月別アーカイブ: 3月 2014

2014年獲得研春のセミナー

A会場の振り返りの様子

A会場の振り返りの様子

27日(木曜)にあった獲得研春のセミナー「教育プレゼンテーションの新しい地平」(日本大学文理学部百周年記念館)の余韻が続いている。今回は、参加者全員で“オトナのプレゼンフェスタ”に挑戦した。高校生プレゼンフェスタのおとな版である。発表のテーマは「コミュニケーション・ギャップ」と「ジェネレーション・ギャップ」。

いつもは、こちらが準備したコンテンツでワークショップを提供するのだが、今回は参加者自身がチームを組んで内容を創造する。出会ったばかりのメンバーが、わずか2時間の準備で、リソースルームを使ったリサーチワークから5分間の演劇的プレゼンテーション制作までのステップをこなす。かなりハードルの高いプログラムである。

当然のこと、目標・時間・作業量をどうコントロールするのかというマネージメントの力が問われるし、チームのなかでどこまで自分をだし、どこで妥協するのか、“こころ”のマネージメントも必要になる。

もう一つの高いハードルは、プログラムが三重の入れ子構造になっていることだ。プレゼンフェスタの参加者として制作に打ち込みつつ、同時に自分がこうしたワークショップをファシリテートするとしたらどういう工夫をするのか考えてもらう。それと並行して、獲得研側で用意したプログラムと運営の仕方も評価してもらう。こんな具合だから、高校生たちのように、純粋にテーマに取り組むだけでは済まなくなる。参加者が、ある種の異化作用を感じるプログラムになっているのだ。

予想通り「もっと時間が欲しかった」という声もいくつかでたが、時間の制約がかえってチームの集中力を高める側面もある。2会場にわかれて行った10本の発表は、どれも見事なものだった。

宇治橋祐之さん(NHK放送文化研究所)たちの「渋谷で5時」はハチ公前でのカップルの待ち合わせを素材にしてジェネレーション・ギャップに迫る。メールを駆使してぴったりの時間に落ち合う現代のカップル、事前に電話で待ち合わせの相談をする20年前のカップル、手紙で待ち合わせたが日にちがずれて会えずじまいになってしまった江戸時代のカップル、その3シーンを順番に演じて、最後に「(江戸時代のカップルにとっては)待つ時間こそ幸せでした」という美しい言葉でメッセージを語る。

ただし、プレゼンが今回のセミナーの山場ではない。お互いのプレゼンを見合ってから、2会場の参加者70人が合流し、車座でおこなう「振り返り」がクライマックスである。これが新鮮だった。プレゼンの制作過程を共有した人たちが、その経験をもとに日頃の実践を交流するとあって、おのずと地に足のついたディスカッションになるのだ。

これまで積み上げてきた獲得研側の経験とたくさんのリピーター、こうした条件が揃ってはじめて可能になったプログラムといえるだろう。年月を重ねるなかで、私たちの研究がゆっくりと進展し、それと並行してセミナーそのものも成熟してきたのである。

参加者が高いハードルをクリアするプログラムだったと述べたが、評価の俎板に乗る獲得研メンバーはさらに厳しい条件を背負わされていたことになる。ただ、メーリング・リストにアップされた昨日の記事を読んだら、ファシリテーターのひとり両角桂子さん(ふじみ野高校→所沢北高校)が、「これまでのセミナーとは趣がちがい、とってもスリリングでした。このナマモノ感はクセになるかも」と書いていた。いやはや、どこまでも頼もしいことである。

津市でワークショップに参加

 

左から、富田さん、華穂さん、元生さん

左から、富田さん、華穂さん、元生さん

日本協同教育学会の「協同学習法ワークショップ」(321日)に参加するため、津市までいった。春は名のみの肌寒い風が吹いている。1999年に三重県総合教育センターで「多文化共生時代の教育」という講演をして以来だから、津駅で降りるのは15年ぶりである。

参加者16人というこじんまりしたワークショップで楽しかった。学会企画の催しだが、行ってみると、ファシリテーターは小学校の校長経験者がお二人。ワークショップの素材も「三桁の引き算」と「俳句づくり」の授業とあって、なんだか教員研修会の趣である。

バズ学習やジグソー法を体験するのだが、個人で考える時間も話し合いの時間も、ほとんど23分の区切りで進んでいくので、とにかく忙しい。

参加者になってみると、内容もさることながら、どうしてもファシリテーションの仕方そのものに目が向いてしまう。それでいろいろ気がつくことがあった。

朝からずっと活動したメンバー4人で、とてもいいチームワークができた。ロビーでお弁当をたべながら、いまどんな仕事をしているのか、どんなきっかけでワークショップに参加したのか、こうした技法を活用することの意義と難しさは、など色々なことを話せたのが大きい。

富田収さん(日産自動車大学校)は自動車整備の専門家。シルバー・ボランティアでパプア・ニューギニアに在住した経験をもっている。元生安宏さん(京都・桂坂小学校)は算数教育が専門で、前日卒業式を終えたばかりという。渡邊華穂さん(常葉大学教職大学院)もやはり算数教育が専門で、小学校教員を目指して頑張っている。

