月別アーカイブ: 9月 2014

コンクールの審査で神谷町へ

海外子女教育振興財団 017

「海外子女文芸作品コンクール」の最終審査会で、ことしも地下鉄日比谷線の神谷町駅までいった。神谷町駅から海外子女教育振興財団のオフィスがある愛宕東洋ビルまでの道を、会議の進行のことなど考えながら、10分ほどかけてゆっくり歩く。

小中学生が書いた作文の審査に加わるようになって、かれこれ15年になる。選ぶというのはいつだって悩ましい仕事である。それでも「さて、今年はどんな新しい作文にであえるのだろう」という期待感の方が勝っている。

ことしは35回目のコンクールで、節目の年にあたる。それで気がついたのだが、わたしがICU高校に勤めたのもちょうど35年前、それからずっと海外生・帰国生の海外体験にむきあってきたことになる。偶然の一致とはいえ、やはり何がしか感懐はある。

海外子女教育振興財団 010

神谷町駅の3番出口をあがると、銀杏並木がつづく桜田通り(国道1号線)の東側の歩道にでる。目的地は、愛宕山の外周を、時計まわりにぐるっと回りこんだ位置にある。そこでまず進路を右にとり、霞が関方向にまっすぐ5、6分歩く。オフィス街だが、人通りもそんなに多くないから、落ち着いた気持ちのいい道になっている。このあたりは、車のスピードも比較的ゆっくりである。

途中に、巴町砂場、文具の石井商店、虎ノ門岡埜栄泉本店などの店がある。まだ紅葉には早いが、歩道のところどころにギンナンが落ちていて、進行方向の右手のビルの隙間から愛宕山の緑も見え隠れする。

虎ノ門3丁目の交差点が近づくと、甲冑をつけた武将の絵が大きく壁に描かれた刀剣屋がみえてくる。それを目印に右折する。あとは狭い歩道を直進するだけだ。杉田玄白の墓のある通り、しもた屋が並ぶ細い路地などを右手にみて、愛宕下通りにある愛宕1丁目交差点までくる。交差点の角が目指すビルである。

海外子女教育振興財団 009

この10年ほどで沿道の風景が大きく変わった。愛宕山の向こうに愛宕グリーンヒルズの大きなマンションができ、本郷通り西側の斜面では虎ノ門パストラルが取り壊された。ことしの変化はひときわ大きい。虎ノ門3丁目の信号を右折した途端、目の前に虎ノ門ヒルズの巨大な建物があらわれた。何もなかったところに、忽然と大きな町のようなものがあらわれた印象である。

つい最近、マッカーサー道路の完工のことなど、ニュースで見ていたはずだが、うかつなことに、記憶のなかにある工事現場の囲いとそのニュースとが結びついていなかったのだ。去年は、まだ低層階を建設中だったから、まさかこんな高さのビルになるとは、意表を突かれた感じである。

風景もそうだが、海外生のおかれた環境も様変わりしている。海外滞在の長期化が目立つのだ。4798点の応募作品から最終審査に残ったのが66点、このうち7年以上海外に滞在している小中学生の作品が27点(41パーセント)ある。また、いわゆる国際結婚で生まれた子どもたちの作品が11点(16パーセント)ある。日本でほとんど暮らした経験がない子どもも多く、そのぶんだけ意識的に日本語や日本文化と向き合っている人たちだといえる。この傾向がしばらく続いている。

そんなこんなで、街の変化と海外生の変化、両方の変化を実感する一日だった。

目黒学院中学・高等学校の発表会

桜の名所・目黒川を越えて学校に行く

桜の名所・目黒川を越えて学校に行く

昨日、東横線の中目黒駅にほど近い目黒学院中学・高等学校で、生徒の「プレゼン技法研究発表会」があり、獲得研のメンバー11人がゲスト・コメンテーターとして登壇した。遠くは、徳島大学の三隅友子先生も参加している。目黒学院は、獲得研の藤牧朗先生が進学・学習指導主任をつとめる学校である。

ちょうど中1から高2までの生徒たちが、目黒学院の悟林祭にむけてプレゼンテーションの準備をすすめている最中で、ホールを使って、その途中経過を公開するという発表会である。客席に、父母の姿もたくさんみえる。

南房総校外授業、富士登山、US/ASIAセミナーなどの成果を、16チームが順番に発表する。持ち時間は2分から5分、司会進行も生徒がやる。タイトルに「プレゼン技法」という言葉が入っているだけあって、内容はもちろんのこと発表技法も多彩である。ポスターとパワーポイントの活用が目立つが、クイズ形式ありディベート形式あり英語での発表あり、とさまざまに工夫している。

