日別アーカイブ: 2014/12/05

内橋克人氏の講演「不安社会を生きる」

出版NPO「本をたのしもう会」が主催する内橋克人氏(経済評論家)の講演会が、12月30日(日)に武蔵野公会堂であった。雨もよいの天候にもかかわらず350席のホールは満員の盛況である。

DSC03435

会場を静かな熱気がおおっている。格差社会の進行、特定秘密保護法、憲法改正問題など、この社会はいったいどこに向かおうとしているのか、聴衆の側に時代にたいする危機感の共有ということがある。総選挙の告示直前でもあり、実にタイムリーな企画になった。

わたしは受付のお役をすませたロビーで、スピーカーから流れてくる講演をゆっくり聴かせてもらった。内橋さんは「利益の私物化、損失の社会化」(スティグリッツ)や「人間はもはや搾取の対象ではなくなった。いまや排除の対象になった」(フォレステル)などの短くしかし鋭い言葉を紹介しつつ時代の流れを読み解いていく。そして、日本の統計的・表面的豊かさと実質的貧しさの対照は、まるで河上肇の「国は著しく富める。民ははなはだしく貧しい。げに驚くべきは、文明における多数人の貧乏である」という文章と対応するように、戦前から変わっていないのではないか、と指摘する。

DSC03451

アベノミクスの本質は「国策フィクション」だという。その根拠だが、2013年末のマネタリーベースが約47兆円、その後、わずか1年間で118兆円も膨らんだ。ところがそのじゃぶじゃぶの資金が、実態経済に回っていない。というのも、いま日銀に氷漬けになっている資金が120兆円あって、トータルでは逆に市中から2兆円吸いあがってしまった計算になる。「天空回廊を資金がグルグル回っている」のだ。したがって、いまあるのはインフレ期待を煽ることで生まれた一種の気分ということになる。それを内橋さんは「国策フィクション」と呼んでいる。

この現状でリーマンショックのような事態がきたらどうなるのか、と問う内橋さんの批判は情理を尽くしたものだ。語る言葉には、過度な装飾も無駄というものもない。あるのは静かな迫力、みごとなものである。いまわれわれは、賢さをともなう勇気をもつ必要がある、と講演を結んだ。

講演の途中で、少年期をすごした神戸での空襲体験について語っている。克人少年が盲腸で入院したその夜、お父さんが掘った防空壕を爆弾が直撃し、近所に住むご婦人が命をおとした。おばさんがすわっていたのは、壕の奥、いつもなら克人少年がすわるその場所であった。内橋氏はすでに母親を亡くしていて、その夜は、病院につきそうことになった父親にかわって、その婦人が残されたお姉さんの面倒をみてくれていたのである。

まったくの偶然で内橋さんが命を永らえ、まるで身代わりのように、親切な婦人が理不尽な死にみまわれた。自分はその人たちの無念を背負い、その人たちの分も人生の時間を生きているのだ、という。内橋さんの平和を希求する原点がそれだろう。

DSC03447

この日、健康に不安をかかえる82歳の内橋さんが、100分を超えて立ったまま聴衆に語りかけた。会場の反応が内橋さんを元気づけたのではなかったか。350人の聴衆から90枚ものアンケートが返ってくる公開講演というのを、これまで聴いたことがない。語り手と聴き手が一体となってつくった渾身の講演という形容があたっているかどうかわからないが、わたしの印象はそうである。

内橋さんの警世のメッセージを正面から受け止めなければならない。そう思った。