月別アーカイブ: 6月 2014

平野正久先生とのドライブ旅行

大室山上の平野正久先生

大室山上の平野正久先生

研究室の大先輩・平野正久先生が、伊豆高原駅からそう遠くない場所に別荘を構えている。はじめてうかがったが、茶室に露地までそなえた豪壮なつくりである。昨日の日曜日、そこを起点にして伊豆高原を散策した。数年越しの計画が実現したかたちだ。土曜日は、早朝に一緒に東京をでて、雨の中を現地到着、酒を酌み交わしながら一晩ゆっくりおしゃべりした。

平野先生は、一回り以上年嵩の先輩である。無類に相性がよく、日本大学に移ってすぐに親しくなった。大阪大学から日大に移った平野さんが、2002年に学科主任になり、その年にわたしが教育学科に採用になったというご縁もある。

2008年の夏には、ポツダムで落ちあい、ゲーテ街道をドライブ旅行した。ゲーテ、バッハ、ルターをめぐる1週間の旅である。お膳立てはぜんぶ平野さんがしてくれた。ドイツ研究の専門家に個人ガイドをしてもらうのだからこんな贅沢はない。生涯忘れがたい旅になった。

ただ、その日の宿をその日にさがす気ままな弥次喜多道中という面があるので、失敗談にも事欠かない。抱腹絶倒のエピソードについて折をみて書こうと思っている。

アザミの群生

アザミの群生

あれから6年。平野さんの運転は相変わらずきびきびしている。一事が万事で、とにかくフットワークが軽快でかつエネルギッシュである。昨日も、大室山のリフトに一番乗りし、列の先頭で切符を購入してくれた。

大室山の頂上で火口のぐるりを散歩してパノラマを楽しんだあと一碧湖までいって湖畔を歩き、もう一度リフトで小室山に登って川奈ホテルのむこうに伊豆大島を遠望し、さらに日蓮の「伊豆法難」の地に建立された蓮着寺を見学するというコース、この全部を午前中にこなしてしまう。

奥が日蓮が置き去りになったという俎岩

奥が日蓮が置き去りになったという俎岩

どこへいっても自分の庭のように自在に案内してくれるおかげで、大室山のてっぺんでは、緑のじゅうたんのうえに花をつけるアザミ、ホタルブクロ、野ばらの群生をめで、蓮着寺では樹齢千年というヤマモモの巨木をみることができた。天候まで勢いにおされたらしい。雲間に青空がのぞいたとみるうち、いつの間にか高原の日差しが肌にいたいほどの好天になっていた。全精力を傾けてひとをもてなす平野さんの面目躍如である。

平野家の裏手にあるヤマモモの実

平野家の裏手にあるヤマモモの実

2日間で朝昼晩ときっちり6回、食事をごちそうになった。土地柄、海の幸が美味しいのは納得だが、美味しいお蕎麦、美味しい山の幸のレストランまでリストしてくれているので驚く。かたじけなく堪能させてもらったが、けさ体重計にのって、数日後にせまった健康診断のことをすっかり忘れていたことに気がついた。うーん。まあ、いっか。

杏林大学でFD講演会

先日、杏林大学の八王子キャンパスで講演をした。外国語学部のFD委員長・楠家重敏先生にいただいたテーマは「良い授業をめざして」、これに当方で「獲得型授業の視点から」とサブタイトルをつけた。対象は、外国語学部、総合政策学部、保健学部の先生たち100人ほど。やってみて、むしろこちらが学ばされることが多かった。とりわけFD問題のポイントは教員間に課題の切実性が共有されていることにある、と改めて気づかされた。

JR八王子駅からキャンパスまで、バスで30分かかる。同じ八王子市にある帝京大学と中央大学で非常勤講師をしていたから、行く前からなんとなくキャンパスの様子は想像できたが、周囲の山々の緑が思いのほか濃くて、雨にけぶるキャンパスはそのぶんだけ別世界の様相を呈していた。

事前にもらったFDアンケートの冊子に先生たちの生の声があふれている。“やらされている感”が少しもないのが頼もしい。講演と会場のディスカッションが半々という時間配分にも、FD委員会の意欲が表れている。こうした条件があるとやりやすい。会場の雰囲気の柔らかさにつられて、ついつい持ち時間をオーバーしてしまった。

ただ、大人数だということと固定席の教室だということもあって、切れ目なく質問は出るのだが、どうしてもわたしと会場のやりとりが中心になる。それでも日本語学の金田一秀穂先生が「教育方法について全員で足並みを揃える必要があるのだろうか」「評価をどう考えるのか」などディベータブルな質問をして盛り上げてくれた。初対面だが、演劇的知にたけた方のようで、大いに助けられた。