朝のホーム・ルームで取り組まれている“スピード・ラーニング”について発表したチーム(中1)は、いま身をもってプログラムの効果を検証中なので、はたして私たちがペラペラになれるのかどうか「半年後に見解を報告します」とやって会場の笑いをさそった。ブルネイの立憲君主制について発表したチーム(高2)は、洋服から帽子まで準備、国王その人に「なって」現地での見聞を分析して喝さいを浴びた。山陰の鉄道交流会について楽しそうに発表した鉄研チームは、その詳細さが裏目にでて「時間超過=発表中止」の憂き目をみた。なんとも和やかな研究発表会である。

ホール一杯につめかけた生徒たちの反応が温かい。数学の先生、国語の先生も発表者として参加していて、教科の意義と授業のねらいをそれぞれプレゼンした。これを生徒たちと横並びのプログラムでやってしまうところが凄い。それで、獲得研のメンバーが口々に「ここは家族的な雰囲気がある学校だよねえ」と感想をもらす。

今回のプログラムは、きわめて先進的なものだ。1つは、一貫校という条件を活かした企画である点だ。当然のこと、上級生がロールモデルになるから、その教育効果は計り知れない。もう1つは、プレゼンの完成度を問題にしないことだ。プロセスを公開する発表会だからだ。これで登壇者側のハードルはぐんと低くなる。それに、お互いの発表をみたりコメントをもらったりすることで、改善へのヒントをえることもできる。

企画の発案者である藤牧先生は、獲得研では“「変さ」値”の高い人として知られている。なにしろ、理科、社会など、教職関連の免許状を10枚もっているほかに、温泉ソムリエの資格もある。藤牧さんの柔軟な発想があって、こうした新しいコンセプトの発表会が生まれた、ということだろう。

司会をやった武藤くん(高2)の閉会挨拶がまた良かった。どちらかというと引っ込み思案で、人前にでるのが苦手だが、去年の第13回「高校生プレゼンフェスタ」(於:跡見学園高校)に参加して、自分でも少し変わったような気がする。思いがけないことだが、いまはこうして司会までしている。これからも失敗を恐れずにチャレンジしていきたい。気取りのない自然な語り口で、武藤くんがそんなことをいった。

今回のコメンテーター陣には、早川則男委員長(中村高校)をはじめプレゼンフェスタ関係者がたくさんいる。こんなスピーチを聴かされてしまったら、今年のプレゼンフェスタも張り切らざるをえないだろう。

目黒学院の生徒の応援団のつもりででかけたが、逆にこちらの方が励まされてしまったという具合である。

懇親旅行で白樺湖へ

天然水工場の敷地は電気バスで移動

天然水工場の敷地は電気バスで移動

学部教員の懇親旅行で、今年は「白樺リゾート池の平ホテル」に一泊した。新宿駅西口から観光バス2台で往復する。毎年参加したいと思っているのだが、出張などと重なることが多く、3年ぶりの参加である。職場を離れて、いろんな学科の方とおしゃべりできるのが楽しい。

軟水と硬水の飲み比べをする

軟水と硬水の飲み比べをする

伊豆旅行のとき、たまたま河津七滝の散策をご一緒した松下武志先生(社会学科)から、研究の歩みをうかがうことができて、その後も親しく言葉をかわすようになった。今回も懇親パーティーの流れで、それこそ20年ぶりになるだろうか、4つの学科の若い先生たちとボウリングに興じて大いに盛り上がった。

白州の森のたたずまいがまた良い

白州の森のたたずまいがまた良い

帰りみちに、サントリー天然水白州工場の見学、御坂農園の葡萄(巨峰)狩り体験が入っている。八ヶ岳の麓のあたりでは、白い花の咲く蕎麦畑と黄金色に色づいた田圃が隣り合わせのところがある。早い田圃では、もう刈り取りをすませて稲架に干しているところもある。これぞ日本の秋という景色だ。

この旅行が終わると、もうすぐ新学期である。9月に入ってから今日まで、原稿の締め切りが次々にやってきて、猛烈に忙しくなっている。その意味でも、とてもいい気分転換ができた。

伏木港と北前船

高岡の国宝・瑞龍寺 北陸新幹線開業を前になんとなく活気がある

高岡の国宝・瑞龍寺 北陸新幹線開業を前になんとなく活気がある

富山県の伏木、高岡、南砺市あたりは、なじみ深い土地である。あかり座公演などで、なんどか訪ねているからだ。

1997年1月に伏木高校の生徒に講演をしたのが最初で、そのときは国際感覚について話して欲しいということだった。学校の控室に案内されたら堀田善衛(1918-98)の本がたくさん並んでいる。それで『方丈記私記』、『ゴヤ』の作家と伏木港の関係が私のなかで明確に結びついた。

堀田善衛の『若き日の詩人たちの肖像』(1968)は自伝的長編である。おもに旧制金沢二中から慶應義塾大学の学生時代の生活が描かれている。彼の生家は屋号を鶴屋といい、米穀肥料問屋をかねた伏木港の大きな廻船問屋(回漕問屋)である。

