日別アーカイブ: 2014/05/08

高校の同級生

秋田高校の同級生・堀井伸夫くんを誘って、いまもときどきおしゃべりする。進路について同級生でよく議論したものだが、なかでもバレーボール部のキャプテンをしていた堀井くんが一番の話し相手だった。彼は佐竹藩の在郷武士の末裔である。雄物川に面した屋敷のはじに巨大なアカマツが聳え、長押に漆塗りの長い槍がかけわたしてあった。

広小路側から旧県立図書館をみる

広小路側から旧県立図書館をみる

もともと次男として生まれたのだが、家族内の事情から、大学をでたら秋田に戻って家を継ぐとはやくから決めていて、実際にその通りにした。そういう運命の受容の仕方を、私はなんとも潔いものに感じた。

堀井くんとは受験勉強も一緒にした。県立図書館の閲覧室がわれわれの勉強場所で、窓から旧久保田城のお濠越しにメインストリートの広小路が見渡せる。広小路は百貨店や専門店が立ち並ぶ賑やかな通りである。当時、老舗の木内(きのうち)デパートは売り場に秋田美人が多いことで知られていた。市内に実家のある友人が帰省すると、まず木内の売り場を一周し、それから安心して家路につくのだと自慢していたものだ。

繁華だった広小路も今は昔、1982年に17千人あった一日の通行量が、2005年には3千人を切ったという(201116日付朝日新聞・秋田版)。もっとも、いまは少し盛り返しているのではないかと思う。

ふたりは図書館をでると反対方向に別れる。堀井くんは明かりのともる広小路を通って保戸野の下宿に、私は千秋公園の薄暗い坂をのぼり平田篤胤、佐藤信淵を祀る弥高神社の脇を抜けて千秋北の丸の下宿に、それぞれ帰るのである。

千秋公園 下宿tに続く道

千秋公園 下宿tに続く道

職業安定所に就職した堀井くんは、秋田県内をくまなく転勤してまわり、大館市のハローワークの所長で定年を迎えた。3人の子どもを立派に育て、家を守り、秋田の経済を足元から支えてきた人生である。

そんな堀井くんと話していると、ときどき、別の人生を生きてきた「もう一人の自分」と会っているように思えるから不思議である。