都心にでたついでに小石川後楽園にいってみた。丸ノ内線の電車の窓から何十年も後楽園の緑をみている。それどころか築地塀沿いの道を何度か歩いてもいる。しかし、中に入るのは初めてである。
受付で間もなくガイド・ツアーがあると聞いたので、これ幸いと参加してみることにした。首里の識名園、高松の栗林公園などこれまでに色んなところでシルバー・ボランティアのお世話になったが、どの方もおしなべて熱心である。
集合場所にいったら、先客が3人いる。ガイドは、今月デビューしたばかりという石川さん。何しろよく下調べしている。
中国趣味で知られる小石川後楽園は、水戸徳川家の祖・頼房が工事をはじめて光圀が完成させたものである。いわゆる水戸黄門だ。ところが、黄門というのは従三位の位をもつもののことで、水戸徳川家にはほかに黄門様が7人いるのだという。それに後楽園を名乗る庭は、岡山が発祥と思いこんでいたが、小石川の方が先で、岡山の後楽園は明治の世になってからの名称だという。こんな話題が随所に組み込まれている。
小石川後楽園は、まるで名所図絵を立体化したような庭だ。現在はないが、いまの出入口である西門の反対側、つまり東門の方向に唐門がたっていて、それが元々の出入口だったという。唐門をくぐると鬱蒼とした園路(中山道)、その道は大泉水(琵琶湖)をへてやがて京都へ。小廬山(東山三十六峰)、懸崖づくりの舞台(清水寺)、通天橋(東福寺)、愛宕山など名所を経由して、東海道経由で江戸にもどるという趣向である。八つ橋や美保の松原まである。
こうした直球の見立ては、わたしの趣味ではないが、江戸時代にあったたくさんの大名屋敷、その数だけあっただろう庭園の姿を想像する手掛かりとして興味は尽きない。
一面のシャガやら藤やらの花も目を楽しませてくれたので、一時間半のツアーにすっかり満足して家路についた。