華穂さんから、昨日ほどグループで仲良くなった研修は初めてだったとメールをもらったが、おそらくみんなの共通した思いだったろう。それで口々に、またいつか会えたらいいね、といって別れた。

ブダペストからの返信―岩永絵美さんのメールから

今朝、岩永さんから素敵なメールをもらった。前々回の記事「リア王」に対する返信である。このメールがあまりに素晴らしいので、ご本人の許可をえて、アップさせてもらうことにした。ほんの少し編集してあるが、ほぼ原文のままである。

渡部 先生 こんにちは。

先日は、ロンドンで感動の再会ができて、とてもうれしかったです。まったく予定外でしたから、本当にご縁があるのだなと思いました。(中略)

シアターライターの知人がいうには、「リア王」が今、英国が誇る最高のキャストと、最高のスタッフが作った芝居、というのですから、見られただけ、本当によかったです。

私は、先週の金曜日、ブダペストのリスト音楽院の大ホール(※欄外ご参照)で、小林研一郎さんが指揮をするコンサートに行くことができました。完売だったのですが、偶然、売れ残りのチケットを1枚だけ、コンサート開演前に手に入れることができました。なんとラッキー!小林さんは、ハンガリーで指揮者として活躍して40年。今回は、リスト音楽院をはじめ、ハンガリー全国で計8回くらい公演をされます。

いかにハンガリーの方々に敬愛されているかを、体感する場となりました。何せ、マエストロが入場するなり、大きな拍手。社会主義時代から残る、あの、手拍子を合わせたような、シャンシャンという拍手がなかなかやまない。開演前なのに。

そして、マーラーの交響曲第二番を一気に演奏。大合唱団も入って、すごい迫力。客席が振動するのを、文字通り体感しました。終演して、一瞬の間のあと、われるような大拍手と二階席はスタンディング・オベーション。ところが、マエストロは、低姿勢で、決して指揮台に上がって拍手をお受けにならない。すべては楽団のおかげと、部署ごとに丁寧に指さし、立ち上がり、拍手を浴びることを促すのです。

自分は決して前に出ない・・・そのような気持ちと取組姿勢が、より一層、楽団員と聴衆を感動させるのか、どんどん拍手が盛り上がり、とうとう、舞台の正面、ちょっと高いところの特別席にならんでいた合唱団から色とりどりのガーベラの花がマエストロめがけて次々と投げられる!舞台に落ちた真っ赤なガーベラを拾い、第二バイオリン奏者に優しく手渡す小林さん。

日本人であることが、マエストロのおかげで、少しだけ誇らしげに感じられた、そんな気持ちの良いコンサートでした。

こんな気持ちの良いステージを、私も、仕事を通じて、観客の皆様に味わっていただけたらいいな、とそんな思いを抱いて家路につきました。

いやはや、脱線してしまい、失礼しました。旧あかり座の皆様に、どうぞよろしくお伝えください。

岩永絵美 拝

※リスト音楽院の内装は、昨年の冬、3年の歳月をかけて、修復、見事に美しくなりました。以下、オープニング時のコンサートをご覧いただくことができます。約100分もありますが、前半の6番目あたりに、コダーイ作曲の「Evening Song」(合唱)があります。これは、いい曲だと思いますので、お時間のあるときにどうぞ。

http://zeneakademia.hu/en/lisztery/video/-/asset_publisher/fCa86eGLCFdM/content/a-2013-oktober-22-i-unnepelyes-megnyito-gala

※最後に、今年は、V4+日本交流年に指定されています。Visegrad 4 は、ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリーを指します。なので、私のオフィス(国際交流基金ブダペスト日本文化センター)でも、がんばってイベントを企画しています。今は、ちょうどぺーチで、「東北の美しい手仕事展」を開催中です。

www.jfbp.org.hu

 

テート・モダンのパウル・クレー展

バウハウスの教員住宅―デッサウには平野正久先生のガイドで訪問した

バウハウスの教員住宅―デッサウには平野正久先生のガイドで訪問した

31日に、パウル・クレー(18791940年)の展覧会をみた。テート・モダンをでたら冷たい雨がふっている。日本でも洪水のニュースが流れたほどだから、テムズ川がいつになく増水している。右手に濁った水面を眺めながらナショナル・シアターまで歩くうち、クレーのことをあれこれ考えた。

肌合いというのだろうか、クレー作品に漂う工芸的なるものが私には心地いい。ワイマールのバウハウスで、製本、メタル、ステンドグラスのワークショップをやったと書かれていて、なるほどと思った。

とりわけクレーの線にいつも魅かれる。「They’re Biting(1920)など、初期の作品に典型的な、水彩の地にオイルで描かれた細い線、そのかすれたような線が諧謔味と批評性をはなっている。空間構成にもひかれる。カタログの表紙を飾る「赤緑と紫黄のリズム」(1920)など、コンポジションの諧調のみごとさは、おそらくクレーが名うてのバイオリストだったことと関係するのだろうし、それが色調の深い美しさをともなうので目が離せない。