2年後には、八王子キャンパスの3学部が、そろって医学部のある三鷹キャンパスの近くに移転する予定という。都心回帰の流れだろう。三鷹周辺にも伝統のある大学が多いことを考えると、移転は新しい競争環境に入っていくことをも意味する

それだけにFDはきわめてリアリティのある課題になっている、と全学のFD・SD部会の部会長である黒田有子先生も話しておられた。移転業務とFD研修を同時並行で進めるのは大変だが、課題の切迫感を共有することが、ことを進める原動力になる。

今回は、外部講師による初めての講演会ということだが、次のステップは、杏林スタンダードの形成にむけたワークショップという方向に進むのだろうか。

日本国際理解教育学会第24回研究大会

奈良 037今期から、研究委員会と実践研究委員会が組織的に合同したのを機に、「理論と実践の統合」という学会創設以来の難題に本腰を入れて取り組むことになった。「研究・実践委員会」(委員長・嶺井明子、筑波大学教授)が掲げたテーマは「国際理解教育における教育実践と実践研究」である。

週末に奈良教育大学であった特定課題研究「国際理解教育における実践研究の視座」が最初の提起ということになる。3年間を通して、大きく2つの課題に挑戦する。一つは、実践研究のスタンダードの確立で、実践者による当事者研究・臨床的研究のディシプリン(研究の作法)をつくるいわば理論開発の研究。もう一つは、研究モデルの探究と発信で、こちらは実践的研究者としての自立の道筋と研究コミュニティーの形成に関する事例研究である。尼崎市と神戸市の学校での実践や地域の実践に寄り添いながら、公開研究会を開いてその可能性を探っていく。もちろんこれら2つの課題は有機的につながっている。

3時間のセッションだったが、委員会からの4本の報告(80分)を受けて、4、5人グループで話し合うワークショップ形式とした。トピックは、「学校/地域で実践研究をどう進めるか」「実践的研究者はどう育つのか」の二つ。特定課題研究ではこれまでやったことのない形式だが、これがよかった。話し合いが活発だっただけでなく、リアルタイムで提案への反応が得られたからだ。

何しろ好天の奈良、しかも日曜午後のセッションである。午前中にはワールドカップ・サッカーのコートジボアール戦まである。参加者の数が心配されたが、それは杞憂だった。米田伸次先生(元学会会長)、田渕五十生先生(福山市立大学教授)などのベテラン会員から若手会員まで、大教室がいっぱいになる盛況で、まずは好調な滑り出しといえるだろう。

わたし自身は、ここにくるまでの過程が面白かった。準備段階のディスカッションもそうだし、初年度とあって、司会からコメントまで委員全員で手分けして運営にあたったのだが、メンバーの気配りの細やかさにほとほと感心させられたこともそうである。さて、これからどんな研究成果が生みだされるのか、興味津々である。

奈良 057ホテルから大学まで、強い日差しの中を毎日歩いて通った。途中にある元興寺極楽坊の門を久しぶりくぐって、こんなに清々しく手入れされたお寺だったのかと再発見もし、なんだか嬉しくも感じた。

異文化間教育学会第35回研究大会

先週末に同志社女子大学(今出川キャンパス)で異文化間教育学会第35回大会に参加した。去年は開催校とあって忙しくしていたが、今年は理事会、編集委員会などのお役目だけだから、比較的じっくり発表を聴いてまわることができた。

京都 012特定課題研究は、「実践をまなざし、現場を動かす異文化間教育学とは?」というテーマである。大和プレスクール『にほんごひろば』の実践報告があって、それを幼児教育、人権教育、ネットワーク論の専門家が「読み解く」という企画だった。

今週末は国際理解教育学会の研究大会が奈良教育大学でやられるが、特定課題研究のテーマがやはり実践研究になっている。テーマは「国際理解教育における実践研究の視座」。わたし自身も同じタイトルの報告を準備していて、そこでは「当事者研究としての実践研究」の成立条件について提起する。

異文化間教育学会の方は2年、国際理解教育学会の方は3年単位のプロジェクトであり、企画のねらいもそれぞれ違っている。ただ、両学会の特定課題のテーマがこれほど接近するのは珍しい。現場の実践家が会員の3割を占める国際の方は当然としても、大学教員の比率の高い異文化でもこのところ自由研究発表の「実践報告」が増えた印象がある。本腰を入れて実践研究に取り組む時期にきたということだろうか。

今出川通りから女子大のキャンパスを眺めてはいたが、なかに入るのは初めてである。通路沿いによく手入れされた松の木が並んでいたり、さほど大きくないジェームズ館のロビーでゆったりノートを眺めている数人の学生さんの姿があったりで、どことなく静寂さが漂っている。そのせいで、東京都心の大学とは少し違う時間が流れているように感じた。