日別アーカイブ: 2014/05/03

『木村伊兵衛の秋田』をみる

木村の秋田 005昨年、JRの駅頭で木村伊兵衛の写真「秋田おばこ」(1953年)を何度もみかけた。秋田デスティネーション・キャンペーンのおかげである。それがきっかけで、生誕110年記念出版と銘打った『木村伊兵衛の秋田』(田村武能監修 朝日新聞出版 2011年)を手元に置き、折節に眺めている。

この写真集は、木村伊兵衛のライフワークとなる秋田の写真のうちの156点を、春夏秋冬にわけて構成したものだ。素材の多くが、農作業や年中行事の風景である。

木村の撮影行は、1952年から1971年までのべ21回におよぶ。この期間は、私の在秋時期とほぼ重なっている。1951年に八郎潟東岸の農村で生まれ、1970年に上京したからだ。

それで、きっと同時代の記憶がパッケージになった写真集に違いない、と独り決めしていた。しかし、そうではなかった。一つは掲載作品の撮影年代である。157点のうち134点(85パーセント)が1950年代に集中している。しかも98点が50年代前半のものだから、大方が私の記憶以前の秋田である。もう一つは、撮影地で、圧倒的多数が現在の大仙市と秋田市周辺の光景である。渡船場の情景を描いた「冬」(1953年)などに、カルティエ=ブレッソンに通じる構成の美しさを感じるが、当然のこと、私の育った八郎潟東岸の風景とは違うものである。

ただ、この二つの条件を別にしても、どこか居心地の悪さが第一印象として残った。二つ理由がある。一つは、ついつい被写体にされた側の眼で見てしまうからである。編集された写真には、自動車はおろかプラスチック製品も一切登場しない。物心つく前後だから記憶違いもあろうが、いっかな画面のなかの情報が古すぎやしないか、と感じたのである。

さらには、テーマ性を読み取れなかったことである。撮影地も撮影時期も違う写真が組み合わされているだけでなく、1枚ずつが都会の観察者の眼で切り取った風俗写真として完結している。だから、一連の作品を貫通するテーマが見えてこない。

1958年に、木村伊兵衛自身がこう書いている。「(秋田に)きてみると風俗がなかなか美しいので驚いた。カスリの着物、雪の日の角巻き姿などの風俗にひかれて、それから年に3、4回も通うようになった。・・・つぎからつぎへと興味をそそる対象にぶつかった。しかし、うつした作品には、結局古い秋田しか出てこない。それだけ風俗に多くひかれているのだと思った」(260頁の資料)。なるほど、この述懐は本当だろうし、それが生前に作品集として完結しなかった理由の一つかもしれない。

これを東京・下谷生まれのカメラマンがみた「残しておきたい秋田」というバイアスがかかった風俗写真集とみれば、はじめて納得がいく。対象の面白さに導かれてできた作品群であり、それを面白がる木村自身のエキゾチシズムの質そのものが作品に投影している。

それも含めて、時代の証言としてこの写真集を眺めているうちに、もう少し複雑な味わいが感じられるようになった。だから、これを風俗写真集であると定義したからと言って、少しも作品の質を貶めるものではない。