高岡市伏木気象資料館でみた1857(安政4)年の記録に、伏木港の入船2003隻、出船1989隻、持船39隻とあり、北前船のころから港が大いに賑わっていたことがわかる。鶴屋は、盛時伏木に30軒もあったという同業者を代表する一軒で、銭屋五兵衛とも取引があったらしい。

鶴屋の船額

鶴屋の船額

ただ、廻船問屋の没落は避けられない時代の流れだった。堀田善衛は家族の一員として、その過程に立ち会うことになる。鶴屋の最後の持ち船は、幼い善衛が神戸で進水式に参列し、ウラジオストクまで父親にともなわれて航海した船である。それが家族の嘆きに見送られて港を去っていった。

この船の売却は、下関から小樽まであった廻船問屋の最後の一軒の歴史が幕をおろしたことを意味していて、自分の少年時代もその時点で終わったのだ、と堀田が書いている。

鶴屋の望楼つきの大きな屋敷も今はなく、伏木北前船資料館(旧秋元家住宅)の展示場に残る「船往来手形」や「船額」からわずかに往時をしのぶばかりである。

北前船資料館の望楼から伏木港方面をみる

北前船資料館の望楼から伏木港方面をみる

鶴屋そのものは歴史の舞台からひき退いた。しかし、200年の旧家が生み出した人物像は、堀田文学の世界で生き生きと躍動している。とりわけ印象深いのは、スッと背筋ののびた女性たちの姿である。

民権壮士の後援者となり、米騒動を引き起こす商人たちの強欲を批判する曾祖母、学校には一切ゆかず家の教育だけで高い見識をそなえていった“お婆さん”(母の姉)、帰省するたび善衛に伝来の骨董や万年青の鉢をもたせて学費をまかなった母、いずれも教養も批評性も美意識も兼ねそなえる度胸の据わった女性たちである。

堀田は『若き日の詩人たちの肖像』を「国家の暴横に対する怒りの文学」と呼んだ。東京の下宿で2.26事件の勃発を知るエピソードにはじまり、日本が戦争に向かって突き進んでいく重苦しい時代を背景とする作品とあって、登場人物たちが演じる悲喜劇に、生と死というものの輪郭が、ひときわくっきり描きだされている。

大伴家持の在任した国庁跡、一向一揆の拠点となった勝興寺など、伏木港周辺をあらためて歩いてみて、伏木がいかに歴史の厚みを感じさせる町であるかがよく分かった。

それと同時に、なるほど伏木は、国際感覚というテーマで講演を依頼してくる素地のある土地柄なのだ、と改めて感じたことだった。

にほんご人フォーラム2014

去年と今年の講師陣-坪山、ゲスリング、根津、有馬(左から)の各先生

去年と今年の講師陣-坪山、ゲスリング、根津、有馬(左から)の各先生

昨日、国際交流基金日本語国際センターで、アジア6カ国(インドネシア、タイ、フィリピン、マレーシア、ベトナム、日本)の高校生たちが“便利なものの新しいアイデア”を発表する会があった。24名(各国4名)の若者が混成チームをつくり、4日間の準備期間をへて、日本語でプレゼンする。プロジェクト学習の締めくくりのプログラムである。この4日間、生徒のプロジェクト学習の進行具合を観察・分析するという臨床的な方法で、教師チームの研修も並行して行われている。

「便利さを考える」というコンセプトは、去年と同じだが、今年は粘土、ポスター、パワーポイント、演劇的手法などを使って、独自のアイデアを提案するかたちだ。

4チームから、温冷両方の飲み物・食べ物を同時に保温できる「〇〇すいとう」、病人がベッドで寝たままi-フォンを使える「スーパー・ピロー」、混雑に負けない2階建て多機能バス「ピカチュウ・バス」、旅先で便利な「ミニ・アイロン」などのアイデアが、彼らが何を手がかりにそれを発想するにいたったのか、という経緯と一緒に発表された。

初日は、聞き取れないほどの小声でやっと会話を交わしているといった状態で周囲をはらはらさせたが、心配無用、混成チームのメンバーたちは日を追って活発さを発揮し、本番では大盛り上がりの発表をみせてくれた。

ITの活用が発表の条件になっているので、彼らがパワーポイントを使うのは当然として、効果的に動画を組み込む発表も目立った。選ばれた高校生たちということもあるが、彼らをみているかぎり、6カ国の生徒のメディア環境に大きな落差は感じられない。世界の情報化のスピードがそれほど速いということだろう。

「にほんご人フォーラム」は、10年計画で、アジアに「にほんご人」のネットワークをつくろうという気宇壮大なプロジェクトである。私はプロジェクトの評価を担当している。今回で第1フェーズの3年を終え、来年は海外での開催になる。最初はマレーシアだという。

これからどんな新しい展開がみられるのか、ワクワクものである。