らない人がみても、獲得研の第3期の活動がまるまるイメージできる内容です。

中原さんはいつもそうですが、わたしたちが無意識にする表情や身体の動きを、その微妙な移ろいまでふくめてみごとにキャッチします。そのせいでしょうか。被写体になった人たちの表情のなんと豊かなことか。「ああ、こういう柔らかくて居心地のよい空間が獲得研の共同研究の土壌なんだなあ」ということが改めて確認できます。

それと同時に、獲得研の第3期がどんなに生産的だったのか実感しました。所期の研究活動では、シリーズ第3巻『教育プレゼンテーション』(旬報社)の執筆・編集に取り組んだこと、また「あかり座公演」として大阪のTACT、インターアクト年次大会に取り組んだことがあります。HPがますます充実し、英語版HPは国際共同研究で大いに効果を発揮してくれています。

イギリスの友人から届いた新年のe-メイルカード

イギリスの友人から届いた新年のe-メイルカード

その他にも、「レクチャー・シリーズ」が定着し多彩な刺激を受けることができました。八木ありさ先生に、会員としてまた第3巻の執筆者として獲得研に関わってもらうようになったことがその象徴です。また「異文化間教育学会・第34回研究大会」を運営し、その成果をまとめた『教育におけるドラマ技法の探究』(明石書店)を刊行できました。さらには演劇的手法をつかう半即興スタイルのグループ・プレゼンテーション「高校生プレゼンフェスタ」がすっかり定着しましたし、「高校生意見発表会」の10年間の成果も報告書にまとまりました。

「たった3年間で、よくぞまあここまで!」というのが本を閉じての印象です。とはいえ、まだまだ道半ば、今年は第4期に入ってさらに新しい展開がみられるはずです。まずは新春合宿、そして春のセミナーです。みなさま本年もどうぞよろしくお願いいたします。」

中原道高さん(都立目黒高校 美術)は、シリーズ本の執筆者にして獲得研の専属アーティストである。写真記録はもちろんポスターからロゴ制作まで一手に引き受けてくれている。その中原さんが、同じ時期に『USA取材旅行記録 2003』(私家版 95頁)もつくった。ニューヨークからロサンゼルスまで、アメリカ横断取材を敢行し、参加型教材『中高生のためのアメリカ理解入門』(明石書店)をつくったときのもので、いわば獲得研の原点である。

2冊並べて懐かしく足跡をたどるうち「ありゃりゃ」と思うことがあった。ほかならぬ自分自身のルックスである。10年の間隔があるのだから経年変化は当然なのだが、それにしてもまんまる顔の度合いが相当に進んでいる。いくら容貌に無頓着だとはいっても、これはこれは・・・。

それで、新年早々、生活習慣についていたく反省させられてしまうことになった。