与瀬町―大塚久雄先生の疎開先

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大塚久雄先生の疎開地・与瀬を訪ねた。中央線相模湖駅からほど近い場所である。かつて神奈川県津久井郡与瀬町だったが、いまは相模原市に編入され、相模原市緑区与瀬になっている。

案内人は大塚先生の長女・高柳佐和子さん。柔和な笑顔が、大塚さんの風貌を髣髴させる。「もうすぐ80歳になるんですよ」とご自分でおっしゃるが、実に活気のあるシャキシャキした語り口の方である。

今回の与瀬行きは、梅津順一さん(青山学院院長)の発案で、大塚門下の長老・関口尚志先生(東京大学名誉教授)夫妻をはじめ、ゆかりのメンバーが13人参加した。

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相模湖駅から南に少し行くと街道筋にでる。そこで信号を渡り、右方向に線路と並行して5、6分歩くと、ほどなく右前方に旧本陣跡の緑があらわれる。大塚さんの住まいのあった場所は、その旧本陣のやや手前、道路を隔てた反対側である。

街道のこのあたりは、北側に低い屏風のような山が広がり、南側は相模湖(元の相模川)にむかって緩やかに傾斜している。1944年3月から46年にかけて、大塚さん一家は、この場所で2年ほど暮らした。

かつては街道に面した100坪ほどの区画だったそうだが、今は二つに分割されている。街道側に今風の家が建っていて、残りの半分は空き地である。70年前は自動車などほとんど通らないのどかな通りで、路上が佐和子さんたちの遊び場だった。

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松葉づえの大塚さんが、ここから超満員の列車で本郷まで通勤するのは相当難儀だったろう。大塚さんを、家族で窓から押し込むこともしたという。あまりの混雑で列車に乗り損ね、やむなく欠勤した日、帰りに乗るいつもの列車が米軍の機銃掃射にあい、死傷者をだした。

よく知られていることだが、 同じ時期に、大塚さん、飯塚浩二さん、川島武宜さんという戦後社会科学をリードすることになる3人の学者が与瀬町に疎開している。地元で、それぞれ上の先生、中の先生、下の先生と呼ばれていた。実際に歩いてみると、徒歩10分圏のごくごく狭い地域である。

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意外だったのは、戦時中、3人そろっての交流がなかったことである。考えてみれば当然かもしれない。常会での大塚さんの発言を逐一警察に報告するように、と地元の人たちに指示が出ていたころのこと、いわば監視下での生活だったのである。

戦後になって3家族の集いが活発化する。医学部の瀬川功博士をふくめた疎開仲間4家族で、相模湖畔にバーベキューにきたという話も聞いた。

大塚さん一家がここで暮らしたのは、佐和子さんが小学生だったころだ。にもかかわらず、語られるエピソードがどれも生き生きしている。帰京後も小学校時代の同級生と交流を続けてきたというから、おそらく疎開生活のころの時間が、佐和子さんのなかでそのまま現在につながっているからに違いない、とそう思った。

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