展覧会のタイトルは、“Making Visible”。「芸術は目に見えるものを再現するのではなく、見えるようにするものである」という彼の有名な言葉からとられていて、初期から晩年までの132点(17室)が展示されている。様式の目まぐるしい変化を一望し、同時にカンディンスキーなど他の作家との交流も分かる構成である。それで戦間期の芸術家としてのクレーの作品が、否応なく時代の変化を刻印されていることがはっきりする。

私には、ナチスの台頭と1933年のバウハウス閉鎖、翌年のベルン郊外への移住、そして亡くなるまでの作品群がとくに印象深かった。14室から17室までの展示だが、この時期の作品には、寒色が基調となるものがぐんと目立つ。

Pass to the Blue」(1935)では、荒々しい群青色が画面全体をおおっている。少し離れると真っ暗にしか見えない。画面の左上に、太陽だろうか、月だろうか、青い楕円が深い色をたたえて、空間に溶けこむように浮かんでいる。画面の下半分は、右下からはじまる茶色いジグザグ道が、次第に細くなって群青色のなかに消えている。なぜだか、深い悲しみを単純化した画面と穏やかな色調に昇華させた熊谷守一さんの「ヤキバノカエリ」を思い出した。

第1室に、手書きの作品カタログが展示されている。このノートを見ていると、クレーが自分の芸術的歩みにいかに自覚的だったかがよく分かる。9400点以上ともいわれる彼の作品群は、徹底した方法研究に支えられていた。方法への熱意と生み出される作品の完成度とはしばしば一致しないものだが、クレーにあっては、知的な探究と作品の感興の深さのバランスが奇跡のように絶妙である。

うす暗い会場に飾られた小品群。初見の作品が多いから、一巡するのに2時間かかり、解説を見直しながらもういちど会場をまわったら3時間半たっていた。さすがに目がかすんで諦めた。

月末にでる獲得研の新刊『教育におけるドラマ技法の探究』のカバーに、明石書店の大江さんがクレーの絵「子供たちと犬」を使ってくれるという。それで今回の展覧会が、さらに印象深いものになった。

ナショナル・シアターの「リア王」

2014年ロンドン2 006

昨日、ロンドンのナショナル・シアターで、マチネの「リア王」を観た。オリヴィエ劇場の舞台ははじめてである。ロビーで岩永絵美さん(国際交流基金ブタペスト日本文化センター所長)と遭遇、あまりの偶然に二人で仰天した。岩永さんには旧あかり座プロジェクトのスポンサーとしてずいぶんお世話になっている。

久しぶりの再会がロンドンとは・・・

久しぶりの再会がロンドンとは・・・

大英博物館でのセミナーに参加するために1泊2日できて、芝居がはねたら空港に直行するのだという。ブタペスト事務所が東欧10数カ国を担当し、日本語教育から東北地方の手仕事の紹介まで、幅広い事業を手がけておられる。いつかじっくりうかがってみたいものだ。

今回の「リア王」も、時代設定が現代になっている。戦争場面では気がふれた王が拘束衣を着せられ、お尻に鎮静剤を注射される。グロスター伯が目をえぐられるシーンでは、ワインオープナーが凶器になった。

2009年にヤングビック劇場で観た「リア王」では、喰いちぎられ、吐き出された目玉(大きなガラス玉)がごろごろ音をたてて床をころがった。地方の劇場で評判をとり、ロンドンまで攻めのぼってきた芝居だったから勢いがあり、圧倒的に若者の多い客席がワーワーわいた。戦闘場面にはベトナム戦争を思わせるタンクまで登場、いささか劇画的にもみえる表現をとっていた。

今回の舞台は、もちろんもっと落ち着いている。サイモン・ラッセル・ビールがやるリア王は、堂々たる押し出しと奥行きのあるみごとな発声である。ちょっと猫背で左足をひきずり気味の歩き方で国譲りの場面に登場する。やがて舞台の進行につれて、腰の傾斜がほんの少しずつ大きくなり、左足のひずみも強調されていく。こうした繊細な演技が象徴するように、一人ひとりの人物像が際立つ演出になっている。

装置がまた洗練されている。円形舞台の背景も床も、すべてむらむらの黒っぽい色でおおわれ嵐の前の黒雲のようである。盆の内側には、白っぽい通路が十字型に描かれている。十字の縦線がそのまま白い花道になって客席の中央を貫いているから、2階席でみると、暗い空に大きな白い十字架が屹立しているようにも見える。

最初の国譲りの場面でも、リア王がコーディリアの死体を抱えて登場する最後の場面でも、通路に真横にしつらえられた長大な白テーブルが効果的に使われている。

また、ゆっくり回る盆の上で、さ迷う王をのせたまま、通路の一部が坂道になってせり上がる。それが斜めにどこまでも高くなるものだから、ケント公役者は四つん這いのまま両手でリア王の左足をずっと抱えつづけることになる。おかげで、高所恐怖症の私の意識は、セリフなんかより王の足元の方に集中することになってしまったのだが・・・。

このこじんまりした舞台空間に50人の役者が登場する。いまさらに古典劇の懐の深さを感じたことだった。