月別アーカイブ: 12月 2014

オックスフォードのたたずまい

エクセター・カレッジ

エクセター・カレッジ

ハリー・ダニエルズ教授(教育デパートメント)のインタビューを終えてから、研究チームのメンバーの1人ベルダ・エリオットさんが、エクセター・カレッジを案内してくれた。エクセター・カレッジは大学都市の中心部にあるカレッジで、以前にも一度訪ねたことがある。

プレートにも歴史が

プレートにも歴史が

1314年の設立というから700年の歴史があり、オックスフォード大学にある40近いカレッジのなかでも5番目に古いところだ。エリオットさんは大学院時代をここで過ごした。「博物館のなかで勉強しているようなものです」というが、まさにそんな感じだろう。教会、食堂、学寮、庭がセットになった佇まいがいかにも美しい。

エクセター・カレッジの教会

エクセター・カレッジの教会

学生数600人、そのうちの半分が大学院生らしい。教員の数は?と聞いたら、「さあ、学生2人に教員1人という見当でしょうか」という。もちろんチュートリアル制度について知ってはいるが、こんな答えをきくと改めてその贅沢さが実感される。

オックスフォード大学の訪問は3回目だが、今回に限って、なんだか懐かしい感じがした。どうしてだろうと考えているうち、ついこのあいだ来たように思っていたのは勘違いで、10年ぶりの訪問だということに気がついた。

カレッジの端っこがラドクリフ・カメラ(ボードリアン・ライブラリーの閲覧室)に接している

カレッジの端っこがラドクリフ・カメラ(ボードリアン・ライブラリーの閲覧室)に接している

2004年の夏はロンドンからレンタカーを運転してやってきた。一方通行の多さに苦労してようやくホテルにつき、まずはアテネ・オリンピックの結果を知りたいと思った。しかし、どういうことだろう。いくらチャンネルを変えても、やっているのはヨットと馬場馬術ばかりである。一向に全体像がわからないだけでなく、ニュース映像で、女子マラソン期待の星ラドクリフ選手が途中棄権する場面ばかり何十回もみせられた。野口みずき選手が金メダルをとったことを、ずっと後になって知ったほどである。

ボードリアン・ライブラリー

ボードリアン・ライブラリー

ことほど左様に、イギリスの放送局は他国選手の活躍に興味がないようだ。しかし、変われば変わるものである。2008年の北京オリンピックのときは状況が一変していた。あらゆる競技の結果をテレビで知ることができるようになったのだ。ロンドン・オリンピックを控えて、国民の啓蒙をはじめたというところだろうか。

セント・ヒルダ・カレッジ 右手の建物の1階に食堂

セント・ヒルダ・カレッジ 右手の建物の1階に食堂

前回はオックスフォードに3泊し、セント・メアリー教会の塔に登ったり、植物園を散策したり、クライスト・チャーチの夕拝に参加したりとゆっくり見学できた。もちろんカレッジもたくさんのぞいた。そのときの光景が10年かけて心の中にゆっくり沈殿していき、今回の訪問で、懐かしさの感覚をともなって甦ったものらしい。

エリオットさんのガイドが素晴らしかった。彼女は学部がケンブリッジ大学で、女子ラグビー部のプロップだったというから頼もしい。所属するセント・ヒルダ・カレッジで、昼食をご馳走になった。2007年まで女子カレッジだったそうで、言われてみれば、どことなく津田塾大学や東京女子大学を思わせる静かな佇まいである。ファカルティーは食堂の上段、学生は下段のテーブルで食事をするから、ハリー・ポッターもかくやという具合だ。

学校文化を内側から説明してもらったのもそうだし、人口15万人の都市がかかえる経済格差の問題を教えてもらったこともそうだが、オックスフォードという町がより立体的に見えてきたのが今回の訪問の大きな収穫だった。

オックスフォード大学、ヨーク大学へ

1週間のイギリス出張から帰った。ロンドン、オックスフォード、ヨーク、どの町もクリスマス・ムードで華やいでいる。学校はクリスマス休暇前の最終週だそうで、やはりなんとなくワクワクムードである。

トラファルガー広場にも大きなツリーが

トラファルガー広場にも大きなツリーが

出張のきっかけは池野範男教授(広島大学)とイアン・デービス教授(ヨーク大学)のあいだで「日英におけるシティズンシップ教育とドラマ教育」という共同研究の構想がもちあがったことだ。お二人は日英を代表するシティズンシップ教育の研究者である。私にドラマ教育の分野で声をかけてくれたのだが、興味深いテーマだから、喜んで参加させてもらうことにした。

日本側メンバーは、池野先生、深澤広明先生(広島大学教授)と私の3人。池野先生とははじめてだが、深澤先生とは、日本教育方法学会で「演劇的手法/演劇的知」について長年一緒にラウンドテーブルを運営している。今回のツアーには、この3人の他に、深澤先生が指導する修士課程の院生・佐藤雄一郎さんも参加した。

書店・ハッチャーズのディスプレイ

書店・ハッチャーズのディスプレイ

今回のいちばんの目的は、両国のメンバーが集まって研究内容のすりあわせをすることである。問題関心のつながるイギリス側の研究者たちと、膝をつきあわせてディスカッションできたのが何よりよかった。セミナーとあわせて、オックスフォードでは、地域の若者を巻き込んで多彩な創造活動をしているペガサス劇場、ヨークでは、シティズンシップ教育とドラマ教育に先進的に取り組んでいるジョセフ・ラウントリー・スクールをそれぞれ見学させてもらった。

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ジョセフ・ラウントリー・スクールでは、Aレベルのドラマ授業(Year12)に参加してから、次の1時間、車座になって彼らの問題関心をじっくりインタビューできた。学校側のもてなしは大変なもので、20人ばかりの生徒会役員が総出で、お茶の会をやってくれた。そのときの様子が、地元紙の「ザ・ヨーク・プレス」に載っている。

取材に来た記者の話では、もともとヨークシャー自体が広いところで、その全域をカバーするヨーク・プレスも、海岸部から内陸部まで、取材エリアがとても広いのだという。イギリスを代表する女優ジュディ・デンチがこの地方の出身で、里帰りインタビューを書いたから同日の掲載になるかも知れないよ、と私たちを大いに喜ばせてくれた。ただ、残念ながらそうならなかった。この日のトップは、地元郵便局の臨時職員の女性が、1千万円ばかり使いこんで、カリブ海ツアーなどの遊興費にあてていたという記事である。被害にあった局長夫妻が、写真入りで切々と窮状を述べている。

ロンドン、オックスフォードに各1泊、ヨークに3泊とかなり慌ただしく移動を繰り返した。最終日も、朝から12時までヨーク大学の教員とPHDコースの院生の発表を聴いてから、タクシーに飛び乗った。ヨーク駅、キングスクロス駅、パディントン駅経由でヒースロー空港まで行って、なんとか夕方の飛行機に間に合った。

いつもイギリスは1人でいくので、もう少し時間に余裕をもって動いている。ただ、忙しくはあったが、その分自然に良いチームワークもでき、充実した出張になった。

内橋克人氏の講演「不安社会を生きる」

出版NPO「本をたのしもう会」が主催する内橋克人氏(経済評論家)の講演会が、12月30日(日)に武蔵野公会堂であった。雨もよいの天候にもかかわらず350席のホールは満員の盛況である。

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会場を静かな熱気がおおっている。格差社会の進行、特定秘密保護法、憲法改正問題など、この社会はいったいどこに向かおうとしているのか、聴衆の側に時代にたいする危機感の共有ということがある。総選挙の告示直前でもあり、実にタイムリーな企画になった。

わたしは受付のお役をすませたロビーで、スピーカーから流れてくる講演をゆっくり聴かせてもらった。内橋さんは「利益の私物化、損失の社会化」(スティグリッツ)や「人間はもはや搾取の対象ではなくなった。いまや排除の対象になった」(フォレステル)などの短くしかし鋭い言葉を紹介しつつ時代の流れを読み解いていく。そして、日本の統計的・表面的豊かさと実質的貧しさの対照は、まるで河上肇の「国は著しく富める。民ははなはだしく貧しい。げに驚くべきは、文明における多数人の貧乏である」という文章と対応するように、戦前から変わっていないのではないか、と指摘する。

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アベノミクスの本質は「国策フィクション」だという。その根拠だが、2013年末のマネタリーベースが約47兆円、その後、わずか1年間で118兆円も膨らんだ。ところがそのじゃぶじゃぶの資金が、実態経済に回っていない。というのも、いま日銀に氷漬けになっている資金が120兆円あって、トータルでは逆に市中から2兆円吸いあがってしまった計算になる。「天空回廊を資金がグルグル回っている」のだ。したがって、いまあるのはインフレ期待を煽ることで生まれた一種の気分ということになる。それを内橋さんは「国策フィクション」と呼んでいる。

この現状でリーマンショックのような事態がきたらどうなるのか、と問う内橋さんの批判は情理を尽くしたものだ。語る言葉には、過度な装飾も無駄というものもない。あるのは静かな迫力、みごとなものである。いまわれわれは、賢さをともなう勇気をもつ必要がある、と講演を結んだ。

講演の途中で、少年期をすごした神戸での空襲体験について語っている。克人少年が盲腸で入院したその夜、お父さんが掘った防空壕を爆弾が直撃し、近所に住むご婦人が命をおとした。おばさんがすわっていたのは、壕の奥、いつもなら克人少年がすわるその場所であった。内橋氏はすでに母親を亡くしていて、その夜は、病院につきそうことになった父親にかわって、その婦人が残されたお姉さんの面倒をみてくれていたのである。

まったくの偶然で内橋さんが命を永らえ、まるで身代わりのように、親切な婦人が理不尽な死にみまわれた。自分はその人たちの無念を背負い、その人たちの分も人生の時間を生きているのだ、という。内橋さんの平和を希求する原点がそれだろう。

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この日、健康に不安をかかえる82歳の内橋さんが、100分を超えて立ったまま聴衆に語りかけた。会場の反応が内橋さんを元気づけたのではなかったか。350人の聴衆から90枚ものアンケートが返ってくる公開講演というのを、これまで聴いたことがない。語り手と聴き手が一体となってつくった渾身の講演という形容があたっているかどうかわからないが、わたしの印象はそうである。

内橋さんの警世のメッセージを正面から受け止めなければならない。そう思った。

第14回高校生プレゼンフェスタ

第14回高校生プレゼンフェスタ 013

高校生プレゼンフェスタが、着実な進化を遂げている。今年も、11月23日(日)に跡見学園高校を会場にして、プレゼンフェスタがひらかれた。今回エントリーしたのは、海城高校、アメリカンスクール・イン・ジャパン(ASIJ)、目黒学院高校、中村高校、跡見学園高校、K.インターナショナルスクール、埼玉県立和光国際高校、都立立川高校、埼玉県立所沢北高校の9校45名である(参加者数順)。

第14回高校生プレゼンフェスタ 024

この45名が男女混合の8チーム(5、6人ずつ)に分かれて、5分間の演劇的プレゼンテーションづくりに挑戦した。今回のテーマは「社会の何が問題?―その傾向と対策」。はじめての社会派テーマである。生徒が使えるのは、昼食、テーマ探し、リサーチワーク、発表準備をいれてきっかり2時間とあって、なかなか厳しいプログラムになっている。

第14回高校生プレゼンフェスタ 043

運営スタッフとして、獲得研関係者が16人参加したから、生徒のサポートはバッチリ、ちょっと行き届き過ぎるのでは、という声もでた。教員デモンストレーションのスキットも新バージョン(①電車のマナー、②銃社会アメリカ:脚本・両角桂子)なら、ウォーミングアップのファシリテーター(田ヶ谷省三、杉山ますよ)、ガイダンスの担当者(和田俊彦)も新布陣とあって、どんどん経験の共有化が進んでいる。

第14回高校生プレゼンフェスタ 051

テーマを社会的なトピックにしたのがなんといっても今回の新機軸だが、これで俄然生徒の動きが変わった。コンピュータ室と図書室をつかったリサーチワークがとりわけ活性化したのである。前回と大きく違う点がここだ。テーマを「東京オリンピック招致問題」と決めたチームが、2階の図書室にむけてダッシュし、新聞の縮刷版と格闘した。「リサーチワークからプレゼンへ」というフェスタの醍醐味を象徴する場面といってよい。

和田さんから「やっと先生が見たがっていた光景が出現しましたね」と反省会の席でいわれたが、まさにその通りである。

第14回高校生プレゼンフェスタ 033

本番のプレゼンがまた良かった。インターナショナルスクールの生徒が多いこともあって、いつにもまして日本語と英語がごっちゃに飛び交っている。スマートフォンとの付き合い方、コミュニケーションの大切さ、男女差別の克服、ネット社会の光と影、英語教育の改革、日米の教育比較などがテーマになり、それぞれ問題点と改善策が提案された。

スキットによる発表が多かったが、TV番組仕立て、日米の授業風景の対比、ナレーション付き、P.P.との併用と多彩で、なかには「心の声(ボイス・イン・ザ・ヘッド)」を使いこなすチームまであって驚いた。

最初は生徒がおとなしすぎて、「声がでてないねえ」とウォームアップ担当の田ヶ谷さんを慌てさせたが、どうしてどうして、プレゼンの準備に入るころから状況が一変、プログラムが終了してもみな立ち去り難い様子で、いつまでも交流が続いていた。

いま、このフェスタの方式を「あかり座」地方公演でも活用できないか、と考えはじめている。